慰労の宴 その三

 一九一九年六月一三日 帝居地下 御殿





 歓談室での論功行賞の後、一同は地下の御殿へと移動した。

 御殿の和風座敷には、既にぜんが並べてある。


 瑠璃家宮が上座に座り、その他は用意されている席に着いた。

 瑠璃家宮の右隣には、もう一席しつらえてある。


 宮森にはこの意味が良く解った。


⦅綾が来る……⦆


 案の定、女官にょかんに手を引かれ綾が入室した。

 昨年の十一月に儀式を行なったので、彼女は現在妊娠七箇月弱。


 華奢きゃしゃで小柄な体格に、服の上からでも目立つ膨れた腹。

 その胎内なかには、生まれ乍らにして邪神を宿した胎児ただよっている。


 そして胎児の遺伝学上の父親は……宮森なのだ。


 今日以外にも、帝居に訪れた際は度々たびたび 綾に目通りする機会が有った宮森。

 しかし段々と膨れる彼女の腹を見るにつけ、自身の焦燥しょうそうと嫌悪も膨れ上がって行く。



 どうしても綾のはらに目が行ってしまう。


 甘い寒気を感じる。


 此方こちらが視ているのに、


 彼方あちらからも観られている。


 見ているのは、


 綾の方か。


 胎児の方か。


 ――。



 沈んでいた宮森に、隣席の宗像が話し掛けて来る。


「なあ宮森はん、殿下のお隣はどなたや?

 殿下はまだ御成婚されてないやろ。

 妊娠されとるようやし、まずいんとちゃうの?」


「お隣の方は綾 様と申されます。

 殿下の許嫁いいなずけだとか。

 やんごとなき方々の事ですから、詮索せんさくは止しておきましょう」


「そうか……。

 お、宮森はん、またどなたかいらっしゃったで」


 座敷に入って来たのは、和服姿の中年男性。


 藍色の羽織に、の花色の行灯袴あんどんばかま

 中の着物は熨斗目色のしめいろ

 ここまでは良いが、烏帽子えぼしのような被り物がいたく珍妙である。


 烏帽子の中には頭頂部全体の毛髪が収められ、その重みで烏帽子自体が額の上まで垂れ下がっているのだ。

 現代人が見たならば、烏帽子カバー付きのリーゼントヘアーだと判断するだろう。


[註*の花色=淡く黄色がかった白色]


[註*熨斗目色のしめいろ=暗くくすんだ青緑色]


 洒落者しゃれものを気取っているようだが、デップリとした体つきと締まりのない顔立ちからは、人間大のかえるを連想させた。


 蛙が挨拶する。


 声量が大きいのに加え、いやに音程が高い。

 ネットリと耳孔じこうに侵入して来る声音だ。


御久おひさしゅう御座る瑠璃家宮 殿下。

 今回は宴の席に御招き頂き光栄の至り。

 はて?

 御初に御目に掛かる御家臣ごかしんもいらっしゃるか。

 和仁わに入門いりかど 和仁吾郎わにごろうと申すぞよ。

 よしなに」


 どうやら、『和仁わに』が一人称で、語尾に『ぞよ』を付ける素敵なオジ様だ。


 宮森と宗像も着座したまま礼を返す。


 和仁ぞよオジ様の登場で、今日帝居に来て初めて明日二郎が声を上げた。


『ま~た濃いオッサンが出て来たぜ。

 宗像のオッチャンだけでこっちは手一杯だってのによ~。

 ヤツが宗教団体本命堂ほんみょうどうの会長で、真の姿はこの国のアトランティス勢力の雄、根源教こんげんきょうの宗主だってか。

 そう云やあ、お前さんの大学の先輩だって話だったな』


『明日二郎、まだ入門 和仁吾郎の力の程が判明してないんだぞ。

 不用意な精神感応は控えてくれ』


『わーったよ。

 そんなにガミガミ言うない。

 但し、ピンチの時には迷わず進言するゾヨ……』


 明日二郎に注意して再び入門に注目する宮森。


⦅この国に根を張るアトランティス勢力の長と云われるが、圧倒的な威厳や非凡な才能と云ったものは感じられない。

 悪く言えば愚鈍ぐどん

 良く言えば純朴じゅんぼくな人柄に見える。

 だが奴がまと飄々ひょうひょうとした態度のうちには、どことなく人を小馬鹿にしてもてあそぶ、陰気な余裕が垣間かいま見えるな。

 奴には、そう云った性質の邪神が巣食っていると云う事かも知れない。

 それにあの多野 教授がこの宴席を辞退までしたんだ。

 入門の在学中に教授と一悶着ひともんちゃくあったと云うのは本当らしい……⦆


 宮森が入門の分析にいそしんでいた中、瑠璃家宮が宴席の開始を告げる。


「今回の宴は余に協力を申し出てくれた入門 殿の歓迎と、先日熊野で起こった事態の収拾に尽力した者達の慰労いろうを兼ねた会である。

 では、存分に楽しみ給え」


 そうこうしている内に宴会が始まる。


 宗像は好物の酒がただで飲めるとあってホクホク顔。

 綾も瑠璃家宮から食べさせて貰うなどしており、仲の良さを存分に見せ付けている。


 瑠璃家宮と綾の光景を見遣みやる権田 夫妻も、我が事のように幸せそうな表情だ。

 入門も『美味うまし、美味し……』と、締まりのない口元をモシャモシャと暢気のんきに動かしている。


 宮森も料理にはしを付けると、すかさず明日二郎が感覚を共有して来た。

 帝室ていしつ専属の料理人が作っただけあり、ふたりは歓喜の舌鼓したつづみを打ち続ける。


 大方の客が膳を平らげたのを見計らい、給仕係が追加で小鉢こばちを持って来た。

 菓子デザートの類らしいが、給仕係の顔色は優れない。

 と云うより、給仕係の顔面に、かたくなに呼吸を止めているような不自然な力みが感じられる。


 小鉢が行き渡った後、瑠璃家宮が自慢げにすすめた。


「今日に合わせてを仕込み、たった今収穫したモノである。

 皆、遠慮なく食し給え」


 運ばれて来た小鉢には、小指の先程の大きさで松ぼっくりに似た形のモノが、朱黒あかぐろじるの中に浸っていた。


 得体の知れない小鉢をいぶかった宗像が鼻を近付ける。


「うぉえ~っ!

 え、えらい匂いやな……。

 食えるんかコレ?」


 宗像が宮森に向け小言こごとを発したのと同時に、明日二郎からの緊急警報エマージェンシーアラートも届く。


『おいミヤモリ、いま直ぐ御霊分みたまわけの術法でと交代しろ!

 あの小鉢の中身は人間の脳の一部分、松果体しょうかたいだ!

 のまま食っちまえば、たちまち霊性がけがれるぞ!』



 宮森と宗像 以外の一同には満面の笑みが浮かぶ。


 いや、本性があらわになる。

 

 権田 夫妻はまばたきの無い魚の眼。


 入門は悪徳を値踏みする蛙の眼。


 綾は官能の光をともす〈異魚にんぎょ〉の眼。


 瑠璃家宮は現世うつしよの全てを喰らい尽くさんとする蛸の眼。


 魔人達は遠慮なく松果体をむさぼり、霊性が穢れくのを、恍惚こうこつうちに楽しんでいた――。





 慰労の宴 その三 了

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