第一節 慰労の宴

慰労の宴 その一

 一九一九年六月一三日 宮森の下宿先





『え~~っ。

 そりゃないぜオニイチャンよー』


 爽やかに初夏がかおる今朝の空気とは真反対の嘆息たんそく


 その嘆息をこれでもかと絞り出すのは、宮森みやもり 遼一りょういちの脳中に居候いそうろうする奇妙な友人、比星ひぼし 明日二郎あすじろう


 彼らは今、別の場所に居る明日二郎の兄、比星 今日一郎きょういちろう精神感応テレパシーでの会話中なのだ。


 不満タラタラの明日二郎を今日一郎がさとす。


『明日二郎、これはもう決まった事だ。

 それにお前は、宮森さんの師匠なんだろ?

 弟子の成長をさまたげてどうする』


『でもよ~オニイチャン。

 いくら霊感を研ぎ澄ます為の修業だからって、一日一食はないぜ~。

 食だけがオイラの生き甲斐なのに、これじゃ何の為に生きてんのか分かりゃしねー』


『残念だけど僕らには時間が無い。

 宮森さんを一端いっぱしの魔術師に育て上げるには、四の五の言ってられないからね。

 最短経路で頼むよ明日二郎』


 なぜ明日二郎がここまでブーたれているのかとうと。


 明日二郎はこの物質界に実体が無い為、食事の快感を楽しむには、他の人間に憑依してその感覚を共有しなければならないのである。

 その楽しみがほぼ一日一回しか楽しめなくなるのだ。

 不満が噴き出すのも無理はない。


 宮森も明日二郎を諭しに掛かった。


『仕方ないだろ明日二郎、慣れるしかないよ。

 五穀断ごこくだちだの十穀断じゅっこくだちだの言ってたじゃないか。

 弟子より先にシショーが参ってどうする』


『ム~、分かった。

 一日一食で我慢しようではないか。

 ただし、念願の食事の際は豪勢に頼むぞ!』


『はいはい。

 女将おかみさんにはそう言っとくよ』


 明日二郎が渋々しぶしぶ了承した所で、今日の本題に入る。


『宮森さん。

 今日は確か、帝居ていきょ瑠璃家宮るりやのみや謁見えっけんの予定だったよね』


『ああ。

 宗像むなかたさんと一緒にね。

 ここで自分を売り込んで、組織の上層部に食い込まなければならない』


『それをかんがみると、熊野くまのの一件は大変な僥倖ぎょうこうだったね。

 宗像 藤白とうはくも引き入れる事が出来たし。

 何よりあの天芭てんば 史郎しろうに重傷を負わせたなんて、控えめに言っても大手柄だよ』


 天芭 史郎。

 あの天才魔術師を相手に、宮森 達がいま生きていられること自体が奇跡とも言える。

 それ程の手練てだれだった。


 皆が天芭の事を思い起こしていた矢先、階下から女将の呼び出しが掛かる。


「宮森さ~ん、お客さんがみえたわよ~」


「は~い、ぐ行きま~す」


 どうやら帝居からの使いが来たようである。


 既に身支度を終えていた宮森は階下へ出向き、帝居からの使者と対面した。


「おはよう御座います宮森さん。

 御変わりありませんか?」


しばらくぶりですね益男ますおさん。

 見ての通り元気そのものです」


 帝居からの使者は、先の熊野旅行で一緒だった権田ごんだ 益男。

 彼もまた魔術結社九頭竜会くずりゅうかいの魔術師であり、瑠璃家宮の側近のひとりである。


「では女将さん、行って来ます。

 戻りは夜遅くになると思いますので、晩御飯は用意してもらわなくていいですよ」


「はいよ。

 じゃあ、いってらっしゃーい」


『ダァ~、晩飯も抜きかよ~』


 まだ朝であると云うのに悲嘆にれる明日二郎をなだめつつ、宮森 達は帝居へと向かった。





 一九一九年六月一三日 帝居 歓談室





 宮森 達が帝居へ到着すると、いつもの歓談室に案内された。


 豪奢ごうしゃ波斯ペルシャ絨毯じゅうたんの上には低卓ローテーブル長椅子ソファー

 いずれも重厚過ぎず優美さを加味した意匠デザインで、歓談室にふさわしい華やかさを与えている。


 この部屋には女性も多く出入りする為か、シャンデリアや壁面の持ち送りブラケット照明もアールヌーボー調で統一されており、部屋のおもむきを一層柔らかにしていた。


 先客が居る。

 多野たの 剛造ごうぞう


 宮森の恩師であり、現在は真道院しんとういん大学の学長を務める。

 瑠璃家宮の側近中の側近にして魔術師。

 邪神復活計画の為に宮森を利用しようと、彼を九頭竜会に引き込んだ張本人である。


 長椅子ソファーに腰を下ろしたままの多野が、探るように宮森をけ彼を呼んだ。


「ふむ、来たか。

 掛けたまえ宮森 君。

 益男 君も御苦労。

 もう直ぐ頼子よりこ 君と宗像 殿も到着するはずだ」


 宮森と益男は多野の反対側の席に着くと、一分と経たないうちに頼子が宗像を連れ入室する。


「多野 教授、宗像さんを御連れしました。

 宮森さんも暫くですね」


「失礼するで~。

 おう宮森はん、元気しとったか?」


 多野の威圧感にやや気圧けおされ気味の宮森だったが、宗像による相も変わらずの気さくな挨拶で、なんとか気持ちを切り替える事が出来た。


 頼子と宗像が着席した所で、多野が宗像に挨拶する。


「御初に御目に掛かりますな、宗像 藤白 殿。

 私は真道院大学の学長をやっとる多野 剛造です。

 熊野では災難でしたな」


「ご丁寧にありがと御座います。

 ワイが宗像 藤白であります。

 多野 教授の事は、お弟子の宮森はんからよう聞いてますよ。

 熊野ん時は、宮森はんと権田 夫妻に仰山ぎょうさん助けて貰いましてん」


「教え子がそちらの御役に立ったようで何より……」


 多野は部屋にしつらえてある柱時計を見やるとおもむろに立ち上がり、部屋の皆に告げた。


「もうじき殿下が御出おいでになる。

 宗像 殿にも御起立願おう」


「ややっ、もう殿下が御出でになるので?

 多野 教授、ようお判りになりますなあ」


 全員が起立してから十秒もたないうちに、侍従じじゅうドアが開き瑠璃家宮が入室して来た。


 即座に全員が最敬礼さいけいれいする。


「皆の者、今日この場に集って貰い感謝する。

 席に着き給え」


 瑠璃家宮の号令で全員が着席し、熊野の一件での論功行賞ろんこうこうしょうが始まった。


[註*論功行賞ろんこうこうしょう=功績や戦績を調べ、それに応じた褒美を与える事]





 慰労の宴 その一 了

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