4-5
午後からの撮影は外で行われ、今日の全ての工程が終わった時には太陽が西へと傾き始めていた。
「今日はお疲れ様でした」
「……お疲れ様でした。それでは、また後日」
撮影の関係者たちと笹森さんに挨拶をすると、彼女はそれだけ言ってマネージャーさんと一緒に事務所へと帰っていく。
去り際、私に見せた僅かな微笑みには自信が溢れていて、その整った顔が昼間の話を思い出させていた。
何で、私なんだろう。
彼女をファインダーで覗き込む度に、その不安が脳裏をよぎっていく。
笹森さんにとって、私は仕事上のパートナー以上に何か感じ入るところでもあるのだろうか。
他にも気になることは色々あるけれど、今はそれを聞けるほどの余裕がないので一頭の端に追いやってから仕事に気持ちを切り替えて私もスタジオに戻っていく。
帰社してからも後片付けや今日の写真の整理などをしているとあっという間に外は暗くなってしまい、部屋に帰った時には空に星が輝き始めていた。
そのままリビングへと上がり、ソファにへたり込むように腰を降ろす。
「なんか、今日はいつも以上に疲れた」
ぼんやりと天井を眺めながら、大きなため息が口から零れる。
それと一緒に、彼女の話を改めて背景に流れ始めていた。
ずっと見続けていた夢が、あと少しで叶えられる。
様々な人の反対を押し切り、故郷の友達とも別れて一人で追いかけてきた理想にようやく手が届きそうなところにまで辿り着いていた。
けれど、これから彼女の進む道にちゃんと歩いていけるのか、期待してくれるその想いにきちんと応えられるのか、完全とは言い切れない自分の腕にその悩みがずっと付いてきていた。
それに、笹森さんの誘いを受けるには何かが足りなくて。
このまま進むと、何か大切なことを忘れたままになるような気がして。
明確な答えのない大きな選択を迫られる度に弱々しい自分が現れてしまい、一歩踏み出しきれないことに深く溜息をついていた。
自分の優柔不断さに気分が沈み込んでしまい、埋もれるようにソファーに寝そべる。
そこへ、スマホがけたたましい音を立てて鳴り出していた。
今は人と話す元気がないのでしばらく放置していたが、いつまで経っても止む気配を見せない。
「もしもし」
「やっと出た」
会社からかと思い渋々電話をとると、その相手は数年ぶりの母親からだった。
「そりゃずっと鳴らされたら嫌でも出るよ」
昔から変わらない無遠慮なところに呆れながらも、元気そうな声に少しほっとしている自分がいた。
高校進学に合わせて一人で上京して以来、半年に一回の頻度でしか連絡をしていなくて、帰省に至っては一度もしていない。そんな状態なので娘としてはたまに両親のことを気にするのだが、こうして相手の都合を考えずに電話をかけてくる図太さがあるのを鑑みるに、当面は体調面の心配する必要はなさそうだった。
「それで、急にどうしたの?」
「美乃莉に中学校から同窓会のハガキが着てたわよ。今週末には出欠の返事を出さないといけないみたいだけど、どうするの?」
「……もうそんな歳になるんだ、私」
同窓会という言葉に今まで忘れていた時間の経過を唐突に突きつけられるのと同時に、中学生時代の思い出が走馬灯のように流れてくる。
担任の先生やお世話になった新聞部の子たち、そして圭の顔が順番に浮かんできては消えてを繰り返し、あの頃から相当大きくなった自分に少し感慨深くなっていた。
——その記憶の中に、知らない誰かと一緒に過ごす映像が映り込むまでは。
顔は黒く染まってよく分からないが、背丈は私と同じぐらいでよく一緒に登校したり学校近くの神社で待ち合わせていたり、夕暮れの中で私が写真を撮っている隣にもその子は立っていた。
心当たりのない光景に寒気がして、思わず身震いをしてしまう。
けれど、そこに当てはまりそうな人物がいないわけではなかった。
これって、ひょっとして……。
「悩むぐらいなら、参加に印つけちゃうわよ」
私が沈黙してあの子に気を取られている間に、返事を待ちわびた母が勝手に決めようとする。そんな身勝手な行動を慌てて止めようと、咄嗟に声を荒げて静止させようとしていた。
「ちょっと! 勝手に決めないでよ!」
「そうは言うけど、あんた上京してから一度も帰ってないじゃない。せっかくこうして昔の友達と会える機会があるのに、それを無下にしてるといつか後悔するわよ。あとこっちにも顔を見せなさい」
それだけを言うと、母は電話を切ってしまっていた。
やや強引なところは変わっていなくて、こっちに来る時もそれで何度か揉めたことを今になって頭を埋めてしまい、余計に怒りが込み上げてくる。しかし、今はそれをぶつける気力は残っていなくて、そのままソファーへダイブしていた。
親や周囲に無理を言って出てきたのだから、何かしらの成果を出さないとここまでした意味がないし、今の自分が家族たちに顔向けできるほどの実績を得たかといえば簡単に頷くことなんて出来ない。
それに、あの子との約束を果たすことを考えると、戻るのはもう少し待った方が良い気がしてならないし、せめて笹森さんの返事をもう一度決めてからでないと自信なんて生まれそうになかった。
この十年間ずっと負い目に感じてきたことを、一人心の中で反芻していく。過去に描いていた場所に立つ機会が巡ってきたとしても、今の私がそれに相応しいかなんて分かるはずなかった。
そこで、ふと自分の言葉がもう一度蘇ってくる。
——あの子との約束って、何?
渦巻く思考回路の中にふっと現れ、あたかも昔から存在していたように残り続けている。
今まで気にしたことなんてなかったのに。
約束の内容なんて全然知らないのに。
自分の事なのに全然覚えていないことが不気味だけど、何故かそれがすごく大事なことのように感じてしまっていて。
もしかして、呼ばれてるのかな。
今日起きたことの全てを偶然という一言で片づけるにはあまりにも出来過ぎていて、オカルト的なことはあまり信じたくはないけど、ずっと引っかかり続けるあの子と何かあると考えても不思議ではなかった。
もし、故郷に帰って彼女と会えるのなら。
今の私に、何か足りない理由が分かるのなら。
その因果に引き寄せられるようにもう一度スマホを取りだし、そこから履歴で母の番号を出して再度かけようとする。
しかし、さっき小競り合いをしたばかりなので中々素直にボタンを押し出せないでいる。
そんな弱々しい背中を、そっと誰かに押される。
一瞬のことにはっとして部屋を見回す。そこには誰もいなくて、いつも通りの私の生活空間が広がっているだけだった。
それと一緒に、胸に抱えていた緊張が少し楽になっていく。
これも、あの子がしてくれたのかな。
分けてもらえた勇気に少し笑みが浮かび、スマホに映る番号へとかけ直す。
そんなに時間が空いていないこともあって、呼び出し音はすぐに繋がってくれた。
「もしもし。さっきは怒ってごめん。それで、同窓会のことなんだけど——」
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