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「以前から自立したいと仰っていましたし、新しい事務所には要相談にはなりますが桜庭さんの腕前をご存知の方もいますので、キャリアを積むという観点でも良い経験になると思うのですがいかがでしょうか?」
矢継ぎ早に繰り出される展開が予想よりも斜め上を行き、都合の良すぎる流れを受け止めきれずに整理の追いつかない頭で彼女の話を聞いている。
この状況を簡単に言ってしまえば、笹森さんは会社とのやり取りではなく私個人をフォトグラファーとして雇うということだった。
今の私は企業でいうところの会社員であって、上京してきた時に夢見ていた姿とはまだ遠いところにいる。
もし、この話を受ければ私は事実上フリーの写真家ということになり、既に仕事もある状態なので生活にも困らず一気に夢に見ていた理想へと近づくことが出来る。
そんな好条件を前に出され、普通なら二つ返事で首を縦に振りそうなものだった。
「……正直に言うと、こんな機会をくれてとても嬉しいです。でも、本当に私で良いんですか?」
周りに誰もいないことを確認してから、率直な本音を笹森さんにぶつける。
彼女が私に抱く期待や信頼が高いからこそ、この話をしてくれている。それ自体は凄く嬉しくて、だからこそどこまで応えられるのか分からないし、その先が本当に自分が望むような道筋になるのかも未知数で、漠然とした不安が一気に押し寄せていた。
その悩みをそっと受け止めるように、私の手を握り胸元まで掲げてみせる。
「あなただからこそ、お願いしたいのよ」
ここまで誰かに必要とされたのは初めてで、上京してからしばらくみかけることのなかった純粋な気持ちは眩しく、それ故に彼女が寄せる想いに「はい」とはっきり言えるほどの自信はまだ持ち合わせてはいなかった。
少し気持ちを落ち着けようと、笹森さんの視線を外して一息つく。
お誘いは大変有り難いけど、自分にはそれだけの待遇を受けるには身の丈が合わない気がする。
返事を決めてから、再度顔を向ける。
瞳に彼女を映せば——夢のあの子と笹森さんの姿が重なっていた。
突然のことに驚きで目を見開き、慌てて目を擦ってもう一度視線を合わせる。そこにはあの子の姿はなく、先ほどまで喋っていた笹森さんの顔に戻っていた。
「どうかしました?」
「い、いえ! お構いなく!」
心配する彼女に空いている手を顔の前で振って隠し、何事もなかったような態度でいる。
それから、改めて姿勢を正して彼女と向き合う。
「それでさっきの話なんですけど、少し考える時間をもらってもいいですか」
話を戻しお断りの返事をしようとしていたはずなのに、咄嗟に猶予を貰いたいと告げてしまっていた。
そんな話をするつもりはなかったのに急にそんなことを口走ってしまい、どうしてこうなってしまったのか頭が混乱しそうだった。
「……そうですね。急なことで色々思うこともあるでしょうから、しばらく待ちます。良い返事が聞けることを、期待してますよ」
発言を撤回するよりも先に笹森さんから猶予を貰うことになり、それだけ言うと彼女は席を立って去ってしまう。呼び止める間もなくその背中は小さくなっていき、気づいた時にはぽつんと一人取り残されていた。
心の何処かで、未練でも感じていたのかな。
煮え切らない想いに、我ながら歯切れの悪さを感じてもやもやしてしまう。
そこへ、休憩時間終了のジングルが鳴り始め、午後の仕事の始まりを知らせていた。
それを合図に、一斉に各所で撮影が始まっていく。
今はこのことを思い出さないように気を付けながら、私も遅れないように急いで支度をして社内スタジオを後にした。
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