2-5
朝の慌ただしかった時間も、教室に入ればあっという間に授業が始まり昼休みを迎えて、気づけば放課後の時間がやってきていた。
教壇で授業をする先生も、休み時間に友達と談笑するクラスメイトたちも、グラウンドで部活に励む後輩たちでさえ、この三年間ですっかり私たちの日常の一幕になっている。そんな見慣れた景色も日が傾けば皆の別れる声が響き、差し込む西日が校内に哀愁を漂わせていた。
大半の部活は下校を始めるので、あの中に圭もいるのかなと気になり、窓の外の様子に意識を向けてみる。
次第に目が彼女を探すことに夢中になっていたが、隣から脇腹を肘で小突かれ注意を受ける。それに振り返れば、私の母が顎で目の前にいる担任に集中しろと顎をしゃくっていた。
対面する先生は、険しい表情で私を凝視している。そのすぐ下には、サイズや様式がバラバラな書類が何枚も重ねられていた。
中学三年の夏、この時期に三人だけで教室にいるとすれば大抵明るい話題ではなく、人生における大事な道を決めるために各々が真剣な顔を崩さず、重苦しい空気がずっと続いている。
今にも逃げ出したい雰囲気の中で、私は二人から大きな選択を迫られていた。
* * *
生徒指導室に呼ばれてから数十分、今学期最後の面談が終わり親と別れてから教室へと駆けていく。軽快に階段を下り、クラスの表札が並ぶ通路の一番奥の教室の前で足を止めてから扉に手をかけ、勢いよく引き開ける。
中では、窓辺の席で生温い風に髪を靡かせながらのんびりと本を読むコハルが待ってくれていた。
「面談終わった?」
「やっと解放されたよ。話が長くてもうクタクタ」
「お疲れさま」
扉の音に気づいて本を仕舞っていたコハルに、大きなため息を吐きながら愚痴をこぼす。
こんな季節でも彼女の立ち振る舞いはモデルのようにしなやかで、そんな彼女から労ってもらえてようやく張り詰めていた空気から解放されていた。
「それじゃ、そろそろ帰ろうか」
大分気持ちも落ち着きを取り戻してきたところで、帰りの合図の手を差し出している。それをすかさず手に取り、顔を一瞥してから教室を後にする。
そこから渡り廊下を歩き、下駄箱を過ぎて外の声を背景に校門をくぐれば、グラウンドからの熱気はピタリと止み、ヒグラシゼミの鳴き声だけが黄昏の中で木霊を繰り返していた。
そこから視線を降ろしてみれば、西に傾く太陽がオレンジ色の光で生まれ育った故郷を綺麗に染め上げ、それから間もなくして街道を照らす電灯にぽつぽつと光が放たれ、まるで星のような輝きをみせはじめる。
眺める光景は、さながら夜空を地上に転写しているようで、幻想的な景色が遠くにまで広がっていた。
その様子に一瞬で魅入られ、わき目も振らずに鞄に手を伸ばしてカメラを取り出す。
そのまま構図を確認しながら手早く構えて、撮り逃さないようにシャッターボタンに指をかけ、決めたタイミングで押し込んで一枚抑える。
すぐさまプレビュー画面に移し出来栄えを確認すると、想定以上の写り映えに一人大きく頷いていた。
「上手く撮れた?」
「バッチリ」
ここまでの一連の動きを黙ってみていたコハルが肩から写真を覗き込んできたので、私は喜びのピースサインを向けてから、彼女にもその瞬間をみせていた。
中学に上がってから写真を撮る頻度はますます増えていき、校内以外は所かまわず自分が良いと思った場面を見つければすぐに取り出してはファインダーを向けている。
カメラ本体も自分で選んだのもあって使い勝手がよく、何処へ行くのにも持ち歩くようになっているので、今日みたいなことが起きるといつも肝を冷やす思いでいた。
「相変わらず上手いよね」
「ただの下手の横好きなだけだよ」
「そんなことないって。腕がなかったら写真の提供なんて頼まれたりしてないよ」
コハルにこうして撮った写真を見せる度に、私のことを何かしら褒めてくれる。
それ自体は有難いし嬉しいのだけれど、今まで人からそんな風に言われたことがなく、毎回身体中がむずがゆい感覚になって落ち着かないので、いつも謙遜してしまっていた。
それでも、継続してきたことは確かに力になっているようで、偶然写真を見た新聞部の部長から撮影協力を頼まれるようになり、時には運動部の練習試合を撮りに行くのに同行したりする機会が一年以上続くようになっていた。
「羨ましいなぁ。そういう才能があるのって」
カメラを仕舞っている隣で、ぽつりとコハルがそう呟く。
その言葉に恨んだり妬んだりするような意味はなく、色々な所で活躍する私のことを純粋に見守ってくれていた。
優しく微笑み掛けてくれる彼女は、整った容姿に清らかな雰囲気もあって照準を合わせればそれだけでも一つの構図になりそうだった。
しかし、出会ったあの日から今に至るまで、私はコハルの写真を撮ったことは一度もない。
圭とは違って撮られることに抵抗感を持っているようで、ファインダーを覗けばすぐに手で覆い隠されてしまう。それは学校での集合写真の時も同じで、いつも私を盾に後ろに隠れてやり過ごしては後で先生に怒られていることが多かった。
流石に本人が嫌がることはしたくないので、それが分かってからは隣で写真を撮ることはあってもレンズを向けたりはしていない。
それに、時折彼女の存在そのものが希薄に感じることがあり、もしシャッターを切ればその音と光と共に跡形もなく静かに消えてしまいそうな、そんな風に思ってしまうことが何度かあった。
流石に突飛な発想すぎるので、そのことをコハルに言ったことは今まで一度もない。
けれど、時折感じる彼女に対する想いが、嘘ではないような気がしてそれが大きな不安として私の心を突いていた。
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