第46話
晩御飯は何にしようか、と話しながら大切な人と変哲のない道を歩く。
冬だというのに、今日は日差しが強くぽかぽかとして過ごしやすい。
ひさしぶりに、沙仁はショート丈のパンツを身につけていた。
義足を露わにして、堂々と外出している姿をこの島で初めて見たかもしれない。
沙仁の中の蟠りが、少しずつ溶けて来ているのだ。
「買いすぎちゃったね」
「だね。けど鍋だし、大丈夫じゃない?」
鍋の素を使用してしまえば、あとは材料を鍋に入れて煮込んで完成だ。
寒い季節にぴったりということもあり、最近はメニューに悩めば鍋ばかり作っていた。
今日はエビが安かったためいつもより豪勢なお鍋が出来るだろうと二人でワクワクしていれば、突如成人男性と思わしき、低い声が場に響いた。
「ルナさん」
驚いて振り返れば、そこには眼鏡姿の男性が立っていた。
清潔感があって、背が低めなこともあり威圧感もない。
一見、彼に害があるように見えなかった。
「あの、オレ…」
最近は、すっかり変装もしなくなっている。
帽子を被っているが、そもそも彼女の長身はどうやっても隠しようがないのだ。
「ファンの人?ごめんね、いまプライベートだから」
「違くて、あの…」
「本当ごめん、事務所通して…あれ、私ってもう契約切れてるのかな」
「その、事務所のものです!」
男性が、胸ポケットから名刺ケースを取り出して、一枚こちらに渡してくる。
そこには確かに、以前南からもらった名刺と同じ芸能事務所名と彼の名前が印字されていた。
「神崎さん…?こんな所まで何しに…」
「ルナさんをずっと探してました。1年間ずっと。契約は保留の状態なので、ルナさんのお気持ち次第で今日からでも再契約可能です」
ハキハキ喋る様子から、嘘ではないのだろう。
しかし、沙仁は未だ警戒心を完全には解いていないようだった。
「証拠見せて」
「え…」
「流石に初対面の相手に言われたらちょっと怖いし。この名刺も本物かどうか確かめようがないじゃん」
「じゃ、じゃあ…事務所の人間じゃないと分からない質問、なんでもしてください」
悩むように、沙仁が軽く頭をかく。
そして、ピンと思い付いたのか謎々を出すように、人差し指を彼に向けていた。
「じゃあ、五十鈴南の本名は?」
「五十鈴千穂」
ちっとも迷う様子がない。
そもそも、咲は五十鈴南が芸名だったことすら知らなかったのだ。
彼の答えを聞いて、沙仁は納得したような表情を浮かべている。
「…嘘じゃないのか」
ようやく信じてもらえて、神崎はホッとしたように胸を撫で下ろしていた。
わざわざ離島までやってきて探しに来てくれた彼に、立ち話はなんだからと契約しているマンスリーマンションに誘う。
申し訳なさそうに、神崎は首を縦に振っていた。
「お腹空いたから鍋作ってからでいい?」
「あ、はい…」
「座ってて」
「僕も何か手伝いましょうか?」
「はあ?私と咲の楽しいクッキング邪魔するの?」
ダイニングテーブル前の椅子に、神崎がぴしゃりと腰を掛ける。
笑った顔ばかり見ていたせいで忘れていたが、美人が威圧感を出すとかなり怖いのだ。
予定通り鍋の素を使ったため、すぐに晩御飯は完成する。
カセットコンロと共にテーブルの上にセットして、3人で食卓を囲んでいた。
「神崎さん、なんで私がここにいるって分かったの?」
「SNSをずっとエゴサーチしてたら、目撃情報が出てきたので…」
「一か八か来たの?私のために?なんでそこまでするの」
「僕が、新しいマネージャーだからです」
驚いたように、沙仁はお箸を止めてまじまじと神崎を見つめていた。
「そうなの…?」
「はい、ご挨拶をしに行った時には病室からいなくなってしまっていたので…1年越しの挨拶になりましたが」
「1年間探してたの?ずっと、私を?」
力強く頷く神崎を見て、沙仁は戸惑っているようだった。
目線をうろうろと彷徨わせながら、言葉を必死に探しているように見える。
「なんで…?他にもモデルなんていっぱいいるじゃん。片足のないモデルが出来る仕事なんてないでしょ」
「エゴサーチで目撃情報を見つけてから…営業を再開してたんです。色んな企業に」
茶碗を置いて、神崎が席から立ち上がる。
そして、ソファの上に置いていた鞄から何かを取り出していた。
「一件だけ、ルナさんを起用したいというブランドがありました」
そう言って彼が差し出したのは、一枚のパンフレット。
表紙には、義足を付けた男性の写真が使われていた。
「ドイツの大手義肢メーカーから。パリでの活躍を見ていたらしく、お願いしたいとのことです」
「義肢メーカー…?」
「上手くいけば、ルナさんとしての大きな一歩になると思います。どうしますか」
その問いに、沙仁は酷く戸惑っているようだった。
仕事を受けるべきなのか、自分でも悩んでいるのかもしれない。
「考えとく」
神崎も、無理に答えを聞こうとはしなかった。
パンフレットを渡して、「また来ますから」という言葉を残して、マンションを後にしていく。
ジッと、沙仁はパンフレットを見つめていた。
決して、誰一人として無理強いはしない。
誰が何を言おうと、決断をするのは沙仁で。
どうしたいのかも、結局は本人にしか分からないからだ。
普段よりワンセット分多い食器を洗い終えて、珈琲を二人分淹れる。
コーヒーフィルターが、そろそろ無くなってしまいそうだった。
それくらい、長い間ここにいたのだ。
「珈琲飲む?」
「せっかくだから、夜空見ながらがいいな」
エレベーターで最上階まで上がって扉を開けば、そこには屋上が広がっている。
咲もここで、よく絵を描いているのだ。
大きめのブランケットを一緒に羽織りながら、夜空を見つめる。
寒い体に、珈琲の暖かさがジンと沁み回っていた。
「……どう思う?」
「モデルをしてるルナも、普通の女の子の沙仁もどっちも好きだよ。だから、一番は沙仁の気持ち次第だと思う」
「……うん」
「けど、沙仁の魅力は足が一本ないくらいじゃ変わらないけどね」
不安そうな顔をする沙仁に、咲はかつて彼女から貰った言葉を返した。
「この有名な画家になる予定の私が太鼓判を押すモデルだよ?魅力しかないに決まってるじゃん」
あの時、咲が本当に嬉しかった言葉。
無理かもしれないし、叶わないかもしれないけど。
もう一度前を向こうと思えた、沙仁から貰った言葉だ。
マグカップを太めの手すりに置いて、沙仁と向き合う。
「モデルとして、生きてきたんでしょ」
「うん……」
「もう、やめる?お母さんの承認欲求を満たす必要もないし、マネージャーに義理立てする必要もない。沙仁がどうしたいのか、それが一番でしょ」
あれほど彷徨っていた彼女の瞳が、ようやく焦点が定まったような気がした。
もう、悩みの色も滲んではいない。
覚悟が決まったように、まっすぐな目をしている。
きっともう、彼女は大丈夫だ。
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