第43話


 そっと瞳を開いて、彼女の寝顔が目の前にあることに胸を撫で下ろす。


 あまりにも幸せすぎて、目が覚めたら終わってしまう夢なのではないかと怖かったのだ。


 時計を見れば、既に時刻はお昼時を迎えていた。昨日夜更かしをしてしまったせいで、二人ともすっかり寝坊してしまったのだ。


 朝ごはん代わりに昨日の残り物であるカップケーキを食べてから、行く当てもなく島を歩く。


 そして、珍しく咲の方から沙仁にお願いをした。


 「私、伊豆大島観光したいな。おすすめのところある?」

 「案内したげるよ、任せて」


 手を引かれて、彼女に釣られて足を進める。

 サンダルを履いている咲とは違い、沙仁はずっとスニーカーしか履いていない。


 もう真夏はすぐそこだというのに、相変わらず長いジーンズを履いたままだ。


 以前の彼女とは違う服装。

 趣味が変わったと言われればそこまでだが、どうしても引っ掛かりを覚えてしまう。


 やはり、気にしているのだろうか。


 「そういえば、ハムスケはどうしたの?」

 「高3の春に亡くなったよ」

 「え…」

 「あの時一緒に探してくれてありがとね。おかげで寿命までハムスケは生きられた」


 寿命と聞いて、沙仁はホッとしたように胸を撫で下ろしていた。


 ハムスターの平均寿命は2年と短い。ハムスケは3年だから、長生きした方だ。


 「海は、観光客が多いから今度でも良い?」


 ここで裸足になるのが嫌なのだろうかと思ってしまうのは、考え過ぎだろうか。


 もちろんと頷いてから、流れを変えようとスマートフォンを取り出す。

 そして、昨晩にお気に入り登録をしたお店のホームページを開いた。


 「ここのカフェ行ってみたい。カレーが美味しいって口コミに書いてた」

 「そこ行ったことあるよ。行こう」


 2人で手を握り合いながら、ゆっくりと歩く。

 

 平坦な道のりを、ジリジリとした日差しの中で歩いているだけだというのに。


 そんなことで、幸せだと感じてしまう。


 大切な人と歩いているだけで、どうしてこんなに幸せで堪らないのだろう。


 離れていた分の隙間を埋めるように、ギュッと握る力が強くなる。


 同じように力を返されて、咲はこっそりと喜びを感じていた。




 

 少し入り込んだ道を進んだ先に、目的のカフェはあった。あまり混み合ってはおらず、並ばずに店内に案内される。


 2階に上がってからカウンター並びの席に座れば、広大な自然の景色が広がっていた。


 「なんか、小学生の頃の林間学校思い出すよ」

 「こんな森みたいなところに行ったの?」

 「そう、キャンプ場で一泊二日だったかな」


 夜になればキャンプファイヤーをして、帰りのバスでは終わるのが寂しくて涙を流してしまうほど、楽しかった思い出。


 もう10年以上前のことなのに、咲にとっては大切な記憶の一つだ。


 「小学生の頃はどんな子だった?」

 「うーん…真面目だった。小6のときは学級委員長とかやってたよ」

 「めっちゃ想像できる」

 

 会話の途中で、注文していたカレーセットが運ばれてくる。


 器は全て陶器で出来ており、とてもオシャレだ。


 口に含めば家庭のものとは違う、スパイスを沢山使った美味しさが口内に広がる。


 「美味しい…やっぱり家で食べるカレーとは違うよね」

 「わかる、家のカレーもお家でしか食べれないけど」


 どちらもそれぞれの良さがあるのだ。

 少し量が多かったと言うのに、美味しさのあまり完食してしまっていた。


 食後のチャイを飲んでから、お店を出る。

 

 「おいしかったね」

 「ねえ、写真撮ろ」


 スマートフォンのインカメラを向けられて、二人で撮影をする。

 一般人だと丁度いい加工アプリも、元が整いすぎている彼女にはほとんど必要ないだろう。


 フィルターを幾つか変えて撮影をしてから、沙仁はしみじみしたように言葉を溢していた。


 「……私たちって、全然写真撮ったことないよね」

 「そもそも、デートもしたことないよ。もしかしてこれが初めて…?」


 四年以上の付き合いになるのに、なんだか不思議な感じがする。


 お互い夢に向かって、忙しかったせいだろう。


 先ほどのように、手を握り込む。指を絡ませた恋人繋ぎをした後、ずっと言いたかった言葉を口にした。


 「じゃあ、沢山デートしよう?」


 ここでなら、人目もあまり気にしなくていい。

 時間や仕事に追われずに、ゆっくりと過ごすことが出来るのだ。


 仕事でろくに学校に行けなかった彼女と、今までデートは勿論外で会ったこともなかった。


 だからこそ、この時間を大切にしたかったのだ。


 

 


 続いて、二人は動物園へとやって来ていた。

 ゆっくりとした歩幅で園内を回りながら、離れていた間のことを話し合う。


 「大学は友達できた?」

 「うん、一番年上の人だと31歳の人。社会人になった後、美大に入りたくなったんだって」

 「すごいね、夢諦めないの格好いい」

 「ね。皆んな絵描くのが好きな人たちだから、すごく楽しいよ」


 課題が多くて大変なこと。

 結局、喫茶店は半年で辞めてしまったこと。


 コンテストに幾つか出したが、いまいち芽が出ずじまいなこと。


 デパートコスメを買うようになって、化粧品に割く費用がかさむようになったこと。

 

 少しだけ、高い化粧水を買ったこと。


 背伸びをして、高いヒールの靴を履くようになったこと。


 そんな他愛のない話を、沙仁は楽しそうに聞いてくれていた。


 


 うさぎの触れ合い広場に到着して、彼女は躊躇うことなく、嬉々とした声を上げた。


 「抱っこできるんだって、行こうよ」


 既に決定事項らしく、咲の返事を聞かずに触れ合うためのチケットを購入してしまう。


 「うさぎは臆病なんで、大声とか驚かせることはしないであげてね」


 係のお爺さんが言う注意事項に耳を傾けてから、ようやくうさぎを抱っこさせてもらう。


 白くてふわふわで、柔らかい。


 思わずハムスケを思い出して懐かしんでいれば、パシャリと言うシャッター音が耳を掠めた。


 驚いて見やれば、沙仁がこちらにスマートフォンのカメラを向けている。


 「可愛いと可愛いの暴力だね」

 「ずるい」


 咲だって、うさぎと戯れている沙仁の写真が欲しいのだ。


 真似をしてスマートフォンで撮影すれば、楽しげに笑みを浮かべる姿を保存することができた。

 

 今日だけで、何枚も写真を撮った。

 咲だけが持っている、沙仁の写真。


 モデルのルナとして撮影されたどんなに栄誉ある賞やポスターよりも、とても価値のある写真のように感じてしまっていた。

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