第35話


 室内には油彩絵具の独特な香りが立ち込めており、各々がキャンバスに向かって筆を動かしていた。


 授業の終了時刻は既に終わっているが、皆一向に席を立ち上がろうとしない。


 しかし、これから予定のある咲は一足先に画材を片付け始めていた。


 「あれ、咲もう帰るの?」

 「うん、高校の友達と会う約束してるから」

 「そっか。やっぱり地元進学だと友達が近くにいていいなあ。羨ましいよ」


 そう言う友人は、大学から仲良くなった子で、幾つか同じ講義を受講しているのだ。


 確か地元は宮城で、今年の春上京してきたと聞かされていた。


 一浪しているため、同じ学年だけど咲より一つ年上なのだ。


 「じゃあまた明日ね」


 手を振ってから、一人で教室を後にする。

 提出まであまり時間はないが、根が真面目なおかげで無事期間内に提出出来るくらいには進行が進んでいる。


 入学をして半年。


 長い夏期休暇を終えて、季節はすっかり秋を迎えていた。


 外に出れば昼間に比べたらひんやりと冷え込んでいて、トートバッグに入れていたカーディガンを羽織る。


 キャンパス内には紅葉の木が幾つかあって、色づく様が綺麗だと友人たちと話していた。


 大学にも慣れて、咲なりにキャンパスライフを謳歌しているつもりだ。


 もちろん課題の提出に追われているため、世間一般的な大学生よりは忙しい。


 無事に志望大学に合格をした咲は、今年の春より大学生になっていた。


 難関とも言われる美大受験は浪人覚悟だったというのに、何と現役での合格を果たしたのだ。


 ここには、色んな人がいた。


 何浪もした末にようやく入学を果たした人。

 一度社会に出たけれど、夢を追いかけられずに入り直した人。


 皆が、この大学で夢のためにひた走っているのだ。




 大学生になれば当然私服登校なため、毎朝服を選ぶのも億劫で、つい適当な格好になってしまう。


 油絵で汚れるのも嫌で、大学へ行くときはお気に入りではない服で登校していたのだ。


 しかし、今日の咲は違う。

 高校3年間を共に過ごしたかつての親友たちと久しぶりに会うのだからと、咲なりにオシャレをしてきたつもりだ。


 待ち合わせ場所に予定より5分前に到着すれば、そこには既に二人の姿があった。


 「咲!こっちだよ」


 髪色を綺麗なブルーアッシュに染めて、大人っぽい雰囲気を醸し出しているのは美井だ。


 卒業後美容師の専門学校へ進学した彼女は、すっかりと垢抜けてオシャレさんになってしまっている。


 いまだに五十鈴南を応援しているらしく、ライブやイベントへ行ったと嬉しそうに報告するメッセージが度々送られてきていた。


 「今日予約した店イタリアンなんだけど、良かったよね?」


 率先して店の予約を取って来れたのは、リリ奈だ。

 彼女は現在実家を継ぐために経営学部に通っており、勉強は中々大変らしい。


 元より長かったまつ毛は、マスカラのおかげかさらに伸びて、ぱっちりとした印象をしていた。


 卒業して半年経つが、相変わらず仲がいいまま。


 2年生の頃はクラスが離れてしまったが、3年生で再び同じクラスになって、卒業式には共に涙を流した。


 切磋琢磨した仲間で、今も度々会っているのだ。




 リリ奈が予約してくれたイタリアンのお店は少しだけ薄暗く、ジャズのBGMがより一層店の雰囲気を良くしているようだった。


 センスの良い彼女が選んでくれるお店はいつもおしゃれで、料理の味も申し分ない。


 注文したマルゲリータピザを頬張っていれば、炭酸水を飲んでいる美井が興味津々の様子で質問をしてくる。


 「それで、みんな彼氏できたとかないの?」


 少しだけ罪悪感を抱きつつ、ゆっくりと首を横に振った。

 沙仁のことを根掘り葉掘り聞かれるとまずいため、誰に聞かれても「いない」と答えているのだ。


 また、彼氏はいるのかと聞かれているのだから、あながち嘘はついていない。


 「咲は相変わらずかあ。リリ奈は?」

 「いないわね、美井は?」

 「いるわけないじゃん。南ちゃん一筋だよ」

 「出た、なんとか南。それだといつまで経っても彼氏できないよ」

 「リリ奈だっていないじゃんか」


 卒業して、進路もバラバラで、なかなか会えないけれど。


 こうして集まれば楽しいし、仲の良かったかつてを思い出す。


 饒舌な二人がくだらないことで言い争って、咲がその場に入る。


 あの頃のように毎日会えるわけではないけれど、咲にとっては変わらず大切で、かけがえのない親友たちなのだ。


 

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