第31話


 駅前のパフェを食べに行こうという誘いを断って、咲は一人で美術室に篭っていた。


 あの子が去る前に、この絵を描きあげたかったのだ。

 最近では予備校がない日は決まって美術室に来て、缶詰状態で絵を仕上げていた。


 オレンジ色の夕日が差し込む室内で、カタンと音を立てながら筆を置く。


 およそ、2ヶ月かけたあの子の絵。

 

 「…出来た」


 ようやく、完成したのだ。


 最初は真っ白だったキャンバスが、様々な明るい色で溢れている。


 以前画材店で購入した油絵具を惜しみなく使ったおかげで、満足のいく作品が出来上がっていた。


 中心には、大好きなあの子の笑った顔。

 雑誌やモデル、CM広告では見られない。


 本当に楽しそうに、無邪気に笑うルナだ。

 

 「…結局、絵のモデルしてって言えなかったや」

 

 最初に描き始めた時はそのつもりだったというのに、プライドや恥じらいのせいで、言えずじまいだった。


 油絵具で描いたこの絵を、あの子に見せたら何と言うだろうか。


 結局タイトルも、決まらなかったままだ。

 あの子の本名だって、知らないまま。


 「もし、ルナと出会えなかったら……」


 咲はきっと、今も絵を描けなかった。

 パスタを茹でる時はお湯の温度を測って、きっちりと調味料だって計量スプーンを使っていただろう。


 彼女のおかげで、もう一度立ち上がれた。


 だからこそ、お別れまでの残り僅かな間、笑顔でいよう。


 あの子が、気持ちよく羽ばたけるように。


 今度は、咲が背中を押してあげるのだ。





 金曜日の学校終わりに、珍しく咲から声を掛けて仲の良い二人と共に街まで繰り出していた。


 駅を乗り換えてやってきたのはショッピングモールで、遥々洋服を買いにやってきたのだ。


 ネットショッピングか迷ったが、実際にサイズ感を確認したかったため、時間をかけてここまで足を運んでいた。


 莫大な敷地面積を誇っているため、レディースファッションブランドはパーク内に何店舗も入っているのだ。


 先ほどから色々と吟味しているが、納得のいく服は見つからないままだった。


 「これ可愛いかな?」

 「うーん…?咲はショッキングピンクより淡いほうが似合うよね」


 いつ見ても、リリ奈は服がおしゃれで可愛らしいのだ。

 彼女のいう意見はどれも参考になるものばかりで、先ほどから頼ってばかりいた。


 「本当?スカートの方がやっぱり女の子らしい?」

 「うん、けどいきなり服見に行きたいなんてどうしたの」

 「おしゃれしたいなって思って」


 ルナと大島へ行くための服を見に行きたい、だなんて口が裂けても言えるはずがない。


 少しでも可愛いと思ってもらいたくて、オシャレをしたかったのだ。


 他に良い服はないかと店内を見渡していれば、美井が驚いたように大きな声を上げた。


 「まさか好きな人!?」


 興奮した様子で、楽しそうな表情を浮かべている。


 どうして、この世代の女子というのはこんなにも恋バナが大好きで食いついてくるのだろう。


 「ち、ちがうよ…」

 「だって、咲がオシャレしたいとかいうの初めて聞いた」

 「そうなの?咲いつも可愛い服着てない?」

 「咲のお母さんがオシャレとか大好きな人だからさ。しかもめっちゃ可愛がられてるから、毎月お洋服送られてくるんだよ」


 美井の言う通り、咲は両親からかなり可愛がられている自信がある。


 中学三年生時に両親がアメリカへ赴任することが決まったために、滑り止めとして全寮制のある高校を選んだのだが、その際も酷く寂しがっていたのだ。


 子役を始めるきっかけとなった赤ちゃんモデルに応募したのも、我が子可愛さに自慢をしたくなっただけなのだ。


 「じゃあ、おしゃれにあんま興味なかったの…?あれ、それなのに急におしゃれしたがるって…」

 「そう、絶対おかしい!」


 顔を見合わせて、二人はワクワクしたように瞳を輝かせていた。


 大して仲良くない子の恋バナでも喜んで聞くこの子達にとって、親しい友人の恋愛事情なんて楽しくて仕方がないのだろう。


 「だれ?うちのクラス?」

 「私の知ってる人?ねえ、教えてよ」


 もちろん言えるはずがなく、必死にはぐらかす。


 同性で、あのモデルのルナに片想いしているだなんて、絶対に言えるはずがない。

 

 逃げるように足早に服を眺めながら、誰かのためにオシャレをするのが、ひどく楽しいと思っていた。


 喜んでくれるだろうか、可愛いと思ってくれるだろうかと、そんな想像をするだけで心が暖かくて仕方ない。


 好きな人のためにおしゃれをするのが、こんなに幸せな気持ちになれるだなんて、知らなかったのだ。




 

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