第30話


 昼休みの始まりを告げるチャイムを聞き届けてから、咲はいつも通り仲良しの3人組で机をくっ付けていた。


 今朝はお弁当を作るのが面倒臭かったため、朝に購買で買ってきたパンがお昼ご飯だ。


 焼きそばパンを食べ終えてから、おやつがわりにメロンパンを頬張っていれば、驚いたような女子生徒の声が背後から聞こえた。


 「え、これ本当?」

 「ルナすごすぎじゃない?」


 ルナというワードに、思わず耳をそばたててしまう。

 しかし、それ以降は声のボリュームを落としてしまったために、結局聞こえずじまいだった。


 「ルナ、なにかあったのかな……」

 「これじゃない?」


 咲の溢した言葉に、リリ奈がスマートフォンの画面を向けて答えてくれる。

 

 そこには、ルナがフランス発祥の有名ブランドにて、日本人初のモデルを務めるという記事だった。


 きちんと事務所から発表された文面を元にしたもので、ネット記事とはいえ信憑性は確かだろう。


 バックから服、そして靴まで手広く展開しているブランドで、誰でも一度は名前を耳にしたことがあるほど有名なのだ。


 日本限定公開ではなく、世界各国で彼女の写真が出回ることになるのだ。


 「すご…っ、本当同い年とは思えないよね」


 美井の言葉に、異論があるはずもなく首を縦に振る。


 とうとう国を飛び出して、本格的に海外で活躍していくのだ。

 

 所属は日本の事務所のままと記事には書かれているが、おそらく向こうでの活動がメインになるのだろう。


 モグモグと、口を動かすスペースが遅くなる。

 もしかしたらと、少しだけある可能性を考えてしまっていたからだ。


 だけどそれは考え過ぎで早とちりだろうと、必死に思考の中からかき消す。


 せっかくだから、何かプレゼントをしてあげよう。

 ルナが喜ぶものといえばお菓子くらいしか思い浮かばないが、他に良いものはないだろうか。


 そうやって他のことを考えながら、咲は必死に嫌な予感から気を紛らわせていた。






 その日、ルナはいつにも増して遅く帰ってきた。

 フランスのモデルとして起用されることが決定して以来、更に雑誌や広告に出ずっぱりの状態なのだ。


 髪の毛をドライヤーで乾かし終わって、ヘアオイルを馴染ませていれば、洗面所の扉をノックされる。


 開けば、ラフな格好をしたルナが立っていた。

 睡眠時間もろくにないせいで、目の下にはくっきりとクマができてしまっている。


 化粧や照明で撮影では上手く隠されているのだろうけど、以前に比べれば顔色も悪いような気がした。


 だけど、それを咲が指摘できるはずもない。

 

 モデルとして有名になるために生きている彼女に、無責任に口を出せる言葉なんて、今の咲の立場ではあるはずがないのだ。


 「咲、ちょっといい?」

 「なに」

 「天体観測がてら散歩しようよ」


 唐突な誘いに、戸惑いつつも首を縦に振った。

 好きな女の子と、二人きりで夜空の下を歩けるのだ。


 寧ろ、断る理由がどこにもないだろう。


 夏が近づいているおかげで、夜というのに寒さはない。


 そうして気づけば夏が来て、蒸し暑い日々がやってくるのだろう。


 秋が来て、紅葉を見て楽しんで。

 冬がくれば、雪の下を寒がりながら歩くのだ。


 その時、ルナは隣にはいない。

 だからこそ、この僅かな時間を噛み締めながら、夜空の下を歩いていた。


 街頭を頼りに、夜道を歩く。

 天体観測といっても、二人ともちっとも上を見ていない。


 ただ、ジッとお互いの影を眺めていた。


 「今度ね、フランス発祥ブランドのモデル起用が決まったの」

 「ネットの記事で見たよ、本当におめでとう」


 ピタリと、彼女の影が止まる。

 咲も歩くのをやめれば、自然とルナと向き合う形になった。


 下から見える彼女の綺麗な顔は、珍しく緊張しているように見えた。


 「…事務所は変わらないんだけど……暫く、フランスに行くことになった」


 薄々、そうなることは勘づいていた。

 高校生だけど、学生の本業を全うするより、別のものを世界から求められている。


 二人は影の大きさすら、違う。

 20センチ近く身長差があるのだから当然だ。


 側から見れば、咲はひどくちんちくりんに見えてしまうのだろう。

 ルナの隣に並んでしまえば、大抵の女の子はスタイルで叶いようがないのだ。


 「パリコレはまだだけど…間違いなく近づいてる」

 「…すごいね、本当にすごい」

 「だから…学校、辞めることにしたよ」


 一瞬、何を言っているのか分からなかった。

 少しずつその言葉を噛み砕きながら理解しても、心は受け入れまいと拒否しようとしている。


 少しでも気を抜けば、その場に倒れ込んでしまいそうなほど、ショックを受けている自分がいた。


 「え……?」

 「ずっとね、言われてたの。夢を追いかけるなら普通の学校生活は諦めろって…けど、やっぱりドラマとか漫画で見るような高校生活送って見たくて、今まで我儘言ってたの」


 ギュッと、下唇を噛み締める。

 咲にとって、ルナの中身は普通の女の子と何も変わらない。


 だけど、確かにこの子は世界が認めるスタイルとルックスを兼ね備えた、特別な子なのだ。


 「でも、本気で世界を目指すなら…そろそろ本腰入れないといけない」


 何と声を掛ければいいか、悩んでしまう。上手い言葉は何一つ浮かんでこなかった。


 とうとう、やってきたのだ。


 本当の意味で、お別れする時が。

 

 必死に笑みを張り付ける。

 こうなることは、最初から分かっていた。


 ルナが遠くに行ってしまうことは、始まった時から決まっていたことなのだ。


 だけど、まさかこんな形で離れ離れになるなんて思わなかった。


 同室が解消されても、同じ学内にさえいれば、もしかしたらすれ違えるかもしれないと、愚かに期待していた。


 学校すらも辞めてしまうのであれば、本当に二人の間で接点はなくなってしまう。

 

 「最後に何かして欲しい所ある?行きたいところとか…」


 その声は震えていた。

 寂しいと、離れたくないと。

 言ってしまえたら、楽だったのに。


 困らせてしまうことが分かっていたから、言えなかったのだ。


 「伊豆大島、行きたい」


 確か、都内から十分日帰りで行ける距離だ。

 忙しい彼女であっても、そこであれば行けるかもしれない。


 「本当は沖縄が良いんだけど、遠いし…。小さい頃から仕事で忙しかったから、沖縄に行く代わりに大島に連れて行ってもらう予定だったの。けど、それも仕事が入って行けなくて…」


 「だから、行きたい」と言葉を続けるルナに、大きく頷いてみせる。


 仕事で忙しくて、学校生活はおろか、旅行すらろくに行けなかったこの子のために。


 思い出した時に笑みを浮かべてしまうような、思い出を作ってあげたいのだ。


 「楽しもうね」


 きっと、これが最初で最後の旅行になるだろう。


 好きな女の子との、二人きりでの旅行。

 とびっきり、楽しい思い出にしたい。


 どんな服で行こうか。

 可愛い服で目一杯おしゃれをして、少しでも可愛いと思ってもらいたい。


 記憶の中で、可愛い女の子として彼女の記憶に残りたいのだ。


 痛む心に鞭を打って、咲は何とか笑みを浮かべていた。


 

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