第29話
最近、晩ごはんのメニューを決めるときはいつもあの子が基準になってしまっている。
ルナが仕事で忙しく一人で食べるときは、出来合いのもので簡単に済ませているというのに、一緒に食べられるときは、気合を入れて食材を買い込んでしまうのだ。
喜ぶ顔見たさにお菓子も幾つか買い込んでしまったために、購買で購入した品物が入ったエコバッグはパンパンに膨れ上がっていた。
重さに溜息を吐きながら道のりを歩いていれば、向こう側から見知った顔を見つける。
変装をしていても、丸くてクリクリした大きな目が特徴的な五十鈴南は、すぐ分かってしまうのだ。
あちらも咲に気づいたようで、手を上げながらこちらに駆け寄ってきた。
「ひさしぶり、握手会ぶりかな」
「ですね」
「この前の話、ちょっとは考えてくれた?」
芸能界に復帰しろと、南は何度も咲に勧めてくれている。
あんな形で引退するのは勿体無いと、咲の引退を惜しんでくれているのだ。
「咲ちゃんが戻りたいって思ってるなら、最後のチャンスだと思う」
「え…」
「引退したのは8年前だっけ…?美少女に成長した元人気子役の現役復帰ってなれば、後数年が再デビューのチャンスだよ。復帰までに、暫くはレッスンとか受けなきゃいけないだろうし」
残された時間は僅かだと、南は言いたいのだ。
彼女の言い分は正しい。
大人になればなるほど、再デビューの道は狭くなるのは目に見えている。
南が咲のためを思ってくれているのは分かっているが、咲の中でもう想いは決まっていた。
「私、自分のことが許せなかったんです。子役を辞めて、芸能界から逃げ出した自分が……許せなくて、バカ真面目にこれまで生きてきました」
要領が悪いくせに、一生懸命になって、空回りをしてばかりで。
頑固で頭が固い自分が、好きではなかった。
自分のことを、大切にしてやれていなかったのだ。
「けど……あの子が、そんな私が良いって言ってくれたんです。それがどれだけ嬉しかったか、たぶんルナは知らないだろうけど…」
脳裏に思い浮かぶのは、ルナの無邪気な笑みだった。
自由奔放で、天然で。
格好をつけた言葉でないと分かっているから、尚更咲の心にジンと響いたのだ。
「逃げて良いって、教えてくれたんです……けど、ルナが好きだって言ってくれた絵からは逃げたく無い。今度こそ、最後までやり遂げたいんです」
「そっか…」
「美大に行くための予備校に、最近通い始めました。私要領悪いから、絶対に芸能活動と両立はできない」
深々と、南に向かって頭を下げる。
酷くほっそりしていて、見るからに一般人ではない五十鈴南の足。
咲が逃げ出したあの場所で、今も走り続けている彼女のことを、本当に尊敬している。
だからこそ、生半可な気持ちで再び彼女と同じ場所へ戻りたくないという気持ちも確かにあった。
「何度も誘ってくれたのに、本当にごめんなさい……それに、役を引き継いでくれてありがとうございました」
「いいって。その役のおかげで私人気出たって言ったでしょ?」
「私の頃はそんなにその役は人気なかったんです。だから、南さんだから人気が出たんですよ」
どこか照れ臭そうに、南が頬をかく。
沢山褒められているであろう彼女が、恥ずかしそにするとは少し意外だった。
「…あー、勿体ない。絶対人気出るのになあ。けど、強敵が現れたら困るからいっか」
咲が罪悪感を抱かないように、わざとそんなふうに言っていることは分かりきっていた。
そこで会話は終わるかと思ったのに、南は更に言葉を続けた。
誰も知らない咲だけの秘密に、そっと触れてきたのだ。
「…ルナのことは、いいの?」
「……気づいてるんですか?」
「だって、普通同級生の女の子の絵描かないよ?美術室に篭って何日もね」
言われてみればたしかにその通りだろう。
憧れているにしても、少し度が過ぎている。
知られたのが南でなければ、酷く揶揄われてしまっていたかもしれない。
「…いいんです」
それはまごうことなき本心だった。
自信を持って返事を返したというのに、南は複雑そうな表情を浮かべている。
離れ離れになる、残りわずかな時間。
ルナのそばにいて、ほんの少しだけ独り占めできるのであれば、それ以上贅沢を言うつもりはなかった。
ただ、そばにいられるならそれで良いと思えるのだ。
重たいエコバッグを無事に寮の自室まで運び終え、材料を仕舞い込んでいく。
お菓子は後でびっくりさせようと、普段あまり使用していない左側の引き出しに詰め込んだ。
エプロンを付けて、キッチンで晩ごはんを用意していれば、先ほどまでソファでゴロゴロしていたルナがひょこっと顔を出す。
「今日の夜なに?」
「パスタだよ」
「私も手伝う!」
楽しそうにキッチンまでやってきた彼女を見て、今さらながらにルナの体では台所が使いづらそうだと思った。
背が高いため、野菜を切るのも軽く前屈みにならないといけない。
あれでは腰を痛めてしまいそうで、隣でそれが心配でならなかった。
「出来たよ」
切ってくれた野菜は、大きさは全てバラバラだった。
自由にザクザクと切ったからだろう。
だけど、それも彼女の良さだとおもってしまう。
そんなふうに思えるのも、全てルナのおかげなのだ。
「今日って何パスタ?」
「トマトとナスと、挽肉の…名前なんだっけ」
「ごちゃまぜパスタだね」
あまりにも適当すぎる料理名に、思わず笑ってしまう。
最初は驚いていた彼女の奔放さが、いまは愛おしくて堪らないのだ。
それも良さだと、受け入れられる心の余裕をルナが作ってくれた。
計りは使わず、調味料だって適当だ。
パスタ麺を茹でる時間も、以前だったらきっちりタイマーで計っていた。
「お醤油ってどれくらいだっけ?あれ、そもそも入れるのかな」
「適当で、いいんじゃない?」
咲らしくない言葉に、ルナは一瞬だけ驚いたような顔をした。
だけど、すぐにおかしそうに笑っていた。
「そうだね」
ボトルを傾けて、お醤油をドバドバと入れていく。
完成したパスタは、色々と適当に作った割には美味しそうな見た目をしていた。
向かい合わせに席について、二人で手を合わせてから食べ始める。
「美味しい!」
野菜にはきちんと火が通っていて、味も申し分なく美味しかった。
入れ過ぎだと思ったお醤油も、全くそんなことはなくいいアクセントになっていた。
「これは咲のオリジナルメニューだね」
得意げに彼女が言うから、咲も自分に自信が持てるのだ。
楽しくて、愛おしくて。
ずっと一緒にいたいと、そんな欲を出しそうになってしまう。
ただゆっくりと食事を取るだけのこの時間が、1秒でも長く続けばいいのにと、そんなことを考えてしまっていた。
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