第27話


 人の多い会場内にて、咲はクラスメイトの美井とリリ奈の3人で長蛇の列に並んでいた。


 周囲にいる他の客は殆どが男性で、女性は数えるほどしかいない。


 既に30分ほど並んでいるため、足はすっかり疲れてしまっているが、勿論座る場所なんてあるはずない。


 最初は3人でわいわいと会話をしていたが、次第にそれぞれスマートフォンを弄り始め、しまいにはそれすら飽きてしまったのだ。


 辺りにいる人は美井も含め慣れっこなのか、この状況に文句も言わずにジッと列が進むのを待っているようだった。


 「これ、あとどれくらい並ぶの?」

 「うーん…1時間ちょっと…?」

 「はあ!?カフェに行けるの何時になるのよ」


 信じられないと辟易したリリ奈に対して、「ごめんって!」と美井が申し訳なさそうに謝る。


 本来であれば、土曜日に3人で人気なカフェへ行く予定だった。


 しかし、美井が当日になって応援しているアイドルの握手会がある用事を思い出したのだ。


 午前中には終わるからと、3人で五十鈴南の所属するアイドルの握手会まで来るはめになっていた。


 終わり次第カフェへ行く予定だが、一体いつになるのだろうか。


 「美井、いつもこんなに並んでなんとか南と握手してるの?」

 「ちゃんと五十鈴南ちゃんってここでは言って!ファンの人しかいないんだから…」


 ファンとしては当然のことなのか、美井が苦言を呈した。


 たしかに、ファンでもないならなんでここにいるのだと思われてしまうだろう。


 アイドルとしての五十鈴南と会うのは初めてで、どこか緊張してしまう。


 ルナをきっかけに会話をして、一緒に朝ごはんを食べたなんて、誰も思いやしないだろう。


 あの子と出会ってから、非日常的な出来事ばかりだ。

 

 一番熱心に応援している美井から握手をして、3人組の最後尾に並んでいた咲は一番最後に握手をした。

  

 散々興味がない素振りをしたため驚かれるかと思ったが、南は全く表情を崩さなかった。


 ふりふりのスカートにキラキラとしたスパンコールがついたトップスを着て、見たことがないくらい満面の笑みを浮かべている。


 咲の両手を取って、痛くない力でしっかりと握り込んでくれた。


 「はじめましてだよね?来てくれてありがとう〜」


 普段より一オクターブ高い声をしたのはそこまでで、グッと彼女の口が咲の耳元あたりまで近づく。


 周囲の人に聞こえないくらいの小さな声で、普段通りの声色で話し始めた。


 「咲ちゃん、私のこと推してくれたの?」

 「友達がファンで…」

 「そっかそっか。こんなに可愛い子が来てくれるとは思わなかったよ」


 もしかしたら、周囲の人から変に思われないように、アイドルのファンと会話をしている風に話してくれているのかもしれない。


 本当にこの人はアイドルのプロで、多くの人から指示を得ているのもそういった所だろう。


 これが、国民的に愛されるアイドルなのだ。


 「てっきり芸能人の子が来たのかと思ったよ。一般人にしておくのは勿体無いなあ」


 思わず苦笑いを浮かべれば、今日一番と言うくらい小さな声で、再び彼女が言葉を溢す。


 周囲の人には絶対に聞こえない。目の前にいる咲だけに送った声。


 「本当に、芸能界に戻る気ないの?」

 「今更戻っても…」

 「ルナの側にいられたとしても?」

 

 その返事をするより先に係の人に剥がされてしまったため、答えは伝えられずじまいだった。


 あの人は、咲のルナへの想いに気づいているのだろうか。


 だとしたら一体なぜ、いつ、どこでと沢山の疑問符が浮かんでしまう。


 モヤモヤとしたまま既に握手を終えた二人の元へ行けば、各々バラバラなリアクションをしていた。


 「どうだった?本物の南ちゃん可愛かったでしょ?」

 「うん……」

 「あの香水なんの香りかな?めちゃくちゃ良い香りだった」


 自信満々に推しメンの可愛さを語る美井と、相変わらずあまり興味がなさげなリリ奈。


 五十鈴南と握手をして、それぞれまったく違う感情を抱いているのだ。


 会場出口に向かうまでの間も、思い浮かぶのは先ほどの南の言葉だった。

 

 めざとい彼女は、一体いつ咲のルナへの想いに気づいたのだろう。


 「側にいられる、か……」


 たしかに芸能人になれば、今より確実にルナの近くへ行ける。


 寮の同室が解消されても、今よりは遠い存在にはならないのかもしれない。


 だけど、あまり乗り気にはなれなかった。

 好きな子のそばに居られるのだから、喜んで頷けばいいのに。


 大きな溜息を吐きそうになった時。

 突然背後から肩を叩かれて、咲は振り返った。


 「ちょっと君」


 スーツ姿で息を切らした様子の男性が立っていて、美井とリリ奈も不可解そうに彼を眺めていた。


 男性はてっぺんからつま先まで咲を見下ろしてから、スーツの胸ポケットから何かを取り出す。


 渡されるままに受け取ったそれは、名刺だった。


 「芸能界って興味ないかな」

 「え…」

 「もしあれば連絡して?」


 忙しいのか、それだけを言い残して男性は去っていく。


 そこに記載されていた名前は、以前南から渡されたものと一緒だった。

 

 南のマネージャーということは、怪しい人ではない。

 もしかしたら南が使いに走らせたのかもしれないし、偶然咲を見かけて追いかけてきた可能性もある。


 どちらにせよ、身元が知れない相手ではないのだ。


 「スカウトじゃん…!」

 「すごい、咲…!しかもここ南ちゃんと同じ事務所」


 はしゃぐ二人とは対照的に、咲は喜びよりも戸惑いのほうが大きかった。


 元子役で、とっくに引退したというのに。

 今さら戻ったとして、どうするのだ。

 そもそも、好きな子のそばにいられるというだけで、再び舞い戻って良い世界なのか。



 あの場所が生半可な覚悟ではやっていけない場所だということを、咲は幼なながらに経験している。


 軽い気持ちで、不純な動機では淘汰されてしまう場所だということも。


 だからこそ、こんなにも心が狼狽えてしまっているのだ。

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