第24話


 あんなに大粒の涙を流せば、翌日には当然瞼は腫れ上がってしまっていた。


 起きてすぐに手鏡で確認すれば真っ赤になっていて、側から見ても号泣したことは一目で分かってしまうだろう。


 リビングへ行っても、当然ルナはいない。


 もしかしたらと期待して眠れずにいたせいで、寝不足から頭痛まで引き起こしてしまっていた。


 どれだけ待っても、あの子はこの部屋には帰ってこなかったのだ。


 キッチンで野菜を細かく刻んでから、ハムスケにご飯を上げる。


 美味しそうに食べている姿をゲージ越しに眺めながら、大きく溜息が零れ落ちた。


 「さみしいなあ…」


 本来ここで一人で暮らすのが当たり前だったのに。

 悠々自適な、おひとり様ライフを楽しんでいたはずなのに。


 あの子がいなくなって、こんなにも寂しくて堪らない。


 こんなにも、誰か一人に焦がれる日がくるなんて思いもしなかった。


 学校へ行けば、当然クラスメイトに驚かれてしまっていた。

 泣きすぎたせいで目を真っ赤に腫らしているのだから当然だ。


 しかし、クラスメイトは勿論、仲の良い美井とリリ奈ですら気を使って、あまり深入りはしてこない。


 只事ではないと、咲の心情を察してそっとしておいてくれたのだ。

 







 以前通販サイトでこっそり購入した、彼女が表紙を務める雑誌。


 注文をした時はバレやしないかと冷や冷やしていたというのに、本人がいなくなった今となっては堂々とリビングで読むことが出来てしまう。


 パラパラとページを捲っても、どれも格好をつけた表情ばかりで、自然体のものはひとつもない。


 思い返せば、ルナと撮った写真は一枚もない。

 連絡先だって、当然のように知らないのだ。


 「…やっぱり、雲の上の存在なんだよな」


 一緒に生活しているうちに、少しだけ距離感がおかしかったのだ。

 彼女がすぐそばにいる存在のような気がしてしまった。


 手を伸ばせば、触れられるような気がしてしまったのだ。


 一度読むのを中断して、キッチンの冷蔵庫を開く。


 「……何個あるんだろ、これ」


 冷蔵庫のスペースを取るから少しずつ冷やしてと言ったのに、ルナは言うことを聞かずに欲張って幾つものリンゴジュースを冷やしているのだ。


 あの時は呆れていたと言うのに、今となればそれすらも懐かしく思えてしまう。


 ルナはいつも好んでリンゴジュースばかり飲んでいた。


 「…嘘つき」


 雑誌のインタビュー記事には、好きな飲み物は炭酸水と書かれていた。


 ダイエットのため、スナック菓子もたべないと。

 

 ひとつ手に取って、缶のプルタブを開けて勝手に飲み始める。


 いつもあの子が美味しそうに飲んでいた、ごく一般的なリンゴジュースの味。

 

 缶を片手に再び自身の部屋へ戻れば、以前美術教師に勧められた美大予備校のパンフレットが視界に入った。


 美大へ行くと宣言してから、幾つか調べてくれたらしく、評判の良いところを見つけてくれたのだ。


 「…もう、これしかないよね」


 再びルナと接点を求めるのであれば、彼女と同じ土俵まで上がってくるしかない。


 頬を強く叩き、今一度自分に喝を入れる。

 簡単なことではないかもしれない。


 だけど、ここでメソメソと泣いているのも咲の性分ではないのだ。


 たとえ無謀でも、失敗をしたとしても。


 それも咲の良さだと認めてくれた彼女を思い出せば、何だって頑張れるような気がしてしまうのだ。

 




 

 あの子がいなくなって1週間が経っても、元の日常は中々戻ってはこなかった。


 日常生活のふとした時にルナの面影を感じて、切なさが込み上げてくるのだ。


 美術教師に勧められた予備校へ、咲は一人でやってきていた。


 学校からは遠く、電車で1時間ほどの距離。

 往復では2時間掛かるこの場所に、これからは週に3回通うことになるのだ。


 志望している美大は日本で5本指に入ると謳われている有名なところで、一年生の頃から予備校に通う生徒は特段珍しくないという。


 講師に案内されて教室に足を踏み入れれば、中には私服姿の生徒から制服姿の生徒まで。


 歳も出立も様々な人で溢れかえっていた。


 皆、中央にある像のデッサンをしている。

 紙と鉛筆が擦れる音が、狭い室内に響いていた。


 中には、咲が行きたくてたまらなかった芸術科の高校の制服を着ている生徒もいる。


 だけどもう、羨ましいとは思わない。


 そう思えるのも、ルナのおかげだ。


 指定された席について、鉛筆を握る。

 そして一度、大きく深呼吸をした。

 

 思い浮かべるのは、あの子のこと。


 もう一度ルナと会えるように。


 有名な画家になって、ルナが咲の絵を見てくれる未来を想像する。


 接点のない二人には、そんな僅かな願いに賭けるしかない。


 だけど、不思議とペンが進む。


 やはり、ルナのことを考えると自然と筆が進むのだ。


 あの子が笑ってくれるならと、描きたくなってしまう。


 あの子にもう一度会えるかもしれないなら、どんな努力でもしてやろうと思えるのだ。

 

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