第22話



 あのキス以来、意識してしまう咲とは対照的に、ルナは普段と変わらない。

 少し余所余所しい咲に対して、『恥ずかしがり屋だなあ』と、揶揄ってくるのだ。


 それがどこか癪で、最近では咲も大人ぶって、キスなんて大したことないふりをしているのだ。


 キッチンで、グツグツとカレーを煮込む。

 ごく一般的なカレーでルーを使用したものだというのに、以前作った時ルナは酷く感動していたのだ。


 また作ってと駄々を捏ねられて、仕方なくメニューを変更して彼女のためにカレーを作っていた。


 ルナは意外と子供舌で、家庭的な食べ物を好む。

 

 「にゃんぴょん可愛いー、頑張れ!」


 リビングからそんな声が聞こえて来て、思わず笑ってしまう。


 にゃんぴょんは子供に広く愛されているキャラクターで、夕方にはアニメも放送されている人気者だ。


 ふざけまじりに、にゃんぴょんの活躍を応援しているルナのために、人参を星型にカットする。


 生きるのは不器用だけど、手先が器用で良かった。


 お皿に盛りつけてからテーブルの上に置けば、案の定ルナは星型にんじんが乗ったカレーを見て、目を輝かせていた。


 「すごい、星型だ…!咲、こういうのは本当器用だよね」


 手を合わせてから、2人で食卓を囲むのも、すっかり日常になってしまった。


 以前までここで一人で暮らしていたのが想像できないくらい、ルナと一緒に過ごす生活が当たり前のものになっているのだ。


 「美味しい、咲のご飯がいちばんだよ」


 一生懸命に作った料理をそんなふうに褒めてもらえて、嬉しくない人なんていないだろう。


 たまらなく愛おしさが込み上げて、慌てるように太ももを指でつねる。


 疎い痛みが瞬時に走って、何とか顔が赤らみそうになるのを堪えていた。


 「ごちそうさま、先に風呂入るね」


 逃げるように、そそくさと脱衣所へと向かう。  

 鍵を完全に閉めてから、思わずその場にへたり込んでいた。


 「……なにこれ」


 あのキス以来、どこかおかしいのだ。

 それより前に抱いていた、キラキラとした感情が以前に増して心に流れ込んでくる。


 あの子を見ていると、言葉にできない何かが込み上げてくるのだ。


 どうしてそんな風に思ってしまうのか。

 考えごとをしていたせいで、いつもより長湯をしてしまっていた。


 体を熱らせながらリビングへ戻れば、キッチンシンクの上に置きっぱなしの洗い物を見つけた。


 洗うどころか、水にも浸されておらず、これでは跡が残ってしまう。


 ルナは相変わらず家事をしないのだ。

 しないといよりは、練習をする暇もないため上達できていないまま今日に至る。


 結局咲がやった方が早いと、忙しい彼女に変わって引き受ける生活が続いていたのだ。


 「もう、ルナ洗い物くらいしてよ」

 「ごめんって」

 「いつも私が洗ってるんだよ?せめて、水に浸すくらい…」

 「ごめんってば…そういえば、部屋の修理治るのそろそろらしいよ」


 初めて聞く話に、耳を疑う。

 自分でも、分かりやすいくらい戸惑った声を上げている自信があった。


 「え…?」

 「だから咲に迷惑掛けるのもあとちょっとかな」

 

 上手い言葉が出てこない。

 最初から、分かっていたことなのだ。


 ルナが咲の部屋で暮らすようになったのは、部屋の工事が原因で。


 それさえ済んでしまえば、元いたところへ戻ってしまうことくらい。


 ずっと、一緒にはいられないことくらい。


 ルナは本来遠いところにいる存在で、こうやって二人の時間が交わっただけでも奇跡なのだ。


 元々あった所へ戻るだけなのに、どうしてこんなにも心は掻き乱されてしまっているのだろう。






 こんなにも、授業というのは身が入らないものだっただろうか。


 真面目と謳われる性格で、地頭はそこまで良くないとはいえ、授業中は教師の話を聞いてしっかりノートを取っていたというのに。


 今は少しでも気を抜けば意識を遠くに飛ばして考え事をしてしまいそうで、黒板の文字を板書するのも億劫で仕方ない。


 結局全く集中できずに、休み時間になっても前回の授業の復習をしていた。


 「そう、だからマジやばいの!」

 「きゃー、杏先輩ほんっとうカッコいい!話してみたいなあ」

 「一個上なのが悔しい、なんであと2ヶ月早く生まれなかったんだろう私」


 しかし、今度は別の意味でまったく勉強に集中出来なかった。


 斜め後ろでは、女子生徒の甲高い話し声。


 「だから、南ちゃんがー」

 「もうなんとか南の話やめてよ、飽きた。てか見てこのマニキュア可愛くない?新作の買ったの」

 「かわいー、ラメ入ってる?」

 「そうなの、大粒だから目立つんだ」

 「大粒かあ、そういえば最近大福食べてないなあ」

 「買いに行こうよ。バスで一駅隣だけど、美味しい伊勢屋があるんだって」


 目の前では、勉強する咲なんてお構いなしに美井とリリ奈が楽しげに会話を繰り広げているのだ。

 

 「そう、実は前から気になってて……」

 「雄一くんかっこいいもんね」

 「やっぱり、私雄一くんのこと…」


 そして、一番咲の集中を途切れさせている会話は、右斜め横に座っている女子生徒二人組の恋話だ。


 「うん。それって、絶対恋だよ」


 行儀が悪いと思いながら、側耳を立ててしまう。

 そんなことも知らずに、二人組は更に盛り上がりを見せていた。


 「え、そうなのかな」

 「だって、彼が可愛くて仕方ないんでしょ」

 「うん…最初はかっこいいって思ってたんだけど、最近は可愛いっていうか、愛おしくて…」


 力が入ったせいで、シャーペンの芯がポキッと折れてしまう。


 ノックをしても出てこず、シャープペンシルの芯を詰め替えケースから取り出していれば、彼女たちの話は丁度核心的部分に入ってしまった。


 「この前キスされて、それからなんか意識しちゃって…」

 「きゃーっ、それが恋以外なんだっていうの!」


 斜め下に向けていたシャープペンシルの芯ケースから、勢いよく芯が溢れていく。


 机中にばら撒いてしまい、心を乱しつつ一つずつ指で拾っていた。


 「恋じゃないって……」

 「咲、どしたの……?」


 つい溢れ落とした言葉に、美井が怪訝そうな声を上げる。

 なんでもないと言えば、再び二人は大福の話を楽しそうに繰り広げていた。


 「やっぱり粒あんだよ」

 「まだまだ子供ね。こしあんのほうが美味しいに決まってるでしょ」

 「リリ奈の方がお子様だよ。固いもの噛めないの?」


 くだらなさすぎる二人の会話に脱力しながら、先程の女子生徒の話に想いを馳せる。

 

 彼女の状況と咲の状況が全く一緒で、心を酷く掻き乱されているのだ。


 恋なはずがない。

 彼女の相手は男性で、咲は同性のルナに対して似た感情を抱いているのだ。


 状況は一緒だけど、気持ちの正体までは違うはずだと、心の中で否定を繰り返していた。


 


 

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