第15話


 授業合間に友達と話す内容といえば、くだらないものばかりだ。


 数学の先生が面倒くさいとか、自分にばかり当ててきて腹が立つと言った愚痴から、SNSで話題になっているファッションアイテムなど。


 コロコロと話題は変わるが、皆それが当たり前のように各々話したい話題を提供する。


 いつも通り、仲良し3人組でくだらない会話を繰り広げていれば、一人の男子生徒に声を掛けられた。


 「七瀬さん、ちょっといい?」


 そういって一枚の紙を差し出したのは、咲と隣の席同士である男子生徒だ。


 その紙を受け取りながら、戸惑いの声を上げる。


 「なにこれ?」

 「来月、天文部が主催で天体観測やるの知ってる?」


 緩く首を横に振る。3人とも部活には所属していないため、そういった事情には疎いのだ。


 咲は絵を、美井はアイドルのおっかけ。


 リリ奈は学外で英会話教室に通っているそうで、それぞれ理由があって放課後は部活に勤しむ暇がない。


 「俺、天文部なんだけど…告知のためのポスターを七瀬さんに描いてもらえないかなって」

 「私…?」

 「うちの部、男ばっかりで描ける子誰もいないんだよ。前、ルナの絵描いてたじゃん。あれまじで上手だった」


 悪気のない言葉に、思わず顔が引き攣ってしまっていた。

 案の定、リリ奈が意外そうに目を開いている。


 「ファンだったの?」

 「ちがっ…」

 「まあ綺麗だもんね。けど咲って絵上手だったんだ。知らなかった」

 「すごい上手なんだよ?中学の頃は幾つかコンテストで賞を貰ったりしてたの」


 何故か咲よりも、得意げな様子で美井が自慢をしている。


 中学から一緒なため、美井は咲が描く絵をよく知っているのだ。


 「けど私……」

 「まじでなんでも良いからさ!あんま深く考えずに適当に描いてもらえれば」


 お願いと頭を下げられて、断るほど鬼ではない。


 一年生が故に、ポスターを描けと先輩に圧を掛けられている可能性だってある。困り果てている生徒を見捨てるほど、人でなしではないのだ。


 頷けば、心底ホッとしたように彼は胸を撫で下ろしていた。


 どうやらA4サイズの紙に、タイトルと日時の詳細を記載さえすればデザインは自由らしい。


 「本当にありがとう」


 用紙を片手に、少しだけ怖くなる。

 絵は好きだ。

 描くことも、デザインを想像することも。

 

 だけど、描けるだろうかという不安が過るのだ。


 受験を落ちて以来、描けない日々が続いていた。


 しかし、ルナの絵はさらさら描けたのだから平気だろうと、無責任に自分を鼓舞していた。

 





 絵を描くのに一番最適な場所は、咲にとっては美術室だ。

 

 放課後になればここに足を運ぶことはすっかり日課になっており、今日も例に倣ってやって来ていた。


 用紙を前に、どこか緊張してしまう自分がいる。

 宣伝ポスターということは、学園中に咲の絵が張り出されるのだ。


 天体観測の宣伝なのだから、やはり寒色系の色を中心にダークな色合いにするべきだろう。


 無難に星や月を描いて、あとは宣伝文を書き込んで仕舞えばいい。


 「あれ…」


 筆が、進まない。

 何が、正解なのだろう。


 どう描けば、褒められるのだろう。 

 どうすれば、認めてもらえるのだろう。


 必死に止めようとしても、はじまり出した自問自答は続いていく。


 咲の絵で、良いのだろうか。


 そもそも、なんのために絵を描いているのだろう。


 「……ッ」


 鉛筆を仕舞い込み、頭を抱える。

 やはり中学受験を落ちたあの日から、変わっていない。


 前に進めていないのだ。


 不器用で、頭でっかちで。

 要領が悪くて、バカ真面目。


 柔軟性に欠ける咲が描く絵は、果たして誰かに認めてもらえるのだろうか。


 「もうやだ…」


 描くのが、苦しい。

 あんなにも楽しかったはずなのに。


 描いた後を想像すると、怖くてたまらなくなる。


 一生懸命描いたものが、否定される恐ろしさは、咲の中でトラウマになっているのだ。


 あの子の絵は、描けるのに。

 ルナの絵だったら、スラスラと筆が進んでくれるのに。


 それ以外のものを描くとなると、怖くて仕方なくなるのだ。





 結局、天文部のポスターの下絵は何も完成しないまま、咲は寮の自室へと戻って来ていた。


 また、絵から逃げたのだ。

 逃げたらいけないことは分かっていて、バカ真面目な性格は必死に絵を描こうと努力しているというのに。


 その真面目さが空回り、すっかり身動きが取れなくてなってしまっているのだ。


 絵を描こうと、逃げるなと自分を強制すればするほど、益々遠い所へ行ってしまうような気がしていた。


 その日の晩、いつも通りソファに座ってテレビを眺めていれば、隣で誰かと電話をしている彼女の声が自然と耳に入ってきてしまっていた。


 「え、落ちた…?嘘でしょ、えー…まってよ」


 珍しく沈んだ声に、耳を立ててしまう。

 通話が終えるのと同時に、ルナは横から勢いよく抱きついて来た。


 「咲〜…イメージモデルのオーディション落ちた」

 「え……」

 「パリコレ常連のブランドだったから、採用されたら出場確実だったのに……本当に悔しい」


 どう声をかければいいのか、戸惑ってしまう。

 失敗した時。上手くいかなかった時。


 その対処法を知らない咲が、他者にアドバイスなんて出来るわけがないのだ。

 

 一言も声を出さない咲に、ルナはむくれたように声を上げた。


 「頭撫でてよ」

 「こう……?」

 「うん……審査員見る目ないわ」


 サラサラの、彼女の髪を優しく撫でる。

 初めて触れたが、見た目通り柔らかかった。


 天使のリングがルナの髪の綺麗さをよく表している。


 「自信あったの?」

 「もちろん」

 「ルナはすごいね…自分に、自信があって」


 堂々として、自分への自信に満ち溢れている。

 

 失敗をして、それから足をもつれさせてばかりいる咲とは正反対だ。


 「咲は自信ないの?」

 「どうだろう…」

 「あのさ、何があっても咲を愛して、絶対に守ってあげられる存在って誰かわかる?」

 「え…お母さんとか?」


 パッと思い浮かんだ人物を答えれば、ルナは首を横に振っていた。


 体を離してから、こちらに人差し指を向けてくる。


 「咲だよ」

 「……ッ」

 「他の奴らになんて言われようとも、自分のことは守ってあげるんだよ。好きでいてあげなよ。世界で1番の味方なんだから」


 その言葉に頷いたけど、どう返事をしたのかは覚えていなかった。


 彼女の言葉がジンと胸に響いて、浸っていたせいだろう。


 ルナはこうやって、時折咲の心を溶かしてくれるのだ。




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る