第11話
お風呂から上がって、お気に入りのさくらんぼ柄のパジャマを着る。
ドライヤーで髪を乾かす頃には22時を過ぎているというのに、いまだにルナは帰ってこない。
豆乳を温めてから、ソファの上で少しずつ飲んでいれば、玄関から鍵が解除される音が聞こえた。
一度大きく深呼吸をする。
豆乳が入ったマグカップをテーブルの上に置いてから、リビングに入ってくる彼女に「おかえり」と声を掛けた。
こうやって、挨拶をするのだって久しぶりかもしれない。
「咲…」
「ここ、座って」
そう言ってソファを指差せば、マスキングテープの境界線より向こう側にルナは腰掛けた。
咲が怒っているから、ルナはきちんと言うことを聞いているのだ。
叱られた子供のように、こちらの様子を伺っている。
その姿に、咲の良心がジクジクと傷んだ。
「……怒ってる?」
「もう、怒ってはない」
「え……」
目をパチクリとさせてから、ルナが嬉しそうに口元を緩めた。
身を乗り出して境界線を超えてこようとする彼女に、「待って」と手のひらを向ける。
「その前に、言うことない?」
「言うこと……?」
ピンとくる節があったのか、ルナが大きく頷いて見せる。
申し訳なさそうに、少しずつ言葉を紡いでいた。
「あ、部屋ぐちゃぐちゃにしちゃったんだ……途中で仕事入ってそのままにして出かけちゃったし…掃除って難しいね。いつも咲がしてくれて当たり前って思ってた」
やはり、南の言っていたことは嘘ではなかった。
善意でしたつもりが失敗して、相手を酷く怒らせてしまう。
どちらか一方的にというよりは、互いに非があったのだ。
「パンツ嗅いだのは、別になんでもよかった。Tシャツとかジャケットとか、他にもそこにあるのが別のものだったら、それ嗅いでた。パンツを嗅ぎたかったんじゃない…変態じゃないよ」
「けど、部屋に帰ってきて同室者がパンツ嗅いでたら、普通に怖いでしょ?想像してみてよ」
目を瞑って、ジッと想像をして見せる。
次にパッと目を開いたルナは、驚愕した声を荒げてしまっていた。
「こわ……咲、変態じゃん」
「でしょう?」
「……うん」
どうして咲があんなにも怒ったのか、ルナは申し訳なさそうにしょんぼりと落ち込んでしまっていた。
下唇を噛んでいる仕草が、あまりにも可哀想で。
身を乗り出して、自分で引いたはずの境界線を超えてしまう。
ソファに座りながら、体ごと彼女の方を向いた。
「部屋片付けようとしたのに、知らずに冷たく当たってごめんね」
「グチャグチャにしちゃったし…怒ってもしょうがないよ」
「私も、ルナから同じ言葉が欲しい」
回りくどい言い訳や、機嫌を取るためのお世辞もいらない。
ただ、咲が欲しいのはひどくシンプルな言葉。
子供が悪いことをしたときに教わる、あの言葉が彼女から欲しかっただけだ。
ルナもそれに気づいたようで、眉根を寄せて申し訳なさそうな顔をした。
そして、勢いよく咲を両腕で抱きしめてくる。力が強く驚いていれば、大きな声でルナはその言葉を口にした。
「ごめんなさい」
力が強く苦しい中、そっと笑みを浮かべる。
恐る恐る、咲も彼女の背中に腕を回した。
「ごめんね、咲」
「……うん」
そのままゆっくりと背中をさすってやる。咲も悪いことをした時、謝った後は母親によく背中をさすってもらったのだ。
懐かしさに想いを馳せていれば、急にソファに柔らかい感触が触れた。
驚いていれば、してやったりの表情を浮かべているルナに見下ろされていることに気づく。
ソファに押し倒されてしまっているのだ。
「びっくりした?」
「もう……、良い加減にして」
「やだ」
その言い方が可愛くて。
思わず流されてしまいそうになる。
何とか彼女のペースに流されまいと、両頬を掴んで反対方向に引っ張ってやれば、おもちのようにビョンと伸びて、何ともおかしい顔をしていた。
「いひゃい」
「どいて」
「ひゃく、かぁいくないなあ」
ほっぺを掴まれているせいで、ろくに呂律が回っていない。
一生懸命喋ろうとする様子が、必死でどこかいじらしい。
手を離せば、渋々と言ったように彼女が咲の上から退いていく。
ソファに手をついて起き上がれば、ほっぺたにふわりと柔らかい感触が一瞬だけくっついた。
「は……?」
「仲直りのチュウ」
じわじわと、恥ずかしさから頬が赤くなる。
こんなの、美井やリリ奈とはしたことがない。
本当に天然で、自由人なルナじゃないと、こんな恥ずかしいことサラリとやってのけないだろう。
いくら同性とはいえ、仲直りにほっぺにチュウなんてしないはずだ。
戸惑って、ルナに心を掻き乱されてばかりだけど。
悔しいことに可愛いと思っているのも、また事実なのだ。
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