第8話
衝撃的な光景に狐につままれたような顔をする咲とは対照的に、ルナはいつもどおりケロッとした表情を浮かべていた。
そして、その場に立ち尽くす咲に声をかけてくる。
「おかえり」
その様子に拍子抜けしそうになるが、咄嗟にルナが手にしているパンツを奪い取る。
洗面所は風呂場とつながっているため、恐らく洗濯カゴから取ったのだろう。
「何してんの…っ、変態」
軽蔑の目を向けても、ルナはその訳をちっとも理解できていないようだ。
目を瞬かせながら、予想外の反応とばかりに狼狽えている。
「え、なんで…?」
「パンツの匂い嗅ぐとか変態以外なんなの!」
捲し立てれば、少しずつ状況を理解し始めたようで、「あぁ」と声を上げていた。
「変態じゃないよ?」
「じゃあなに?…まさか、私のこと好きとか…?」
自意識過剰のようにも感じるが、そう捉えられてもおかしくないことをしているのだ。
ジリジリと後ろに下がりつつ、彼女の様子を伺う。
「いや、それはないわ。ごめん」
返ってきたのは、申し訳なさそうな謝罪の言葉だった。
振られたような状況が、どこか腑に落ちない。
「咲のこと可愛いなって……なんだろう、ハムスターを愛でるのと一緒の感覚?」
「は……?」
「愛おしいなーって、ペットの匂い嗅ぎたくなった感じかな」
あっさりとした口調から、嘘をついているようには思えなかった。
それがルナの本心なのだろうが、発想がぶっ飛び過ぎて訳がわからない。
天才肌の人間が考えることが、ちっとも理解できないのだ。
お気に入りのマスキングテープを、咲は部屋の中央から真っ二つに貼り付けていた。
ひまわり柄から、淡いピンクのドット柄。
今まではお手紙やノートを彩るため使用していたそれを、境界線のために使う日がくるなんて思いもしなかった。
ソファに座っているルナは、不思議そうにそれを眺めている。
「咲、なにしてんの」
「ここから先に入ってこないで」
「ええー…なんで?」
「ルナが変態だから」
ぶっきらぼうに返事を返せば、ルナはどこか不服そうだ。
信じられないが本人曰く、ちっとも悪気がないというのだ。
散々変態と罵られて、機嫌が悪くなってしまっているのだろう。
「はあ?私、咲のこといやらしい目で見たこと一度もないんだけど」
「前だって私の胸揉んできたし、今日なんてパンツの匂い嗅いでたじゃん。信用性なさ過ぎなの」
ペリペリとテープを貼る範囲を伸ばしていく。
廊下にまでお気に入りのマスキングテープを一生懸命貼っていれば、呆れたようなルナの声が響いた。
「咲、それだとトイレ行けなくなるけどいいの?」
境界線は中央に貼っているため、それぞれの自室がある側が互いの陣地になるだろう。
風呂場や洗面所、手洗い場などは全てルナの部屋がある左側に取り付けられているのだ。
仕方なく、廊下のテープは剥がしていく。
よりによって可愛らしいパンダ柄のテープが無駄になってしまった。
「……大体、おっぱい殆どない咲に欲情したりしないんですけど」
カッと、一気に頬を赤らめさせてしまう。
咲の1番のコンプレックス。
恥ずかしくて、あまり人に触れられたくないそこを無遠慮に刺激されて、とうとう我慢の限界を迎えていた。
色々と我慢していたものが、一気に込み上げてくる。
テープを手に抱えながら、咲は自室の扉を開いた。
「……もういい」
「え……」
「料理も、掃除だって何にも手伝ってくれないし……もう、ルナなんて知らない」
返事を聞かずに、勢いよく扉を閉める。
なんだかんだ、優しいルナのことだ。
本気で怒った咲に対して、すぐに扉を開けて謝罪の言葉を掛けてくると思っていたのに、一向にその気配はない。
今まで、ルナは仕事が忙しいからと、殆どの家事を引き受けてきた。
だけど、それすらも馬鹿らしくなってしまったのだ。
結局1時間経っても、ルナが謝りに来ることはなかった。
玄関の扉が閉まる音が聞こえて、出掛けたのだろうかと、恐る恐る部屋の扉を開いてリビングへと向かう。
「はあ…!?」
可愛らしく並べていた戸棚の上の小物たちは、バラバラに倒されてグチャグチャだ。
床に敷かれていたカーペットもずらされているし、ソファの上に置かれていたクッションに至ってはなぜか全て床に放り投げられている。
すっかりと散らかされた室内に、咲は収まりつつあった怒りが再び再熱してしまっていた。
「ここまでしなくていいじゃん……!」
確かに喧嘩はしているが、これはあまりにもタチが悪い。
嫌がらせで部屋を散らかすなんてまるで小学生がすることだ。
ルナが謝ってくるまでは絶対にこちらから折れてやらない。
ここで折れてしまえば、きっとまたいつか同じことを繰り返すだけだ。
モデルだからと甘やかす気はさらさらない。
間違ったことをしたら、どうするのか。
高校生のあの子だったら、それをちゃんと分かっているはずだ。
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