第7話
全身を水浸しにさせながら、咲は一人で寮の自室へと戻ってきていた。
着替えたら、すぐに傘を二つ持ってルナの元へ戻ろう。
彼女が寝静まってから、夜中にこっそりとまた探しに出ればいい。
外は相変わらず土砂降りで、この雨の中一人で探させている状況が心苦しくて堪らないのだ。
ローファーを脱いでいれば、トコトコと小さな物体が廊下を歩いていることに気づいた。
「ハムスケ…!?」
名前を呼んだら、どこか嬉しそに近寄ってくる。
両手を包み込むようにしてハムスケの前におけば、小さな手足で乗り込んできた。
「家の中にいたの…?」
奇跡的に、隙間から出ることなくずっと部屋のどこかに隠れていたのだ。
ホッとするのも束の間、思い出すのはルナの存在だった。
ゲージにハムスケを戻してから、再び玄関前でローファーを履き直す。
「透けてる……」
玄関に入ってすぐの所に取り付けられた全身鏡。
雨でセーラー服が透けて、下着のラインが出ていることに初めて気づいた。
だから、ルナはジャケットを羽織らせて、一度戻れと言ったのだ。
言いようのない感情が胸の奥底からぶわりと込み上げてくる。
傘を2本引っ掴んでから、咲は優しいあの子の元まで足を走らせていた。
普通科校舎の正面玄関側の入り口付近。
ずぶ濡れの状態で、ルナは必死にハムスケを探してくれていた。
「ルナ…!」
名前を呼べば、全身を水浸しにさせた彼女が顔を上げる。
咲の早とちりで、彼女をこんな目に合わせてしまったのだ。
「ごめん……ハムスケ、部屋にいた」
「え……」
「勘違いして、雨の中探させて本当にごめ…」
「よかった」
謝罪の言葉を遮って、彼女は心の底から嬉しそうに頬を緩ませていた。
「安心したよ…本当に良かった」
街頭に照らされた彼女の顔が、眩しくて仕方ない。
美人だから、綺麗だから。
モデルだから、じゃない。
ルナという人間の、人柄の暖かさに感動しているのだ。
雑誌の中でしか知らなかった、大人気モデル。
そんな彼女の、こんな一面を知ってしまったら、夢中にならない方がおかしいだろう。
だからこそ、彼女の絵を描いていてあんなにも楽しかったのだ。
いつもだったら、何を描くか考えるのも億劫で仕方なかったというのに。
真っ白なキャンバスの前で、咲は初めて絵を描き始めたあの頃のように、ワクワクとした感情を抱いていた。
人のいない、美術室。
ここでは本当に描きたいものを、自由に描いていいのだ。
鉛筆を手に、描き始める。
スラスラ進んで、楽しくて仕方ない。
そうだ。
絵を描くのは本当に楽しいのだ。
好きなものを、自由に描く瞬間が。
咲は、堪らなく好きだったというのに、どうして忘れていたのだろう。
「バレたら、死ぬほど揶揄われそう…」
ザッと下書きを描いただけとはいえ、本人が見てしまえば絶対に気づかれてしまう。
「やっぱり私のこと好きなんだね」と、得意げに言ってくるルナの顔が容易に浮かんだ。
あの自信は一体どこから来るのか。
だけど、そんな子供っぽい面が、大人っぽい見た目との良いギャップにもなっているのだ。
帰ったら、素直に頼んでみるのも良いかもしれない。
「ルナの絵を描きたいから、モデルになってくれ」と。
久しぶりに熱中してしまったせいで、すっかり帰るのが遅くなってしまった。
ルナは確か今日、夕方頃には仕事が終わるから、既に帰って来ているかもしれない。
子供のように、お腹空いたとごねる姿が容易に想像できて、思わず笑いそうになってしまう。
慣れた手つきで鍵を開けて部屋に入れば、玄関には高いヒールのパンプスがバラバラに置かれていた。
しかし、「ただいま」と声をかけても返事はない。
「あれ、いないのかな…?」
靴は出ていたため家にいると思ったのだが、違ったのだろうか。
不思議に思いながら手を洗おうと洗面所の扉を開けば、咲は目の前に広がる光景に目を見開いた。
「スーッ……ハァッ……」
思わず、持っていたスクールバッグを落としてしまう。
教科書が入っているせいで、ドシンと重い音を立てたが、いまはそれどころじゃないのだ。
あの、ルナが。
絶世の美女だと世界から太鼓判を押されているモデルが、咲の使用済みパンツに顔を埋めて深呼吸をしている。
何度目を擦ってもその景色は変わらず、幻想でないことは明らかで。
「なにしてんの……?」
あまりにも衝撃的すぎる光景に、咲はその場から動くことが出来ずにいた。
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