第5話
スマートフォンの料理アプリで調べたレシピを表示しながら、咲は材料を取り出していた。
パスタ麺はもちろん、オリーブオイルに鷹の爪など。
ペペロンチーノを作るためそこまで食材は必要ない。きちんと揃っているかを念入りに確認をしていれば、リビングからジッと視線を感じて顔を上げた。
「今日は仕事ないの?」
「もう終わったの。15時くらいには帰ってきたかな」
ということは、学校には行っていないのだろう。
芸能人として人気のある彼女は、本当に仕事で忙しい日々を送っているのだ。
計りで2人分のパスタ麺のグラムを測っていれば、ルナがキッチンに入ってくる。
また何かお菓子を食べるつもりだろうと声をかけずにいれば、彼女はまだ測っている途中のパスタ麺を両手で掴み、そのまま鍋に放り入れてしまった。
「適当でよくない?」
お湯を張った鍋の中で、どんどんパスタ麺が沈み込んでいく。
「ちょっと…!」
「もう沸騰してるし、いいじゃん」
「ちゃんとお湯の温度計らないと…!」
茹でる際は、温度計でお湯の温度を確認してから料理をするようにしているのだ。
パスタ麺を適当なグラムで入れられたことに加えて、まだお湯の温度も確認していない。
少し強めの口調で怒れば、ルナは笑いを堪えるように声を震わせながら言葉を発した。
「お湯って100℃で沸騰するから測らなくても見ればわかるじゃん」
確かに、小学校の頃に理科の授業で習った覚えがある。
0℃で凍結。100℃で沸騰は、世間的に見た一般常識だというのに、自ら墓穴を掘ってしまったのだ。
「咲ってアホ面白いね」
アホだと言われても、心底楽しそうに笑っているルナ相手に怒る気も起きない。
さっさとパスタを仕上げてしまおうと、レシピ通りに作っていれば、再び横槍が入った。
「えい」
「ちょっと、勝手にお醤油入れないで…」
「お手本通りに作り過ぎなんだよ。料理なんて適当でいいじゃん」
「でも、美味しく作るには見本通りにするのが…」
「えー、アレンジ加えた方が美味しいかもしんないよ」
さっさとお皿にパスタ麺を盛り付けて、ルナによってダイニングテーブまで運び込まれていく。
付け合わせのサラダとドレッシングを持って彼女を追いかけた後、向かい合わせに座りながら2人で手を合わせた。
フォークを手に、完成したペペロンチーノを口に含む。
「味薄くない…?」
「ほんとだ、醤油少なかったかな」
「そういえばお塩って入れたっけ…?」
「あ」
一番肝心なものを入れ忘れていたのだ。
苦労して作ったというのに、溜息を吐きたくなってしまう。
「失敗じゃん…」
「あはは。ごめんごめん」
「もう、だからレシピ通りにしようって言ったのに…」
「けどさ、言う通りにばっかりしててもつまんないじゃん?なんか奇跡起きて、咲のオリジナルメニューとか出来ちゃうかもよ」
席を立ち上がり、ルナがキッチンへと入っていく。
すぐに戻ってきた彼女の手には、お塩の瓶が握られていた。
パラパラとペペロンチーノの上にまぶしてから、よくかき混ぜた後にもう一度口に運び込んでいる。
「あ、ほら美味しくなった」
パスタ麺が器用にクルクルと巻き付けられたフォークを口元まで持ってこられて、素直に口にする。
たしかに先程よりは味がして、美味しくなっていた。
「うん、確かに…」
「ね、案外適当にやっても何とかなるんだよ」
得意げに笑うルナを見て、どこか羨ましくなってしまう。
手を抜くのが下手くそだからこそ、彼女の奔放さが、不思議と心地よく感じてしまうのだ。
食事を終えた咲は、洗い物を他所に再びキッチンで野菜を切っていた。
食べやすいように、レタスを細かく刻んでいく。
手のひらで包み込んでしまえるほど小さいハムスケのために、咲は毎日ご飯に野菜を混ぜてあげているのだ。
「何してるの?」
「ハムスターのご飯、作ってる」
「え、作れるものなの?」
「専用のご飯もあるけど、かぼちゃとかレタスとか食べれる野菜もあるから、混ぜてあげてるの」
混ぜたご飯を片手に自室へ向かえば、興味津々といった様子でルナも後ろから付いてくる。
ハムスケは初めて会う人に、興味深そうに鼻をヒクヒクさせた後、いつも通りご飯をカリカリと食べ始めた。
「おー、食べてる…名前なんて言うの?」
「ハムスケだよ」
「そっか…愛されてるなあ、ハムゾウ」
「ハムスケだってば」
暫く可愛さに癒されてから、2人でリビングに戻ってくる。
お気に入りのフレーバーの紅茶を淹れてから、引っ張り出してきたスケッチブックと睨めっこをしていた。
今日は、まだ一度も絵を描いていない。
育乳ブラを見られまいと走って帰ってきたせいで、美術室に立ち寄れなかったのだ。
ふと、視界に入った目薬をサラサラと描き始める。
退屈さを堪えながら素描していれば、目の前に影が差し込む。
「やっぱ上手いね」
興味深そうに、ルナは咲の手元を覗き込んでいた。
「ありがとう」
「けど、すごいつまんなさそうに描いてた」
ふざけてばかりで、自由奔放だというのに。
どうして、そういうところには気付いてしまうのだ。
人から指摘されるくらい、咲は絵を描くことを楽しめていないのだ。
受験に落ちたあの日から、ずっと描くことが辛くて仕方ない。
それをどうやったら克服できるのか、分からないままでいるのだ。
「ねえ、ハムゾウの絵描いてよ」
「ハムスケだって。何回言ったら分かるの」
「そうそう。描いてみて」
ハムスケの特徴といえば、ふわふわな毛並みに、お餅のような体付きだ。
瞳は真っ黒でクリクリしていて、両手足が本当に小さくて可愛らしい。
ひまわりの種を頬袋に一生懸命詰め込む姿も。回し車を必死に回っている姿も、全て愛おしいのだ。
「どうかな?」
「上手。じゃあ、次私描いて」
全体のバランスを取った後に、シャープな輪郭を描く。
ぱっちりとした二重に、真っ直ぐに通った鼻筋。
唇は桃色で、小ぶりなのがより一層愛らしさを引き立てていた。
サラサラな髪を、丁寧に一本ずつ描いていく。
10分ほど時間を掛けて描いている間、ルナはずっとこちらを覗き込んでいた。
「本当、上手だね……目薬描いてた時よりは、描いてて楽しそうだったよ」
「え……」
「やっぱり好きなものは描くの楽しい?」
「そうだね…」
返事を聞くのと同時に、ルナがニヤニヤと口元を緩ませ始める。
その反応から、初めて彼女の口車に乗せられたことに気づいた。
「そっかそっか、私のこと好きなんだね」
「好きじゃない…」
「素直になりなよ」
「もう……っ」
気づけばすっかりルナのペースに乗せられてばかりだ。
咲を揶揄って、ルナは楽しんでいるのだろう。
チラリと、同じページに収められたハムスケとルナの絵を見やる。
スラスラと筆が乗って、あっという間に時間が過ぎていた。
気づけば、夢中になって描いてしまっていたのだ。
否定をした手前言いづらいけれど、あながち彼女の言うことは間違っていないのかもしれない。
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