第4話


 出席日数が足りず、成績が悪くても許されるのは芸能科の生徒だけ。


 普通科の咲にそれが適用されるわけもなく、きちんと授業前には予習と復習をするように努力しているのだ。


 「咲、朝から勉強?」

 「本当に真面目だよね」


 クラスメイトで友人である、美井とリリ奈が咲のノートを覗き込んでくる。

 こうなってしまえば、もう勉強は出来ない。


 饒舌な彼女達は、咲のことなんてお構いなしにひっきりなしに話しかけてくるのだ。


 「中学の頃からこんなんだもん。咲はバカ真面目なの」

 「そうなの?じゃあ、ここわかる?昨日分からないところがあって…」


 まだ真新しい英語の教科書を、リリ奈が見せてくる。

 受け取ってから、ここと指差している部分を読み込んでから、咲は正直に答えた。


 「わかんない」

 「咲はね、バカ真面目だけど死ぬほど要領悪いんだよ」

 「それって勉強の仕方が悪いんじゃ…」

 「まあまあ、おっぱい大きくするために朝晩欠かさず豆乳飲み続ける可愛い一面もあるんだよ」


 中学からの付き合いということもあり、美井は咲のことをよく知っている。

 

 お互いの好みは勿論、コンプレックスだって知られてしまっているのだ。


 「何でいうの…っ」

 「言っちゃダメだった…?」

 「咲、別に小さく……」


 チラリと、咲の胸元に視線を移したリリ奈が口を詰まらせてしまう。


 正直者な彼女が、嘘をつけるはずがない。

 だけど、友人を傷つけてしまうことを恐れて、必死に言葉を選んでいるのだ。


 「……豆乳、効果あるといいね」

 「もう二人とも黙ってよ」


 拗ねたように顔をプイと背ければ、慌てたようにリリ奈に頭を撫でられる。

 

 背も低く、体付きも幼児のようなせいで、すっかり子供扱いされてしまっているのだ。


 咲は、胸が小さいことがコンプレックスだ。


 小学生の頃、周囲の友人の胸が膨らみ始めたことに焦りを覚え始めたのが全ての始まり。

 咲はわずかに膨らんでいるのみで、世間的に見ても小さい胸をしている。


 背も平均より少し小さめなため、いわゆる幼児体型。


 だからこそ、豆乳が胸を育てるのに効果があると小耳に挟んで以来、朝晩欠かさずに飲むようにしていた。

 

 それに加えて、今日は更に秘密兵器が届く予定だった。


 ネット通販でこっそり購入した、育乳ブラ。


 それを付けるだけで、見違えるほど胸が大きくなると口コミで見かけたのだ。


 通販で購入した商品は、配送業者によって学園内に運び込まれる。


 それを各自の寮長が受け取って、わざわざ生徒の部屋の前まで置いてくれるシステムだ。


 「あれ……」


 万が一、ルナがその存在に気付いてしまったら。


 人の絵を勝手に貰っていくくらいなのだから、中身を開けて見ていたとしても不思議ではない。


 胸が小さいことがコンプレックスな咲にとって、そのための努力をしていることは恥ずかしいことなのだ。


 一気に顔色を青ざめさせる。

 1人部屋だからと軽い気持ちで購入したことを、早速後悔してしまっていた。


 



 幼い頃から、走ることが苦手だった。走ることよりも、読書や絵を描く方が大好きで。


 引きこもってばかりいるから、肌の色はこんなにも白くなってしまったのだ。


 そんな咲が、学校が終わるのと同時に全速力で足を動かして走っている。


 きっと側から見たら遅いであろう速度で、寮までの道を走っていた。


 いつもの日課である美術室で絵を描くことだって、今はどうだっていい。


 自分のプライドが掛かっているのだから、1秒でも早く部屋に帰って、宅配物を隠したいのだ。


 

 息を乱して扉を開けば、「おかえり」という声が耳を掠める。

 呼吸を落ち着ける暇もないままリビングへ向かえば、ソファの上で、携帯ゲーム機で遊んでいるルナの姿があった。


 「おかえり、朝ごはん美味しかったよ」


 すぐに部屋を見渡せば、ダイニングテーブルの上に置かれた、開封済みのダンボール。

 

 中を覗き込めば、ピンクと白の咲の下着が、新品の状態で入っていた。


 間に合わなかったのだと、絶望でその場に崩れ落ちる。


 「ねえ、ルナ……」

 「なにー、いまゲームしてるんだけど」

 「この荷物、み、みた…?」

 「あ、それ?ごめん、気になって開けちゃった」

 「私の育乳ブラ、誰にも言わないでよ」


 ソファに座っているルナの前に立って、彼女の携帯ゲーム機を取り上げる。


 見られてしまった恥ずかしさから頬を真っ赤にさせて声をあげれば、ルナはぽかんと不思議そうな表情を浮かべていた。


 「育乳…?これ、普通のじゃないの?」

 「……へ?」


 慌てて箱を見れば、確かに品物名には『衣類』と記載されて、商品の中身にも育乳といったワードはどこにもない。 

 

 見た目も一見、普通のナイト用下着にしか見えないのだ。


 そこで、ようやく墓穴を掘ったことに気づく。


 振り返れば、ソファから立ち上がったルナが、ニヤニヤしながらこちらに近づいてきていた。


 「へえ……そっかそっか。咲は胸を大きくしたいんだね」

 「…っそういうわけじゃ」

 「素直になりなよ。胸を大きくする方法、教えてあげよっか」

 「あるの…?」


 自信満々の様子で、嘘をついているようにも思えない。

 

 藁にもすがる思いで頷けば、ルナは咲の背後に回り込んで、そのまま制服の裾から手を入れてきた。


 「人から揉んで貰えばいいんだよ」

 「えっ……ちょっと、やめっ……ンッ」


 あまりにも悪ふざけが過ぎている。

 止めようにも、無遠慮に脇腹を撫でられれば、くすぐったさで体を跳ねさせてしまう。


 ホックを外さずに、ルナはアンダーワイヤーから無理やり手を差し込んで、咲の小ぶりな胸を両手で掴んでしまった。


 羞恥から、頬を真っ赤に染め上げてしまう。


 「やだっ…やめてってば……ぁっンッ」


 軽く中心の突起物に触れられた瞬間。

 誤魔化しようのない甘い声が漏れて、咄嗟に口元を押さえる。


 あれだけ遠慮のなかった彼女の手が、驚いたようにパッと離れていく。


 同性とはいえ、こんなにも明るい場所で自分の恥ずかしい声を聞かれてしまった。


 「いやー……女同士だし、ちょっとふざけよっかなって思ったんだけど」


 気まずい空気の中、流石に悪いと思ったのか、ルナも申し訳なさそうに眉根を寄せていた。


 しかし、それも一瞬で。

 すぐにあっけらかんしとした表情で、こちらにウインクを飛ばしてくる。


 「ごめんねっ」


 絶対に、ちっとも反省していない。

 羞恥は次第に怒りに変わり、咲は両手を握りしめて、ぽかぽかとルナの腕を叩いていた。


 しかし、今まで誰かに暴力を振るったこともない咲が本気で人を殴れるはずもない。


 酷く手加減をしたパンチは痛くも痒くもないのか、ルナはおかしそうに咲を見下ろしていた。


 「やり過ぎ…っ、普通直接触んない!触ったとしても服の上からでしょ」

 「ごめんって〜…そんなに感じやすいとは思わなくてさ」

 「感じやすいとか言わないで!びっくりしただけだから」

 「えー、アンって言ってたじゃん。可愛かったよ?」

 「さいってい…!」


 すっかり彼女のペースに乗せられてしまう。

 下から彼女を見上げながら、意外な一面もあるのだと、考えていた。

 

 大人気なモデルも、年相応に悪戯をして、子供のように無邪気に笑うのだ。


 雑誌ではクールな表情ばかりだったから、その笑顔がとても新鮮に感じてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る