第3話
いつも街中のモニターや、ファッション雑誌で見ていた大人気モデルが、自分の部屋にいる。
髪の毛は長くてサラサラとしており、髪質一つをとっても一般人とはかけ離れていることが見てわかった。
キャミソールから除く手は、細くて華奢なのに健康的に筋肉がついている。
きっと、スタイルを維持するために何かトレーニングをしているのだろう。
絵を描いてばかりいて引きこもっていた咲とは違い、肌の色も血色があって綺麗だった。
あまりの美しさについ見惚れていれば、ルナはスナック菓子をバリバリと頬張りながらこちらに声を掛けてきた。
「名前は?」
「七瀬咲」
「咲か。今日から私、ここで暮らすから」
言っている意味がよく分からず、口をぽかんと開けてしまう。
しかし、ルナが嘘をついている様子は全くない。
そもそも留守にしている間にこの部屋に入れたということは、寮長からルームキーを渡されたと考えるのが自然なのだ。
「どういうこと…?」
「芸能科の生徒は一人一室なんだけど、手抜き工事のせいで私の部屋、水漏れやばいの」
入学前なため詳しくは知らないが、昨年の今頃に二つの高校が併合することが決まってすぐ、芸能科の校舎と寮は建てられたという。
早急な仕事が求められたのであれば、何か欠陥が出たとしても不思議ではない。
「けど、もう部屋空いてないんだって。だから唯一空いてた咲の部屋に、直るまで居させてもらうことになったの」
「直るまでって、どれくらい…?」
「さあ?1ヶ月以上は掛かるんじゃないの」
気ままで快適な、お一人様ライフ。
何の前兆もなしに、突如として終わりを告げられてしまったのだ。
「荷物はそんなに無いから」
スナック菓子にまぶされていた青のりを指に付けながら、ルナが部屋の隅に置かれているスーツケースを指す。
確かに、家具は元から用意されているため持ってくるとしても荷物は最小限で済むのだ。
事前に引越しの準備なども、荷物が少ない生徒であれば必要ない。
「まあ仕事でそんなにいないし?咲は今まで通り過ごしてくれてればいいから」
「わかった……あ、空いてた部屋勝手に使ってたの。すぐ片付けるね」
「絵、描いてるの?」
「見たの?」
咲の問いに、ルナは素直に首を縦に振った。
油絵の具や、キャンバス。イーゼルの散乱した部屋は、詳しくない人であっても、用途が理解できてしまう。
「めちゃくちゃ上手くてビックリした。画家みたい」
これとか特に、と言葉を口にしたルナが手にしているのは、過去に咲が描いた絵だった。
絵といっても、受験勉強の最中にルーズリーフに描いただけの、落書きのようなもの。
思いの外上手く描けたために作品のコレクションに加えていたのだが、まさか運悪く見つけられるとは思いもしなかった。
「これ私でしょ。ファンなの?サインしてあげよっか」
「別にファンじゃない。雑誌で見て、綺麗だったから」
雑誌の表紙を飾っていた彼女を、模写して描いた絵。
それを、本人に見られてしまっているのだ。
恥ずかしさから奪い取ろうとすれば、ルナは咲が届かない位置まで、ひょいと腕を上げてしまった。
大人気モデルと、平均よりも背の低い女子高生。
身長差は歴然で、背伸びをしても全く届く気配はない。
「返して」
「やだ」
「返してってば…っ、ルナだったら本物の画家に描いてもらえるでしょ。そんな高校生が描いた絵なんて……」
「咲は、私がモデルじゃなかったら綺麗だと思わない?」
突拍子のない言葉に、目線を彷徨わせて戸惑ってしまう。
質問の意図がわからぬまま、咲は感じたままに言葉を並べた。
「そんなことない。一般人だとしてもルナはめちゃくちゃ綺麗だろうし…」
「そういうことだよ。画家じゃなくても、咲の絵は上手い。私は、この絵好きだよ」
好きというシンプルな言葉が、咲の心に沁みまわる。
背伸びをやめて、地に足を付ければ、ルナはその隙に絵をポケットに仕舞い込んでしまった。
「あっ…」
「じゃ、私これから撮影だから。またね」
突然現れた、台風のような人。
散々咲の心を引っ掻き回しておいて、当の本人はサッサと仕事のために部屋を後にしていった。
「……ずるい」
ルナは、分かってない。
創作をする人間が、どれだけ人の評価に飢えているかということに。
好きだから初めて、好きだから作って。
好きから始めたものが、気づけば何らかの形で評価されたいと思うようになった。
好きなものではなくて、評価されるものを描こうと、欲が出るようになった。
「……上手い、か」
ルーズリーフに描いた、モデルの絵。
ただ純粋に、綺麗だと思って彼女を模写した。
誰かから認められたかったのではなくて、描きたくて描いたものを、あんなふうに褒めてもらえた。
それがどれだけ嬉しいかを、彼女はきっと知らないのだ。
朝日に照らされて目を覚ました咲は、普段よりも室内が手狭で窮屈に感じていた。
しかしこれは気のせいではない。アトリエとして使用していた部屋の荷物を全て移したのだから、室内は画材で溢れかえっているのだ。
「まあ、あの部屋で一回も描いてないけど…」
アトリエなんていうのは建前で、本当は怖かっただけだ。
画材を見るたびに、絵を描かなければという焦燥感に駆られていたのだ。
落ちるくらい下手なのだから。
人より才能がないのだから。
天才ではないから、人一倍努力をしなければいけないと。
そんな状態で絵を描いて、楽しいはずがなかった。
自分を追い詰めて絵を描いても、心苦しくて堪らなかった。
ベッドから降りた咲は、真っ先に部屋の隅に置かれたゲージの前でしゃがみ込んだ。
「おはよう、ハムスケ」
淡いグレーカラーをした、ジャンガリアンハムスター。
一人暮らしが寂しくて、入学と同時に飼い始めたのだ。
ゲージを開ければ、鼻をヒクヒクさせながら、ハムスケがひょっこりと顔を出す。
おやつボックスからひまわりの種を取り出してハムスケに渡せば、小さな両手で抱えた後、一口で食べ終えてしまう。
「どうせ、部屋の中に隠すんでしょ」
ハムスターの習性らしく、おやつをあげても頬袋に詰めてしまうのだ。
せっかくだから目の前で少しずつ食べる姿が見たいというのに。
水を取り替えてご飯を上げてから、ようやく咲も自分の準備に取り掛かった。
当然のように、そこにルナの姿はない。
しかし、シンクには彼女が使ったと思われるカップが幾つか置かれていた。
「洗い物、してよ」
思わず不満の言葉が溢れる。
共同生活なのだから家事を分担するのは基本中の基本だろう。
そこまで考えて、ルナが昨夜遅くに帰ってきたことを思い出す。
「そっか、忙しいんだよな…」
高校生なため深夜帯まで働かされることはないだろうが、それでも昨夜彼女が帰ってきたのは随分と遅い時間だった。
仕事で疲れてぐっすりと眠っているであろうルナを叩き起こして文句を言うほど、咲だって人でなしではない。
「…ご飯いるかな」
悩んだ末に、咲は2人分の朝ごはんを作っていた。ベーコンエッグに、昨夜作り置きしたコンソメスープ。
あとは食パンをお皿に並べて、彼女の分だけラップを掛ける。
もし食べなければ、帰ってきてから咲が食べればいい。
ストレートアイロンで前髪を軽くカールさせてから、お気に入りのヘアミストを振り掛ける。
昨年の誕生日に母親から貰ったもので、高校生が付けるには少し大人びたブランドのものだ。
制服に身を包んで、全て準備を済ませてからようやくローファーに足を突っ込んだ。
「いってきます」
声のボリュームを落としたせいか、返事はない。
これほど生活音がしても起きないほど、ルナは疲労が溜まっているのだろうか。
芸能科の生徒だから、恐らく出席日数は普通科に比べれば優しいのかもしれない。
噂で聞いた話では、テストなどは出来なくてもかなり甘い評価を下されるそうだ。
普通ではない、特別な子達が集まるクラスなのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。
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