ep3. 御咲の裏事情
私は、彼に別れの言葉を告げた。
別に、彼が嫌いになったわけでもない。むしろ彼のことは今でも好き。だけどそんな彼に、私がどれだけ長い時間をかけても想いは伝わらないって、そう悟ったんだ。付き合っている間も、どこかすれ違いばかりで、私は彼の前で彼に見せたいはずの笑顔を作ることができなかったから。
それは一体、誰のせいだろう?
夏乃のせい? そんなはずない。夏乃に対しては絶対的に私の方が優位だった。
愛花のせい? やっぱりそれも違う。そうやっていつも言い訳にしていただけ。
どう考えても、私のせいだ。私が私なりに満足ができなかったから。
そんなの自己満足でしかないけど、やはり自分なりにどうしても許せなかった。
彼は私に振られると、彼は怒ることもせず、ちっぽけな笑みを作ってくれた。
それがどれだけ救いだっただろう。本来なら罵られても文句言えないのに。
だけど本当は怒ってもらうべきだったのかもしれない。私が前に進むために。
彼は優しすぎるんだ。……だからこそ、彼が大好きだった。
あの後、ライブ中に言われた未来さんの言葉がずっと引っかかっていた。
『自分をもっと好きになるべきだ』って。
それは彼の書いた台本であって、未来さんの言葉でもあった。
もしそれが彼の本音だったのだとしたら、どういう意味なのだろう。
……私は、醜いアヒルの子ってことなのかな。
「あ、御咲ちゃん!」
ライブから二日後の月曜日。私は学校から帰宅しようと大船駅までたどり着いたところで、夏乃に声をかけられた。先のライブでは自らを『天保火蝶』と名乗ったことで、今や時の人となりつつある。今朝の芸能ニュースでも未だに取り上げられていて、『次回作発売前に既刊シリーズのストーリーをおさらいしよう』などという特集コーナーが放送されていたほど。
わかっていたことではあるけど、落ちぶれていく私とは正反対。愛花も夏乃も前へ進もうとしているのに、私一人だけみるみると後退しているようだ。
「今日はオフだからって彼氏とデートとか、早速見せつけてくれるわね」
「違うって。あたしを今日鎌倉に呼び出したのは悠斗じゃなくて千尋さん! 悠斗なら今日は確か担当編集と打ち合わせのはずだし、デートとかしてる暇ないと思うよ?」
「あら。それでも彼氏のスケジュールはしっかりチェックしてるのね」
「……あのね御咲ちゃん。そうやって心にもないことばかり言ってると、愛花ちゃんみたいにネジが外れてくるから気をつけた方がいいと思うけど、どうかな?」
そもそも悠斗と夏乃はまだそういう関係でないことに気づいてるはずだった。でも私はわざと強がって夏乃を挑発してしまう。だけど夏乃は簡単にそれを見抜いてくるから気持ちが楽でいられる。これが鈍感な愛花相手だったらこうはいかず、私の方が逆に疲れてしまうだけだろう。
夏乃と千尋さんの待ち合わせの時間までまだ大分あるという話を聞くと、私は夏乃を誘って駅前の喫茶店へと入った。すると夏乃はすぐに何かに気づいたらしく、『あっちの席にしよ』と私の腕をぐいぐい引っ張って、店の一番目立たない席まで案内してきた。なるほど、悠斗もこの店で打ち合わせ中なのか。そう咄嗟に気付く程度には、まだ彼に未練があるのかもしれない。
「ねぇ御咲ちゃん……?」
「何かしら?」
夏乃は私の顔をまじまじと観察しながら声をあげる。まるで動物園の檻の中にいる小さな兎を、どう調理しようか考えているかのような顔。私は抵抗する手段すらなく、人畜無害な動物を演じるほかなかった。
「御咲ちゃんってさ、本当に悠斗のことが好きなんだよね?」
「ええ、多分。そう思うわ」
「そこは多分なんだ…………ま、いっか。でもそんな好きな人のこと、どうして手放しても平気でいられるのかな?」
「平気だなんて一言も……」
「だって悠斗は未だに悩んでる。もう何一つ障害がなくなったのだから、愛花ちゃんを素直に選べばいいのにだよ? だから御咲ちゃんはそのまま悠斗を囲い込んでおけばよかったんじゃないかって。御咲ちゃんがあのまま悠斗の彼女として事を進めていけば、いずれは……」
「それが許せなかったのよ。悠斗の顔が徐々に暗くなっていくのが、私は見ていられなかったの」
私は何度も自問自答して、そして導き出した答えだもの。この答えだけはやはり間違えないはず。
「てことはやっぱり、御咲ちゃんのプライドなんだね?」
「私の……プライド??」
夏乃はそんな私の答えを真正面から受け止めて、彼女なりの補足を書き加えていた。その補足には違和感なんてどこにもないはずなのに、本来納得できうるはずのその補足は、なぜか薔薇の棘のように鋭くて、私の胸をちくちくと刺してくる。
「あたしにはプライドのかけらもないからなぁ〜。やっぱり御咲ちゃんの心境になるのは難しいよ。あんな有利な立場だったら絶対上手く利用してやることしか考えないだろうし」
「まさかあなた、今度書く小説のネタに私を使うんじゃないでしょうね?」
「そんな悠斗みたいなことしないって。あたしが書いているのは、推理を楽しむことが最優先のエンターテイメントだよ?」
「…………」
そう。夏乃と違い、悠斗は私や愛花をネタに小説を書いてくることがある。実際、今愛花が主演している学園ドラマも、私と愛花の対立をモデル化したものだ。本当にそれってどういうことなんだろと思わないことないけど、それを私と愛花が入れ替わって演じてしまっているわけだから、本当にしょうもない話。
「でもさ。あたしは御咲ちゃんのプライド、かっこいいと思うけどな」
「そんなの……人に褒められて嬉しいものではない気もするけど」
「だってさ、自分の気持ちに正直に答えてるんだよ? 真っ直ぐ向き合って、違うと思ったらそれを絶対に許そうとしない。それってやっぱり、素敵なことだと思うよ。少なくとも嘘つきなあたしには絶対真似できないし」
「…………」
だけど今の夏乃の発言は納得できない部分があった。確かに私は夏乃と真逆で、嘘をつくのが嫌いな人間だ。それ故に夏乃が羨ましいと思えることだってある。……そう、問題はこの部分だ。
なぜ嘘つきが羨ましいと思えるのだろう。そもそも私は本当に正直者なの? もし本当に正直者なのだとしたら、悠斗と別れた後に沸き起こってきたこのもやもやする気持ちは、一体何だと言うの?
「だからさ。御咲ちゃんはもっと自分の気持ちに自信を持てばいいんだよ」
「え……」
夏乃は、そんな私の胸の内側を完全に見抜いているかのようだった。ぽつんと一滴の雫が落ちていったのがはっきりとわかる。夏乃は笑顔で私を包み込もうとしてくる。地獄の淵から戻ってきたばかりの笑みは、熱々のそれ、そのままだった。
きっと未来さんの言葉も、こういう意味だったのかもしれない。
私に足りないものは、夏乃が振りかざす刃物のような温かさだ。
切り刻んだ後に滲み出てくるはずの血液は、温かくなくてはいけないのに。
地獄か……。夏乃はいつもそういうものと相対しているのかな?
「だったら夏乃は、悠斗とどうなりたいのかしら?」
「え、あたし?????」
きょとんとする夏乃は、私を追い込むことに夢中になっていたらしく、完全無防備だった。その間抜けな顔はひたすらに可愛くて、急に同じ年の女の子に戻ったかのよう。推理小説作家とアイドルという二面性を持つ彼女は、自分を偽り続けることに生き甲斐を持つ、私とは正反対の性格の持ち主。
だけど、そんな夏乃だから、私は彼女を信用できるのかもしれない。
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