ep4. 愛花の裏事情
遠くに、夏の青い海が見える。
「あ、悠斗。やっと来た」
「悪い。遅くなった」
わたしが悠斗を呼び出した場所は、悠斗の家から程近い場所にある見晴らし台。と言っても、実際その場所に台があるわけじゃなくて、鎌倉山の丘の上、その場所だけが見通しの良い場所になっていて、すぐ真下に住宅街、その先に七里ヶ浜の海が広がっている。悠斗とは幼かった頃から二人でよく来る秘密の場所だ。まぁ地元の人には有名な場所だから、実際は秘密でもなんでもないんだけどね。
「御咲とデートしてたんでしょ。邪魔しちゃったかな?」
「してねーよ。御咲とは別れたって言っただろ」
「じゃあ、夏乃ちゃんとデートしてたのかな?」
「なんでそうなるんだよ? 俺と夏乃はそういう関係じゃないって」
「嘘つき。さっきまで悠斗がいた喫茶店に夏乃も入っていったのわたし見てたもん」
「は? 俺はそんな話、知らねーぞ」
「そういえば御咲も同じ喫茶店に入っていったよね。ひょっとして悠斗、二人とダブルデートしてたの?」
「どうしたら男一人と女二人でダブルデートができるんだ!??」
「悠斗の女ったらし!」
「なわけねーだろ!!!」
もちろん悠斗が嘘をついてないことは知っていた。悠斗は大船駅前の喫茶店で出版社の担当編集さんと打ち合わせって言ってたし、そこへたまたま御咲と夏乃ちゃんが入ってしまっただけのこと。お姉ちゃんがこの後夏乃ちゃんと会う約束してるって言ってたから、だとするとたまたま御咲と夏乃ちゃんが大船駅前でばったり会ってしまったとか、そんな類の話であることは容易に想像つく。
だからさっきの意地悪は日頃のお返しだもん。いつもわたしに優しくて、そのくせいつもわたしを突き放してくれる、その御礼……だよ。
「ねぇ。悠斗はさ……」
「なんだよ急に改まって」
にっこり笑みを返したところで今日の本題。わたしは悠斗の声を右耳で聞きながら、遠くの海に向かってこう語りかける。
「悠斗は、まだ御咲のことが好きだったりするのかな?」
「だからもう御咲とは別れたって何度も言ったろ?」
「だって、振ったのは悠斗じゃなくて、御咲ちゃんの方なんでしょ?」
「…………」
悠斗の顔は絶対に見ない。だからこんな風に何も答えが返ってこなかったりすると、本当にどきどきする。怒っているのか、それとも落ち込んでいるのか。どちらにせよ、わたしの質問が悠斗を困らせてるのは間違えないんだ。
「だからさ、悠斗の方はまだ未練があっても不思議じゃないんじゃないかな」
「別に俺は……。そもそも付き合い始めたのだって御咲の方からだし、俺は特に……」
「……特に、御咲のことは好きじゃなかった? そういえば御咲と付き合ってたのは形だけだって、いつか言ってたもんね。だったら御咲とは本当に何もなかったってことなのかな?」
「だって俺は、ずっとお前のことが……愛花のことが好きだったから……」
やっぱり、悠斗の顔は見ることができない。嬉しいはずなのに、思わず涙が溢れそうになる。もちろんそれは嬉し涙などではない。多分、悔し涙の方だ。もしこれが嬉し涙だったら、悠斗にその顔で応えることができるはず。こんな風に自分の顔を隠すことなんて、そんなの必要ないはずだし。
「……そんなの、嘘だよね? 悠斗は御咲のことが好きだったはずだよ?」
「…………」
ほらやっぱし。悠斗の無言の回答が、わたしの胸をきゅっと締め付けてくる。
「御咲、可愛いもん。わたしなんかよりずっと素直で、いい子だし」
「……ああ。愛花よりずっと正直だな。馬鹿で無神経でお調子者というわけでもないし、あいつは今でも俺のことをずっと好きでいてくれてる。こんな優柔不断な俺のことを……」
「何それ。自分はモテるんだって、自慢したいの?」
「違うよ。あいつなら俺なんかより他に、もっと釣り合うやつがいるはずだって」
「……ほんと、悠斗って酷いよね〜。御咲の気持ち、何も考えてない!」
「お前にそれを指摘されるとは思わなかったぞ……」
そう。本当に酷いのはわたしの方だ。わたしが馬鹿で無神経でお調子者のせいだったおかげで、悠斗に何も応えることができてなかった。そのせいで悠斗も御咲も困らせていたんだ。本当は全部、わたしのせい。わたしが今悠斗の顔を見れないのも、紛れもなくそのせいだっていうのに。
「だったら悠斗に釣り合う女の子って、どんな子なのかな?」
「……馬鹿で無神経でお調子者な、そんな女の子……だと思う」
「…………そっか」
本当に悔しい。どうしてこんなことになっちゃったんだろ。
こんなにいつも近くにいるはずなのに、いつだってわたしは悠斗の声が届かなかった。今日、今この時間だって悠斗の声はしっかり届いているはずなのに、その野太く優しい声はわたしの身体をするりとすり抜けていってしまう。
「わたしさ、白馬に乗った王子様を待ってたって、前に話したよね?」
「ああ。愛花はずっとそればかり言ってたな」
「うん。……多分だけど、わたしのことを『和歌山』って苗字じゃなくて、『愛花』って名前を呼んでくれる王子様を待ってたんだと思う」
「その解釈って、さすがにちょっと自分勝手すぎないか?」
わたしはようやく、思わずくすっと笑ってしまう。確かにこれだと悠斗のいう通り、わたしの身勝手全てを悠斗のせいにできる魔法の解釈に違いなかった。
「だからだよ。悠斗はずっとわたしのことを名前で呼べなかったし、わたしはずっと自分のことを名前で呼んでくれる王子様を探してしまってた。そんなの些細なすれ違いだったはずなのに、ずっとそれが障壁になってたんだよ」
夏の風に誘われて、わたしは視線を悠斗の顔へと移した。悠斗の顔は少し驚いていて、だけど怒っている顔でもなくて、真っ直ぐとわたしと向き合ってくれている。
もう少しこの時間が早く訪れていれば、誰も傷付かずにすんだかもしれないのに。
「……だからさ。夏乃ちゃんも言ってたけど、しばらくは平行線でいいかなって」
だからこれが今できる、適切な妥協点。
悠斗とわたしにとっても、そして御咲ちゃんや夏乃ちゃんにとっても。
今すぐ結論を出してしまうのは、きっと誰も幸せになれない。
だって悠斗が誰を選んでも、悠斗は必ず傷つくもん。そんなの誰も望んでない。
だから今はもう少しだけ、君を待ってみようと思うんだ。
「愛花……」
だからお願い。悠斗はそんな悲しい顔をしないで。
「わたしのお願いはね、悠斗が最後にわたしを選んでくれたら、それでいいから」
わたしは笑顔の悠斗をいつまでも待ってるから。
悠斗が笑顔になれるよう、わたしもアイドルを頑張るからさ!
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