Epilogue

ep2. 悠斗の裏事情

「夏乃ちゃんに天保火蝶を名乗らせるだけでは何も変わらないですって?」

「はい。あいつ……夏乃は、恐らく自分がなぜ小説を書けなくなってしまったのか、ほとんど理解できていないような気がするんです。だからもし夏乃を作家として戻したいのであれば、もう一工夫必要なんじゃないかと思って……」


 『BLUE WINGS』と『Green eyes monsters』の合同ライブ、その一週間前の日曜日。ちょうど正午前くらいのこと。社長との打ち合わせが終わり、愛花と御咲、夏乃の三人をうまいこと誤魔化して先に帰らせると、俺は一人残って最後の懸念を社長に伝えたんだ。

 あいつは一旦自分が天保火蝶であることを再自覚させる必要がある。だからあいつが書いた脚本で寸劇をするのだって、別に反対する理由は見当たらない。だけど恐らくそれだけではあいつの筆はまた止まってしまう。本当にあいつを作家に戻したいのであれば、俺の手で脚本を書いて、あいつをうまいこと誘導する必要があるんじゃないかって。


「社長。私も悠斗君の意見に賛成です」

「あら、千尋までそう言うのね」

「だって私は天保火蝶の大ファンですもの。夏乃ちゃんにはしっかり自分と向き合って、完全復活をしてもらわないとちっとも嬉しくないんですよ」


 俺の提案にまず千尋さんも乗ってくれて、その場にいた瑠海さん、そして未来さんにも合意を取ることができた。こうなると社長もこの提案に反対する理由がなくなったようだ。

 千尋さんの話だと、夏乃が小説を書けなくなった理由は恐らく自信の喪失だろうとのこと。自分が原作のドラマの撮影現場を目の当たりにしたことで、自分が描いてきた小説に自分が飲み込まれてしまったんじゃないかって、千尋さんはそのように捉えていたらしい。その結果、シリーズ最新刊で自分の分身でもある雪乃を殺してしまった。俺は一瞬『雪乃って誰だ?』と考えるほどに夏乃の小説の登場人物のことを忘れていたが、千尋さんに『最新刊で殺されてしまった主人公のクラスメイト』だと聞いてようやく思い出したくらいだ。言われてみると夏乃の不器用な性格にそっくりであったし、それ以上に夏乃という名前にそっくりな雪乃だ。それでもあいつは雪乃を殺した。

 俺が書く小説は推理小説でないせいか、俺自身、人の死というものを書いたことがない。だけどあいつは、それを日常茶飯事的に描いていたということ。終いには自分自身まで殺してしまったおかげで続編が書けなくなったということか。俺はまず夏乃の心理を紐解くところから始めたんだ。


 瑠海さん、未来さん、そして千尋さんの協力もあり、あいつはまんまと俺の罠に引っ掛かって、天保火蝶を取り戻した。ライブが終わると、あいつはいかにも文句ありげな顔で、舞台袖で待機していた俺の顔をじっと睨んできた。だけどしばらくすると緊張状態がすっとほぐれ、ふんと鼻で笑ってきたんだ。あいつは結局無言のまま、俺の前を通り過ぎていったっけ。


「それにしてもすごい騒ぎになっちゃったわね? 夏乃ちゃんのいるグループって、そんなに有名なアイドルグループだったかしら?」


 そしてライブが終わった翌々日の月曜日。俺は廣川さんと大船駅前の喫茶店で次回作の打ち合わせを行うことになっていた。廣川さんはスポーツ新聞を片手に芸能欄を見ながら、完全に目を丸くさせている。


「別に『Green eyes monsters』がすごいわけじゃなくて、やっぱしあいつが規格外れなんじゃないですかね? アイドルとしてある程度の名前を売った後に推理小説を書いてみたという話なら割とありそうな話に聞こえますけど、夏乃の場合、作家もアイドルも自分の実力だけでどっちも手にしている。そんな無鉄砲なやつだからたまに自分を見失って、そのまま立ち止まってしまったという気もするんです」


 ライブで夏乃が『自分が天保火蝶である』と名乗ったのが一昨日の土曜日の夜。それからというもの、日曜日朝の芸能ニュースは夏乃の件がトップニュースとして大々的に報道され、ネットでも今やお祭り状態になっている。『あのグーパンアイドルが天保火蝶!?』やら『だからいつも行動が奇抜だったのか』やら、およそ本当に好意的な反応か否かも定かでない辺りが夏乃らしいけど、結果的に『おい今度天保火蝶の小説読んでみようぜ』とか『でもあれって前にドラマ化されてなかったっけ? そっち観た方が早いんじゃね?』とか、話題の提供主として、営業的にはまんまと成功を収めているようだ。

 夏乃の方はというと、『これじゃあ御咲ちゃんや愛花ちゃんと迂闊に外を出歩けなくなっちゃったじゃん!』と、その反応は嬉しいというよりやはり迷惑そうな愚痴が溢れていた。昨晩も電話で一時間ほど捕まってしまい、俺の方も十分迷惑だったことに変わりはないのだけど。


「まぁ夏乃ちゃん、口はかなりきついとこあるけど、中身は健気で可愛いもんね。悠斗君も彼氏として、今回の件は『よくできました』って、褒めてあげるべきじゃないかな?」

「俺があいつの彼氏という話は、あいつが勝手に話してる妄想で、全部嘘ですよ。それに本当に褒めるべきタイミングは、あいつが次回作を書き終わった後じゃないですかね?」

「え、やっぱり嘘だったの? でも二人、仲は良さそうに見えたけど」

「まぁ仲悪くはないですけどね。数少ない同じ年の同業者として」


 俺はいつものブレンドコーヒーを一口だけ口につけると、すっきりとした味わいが喉に染み渡ってくる。ここのブレンドコーヒーってこんなにマイルドだったっけ?と思えるほど、今日はいつもと違う味わいを見せていた。


「てっきり悠斗君の次回作のメインヒロインは夏乃ちゃんなのかと思ったけど、別の女の子がモデルだったのね。まぁあんな可愛い女の子たちに年中囲まれてるわけだから、悠斗君も隅に置けないよねぇ〜」

「ブハッ…………」


 が、そこへ追い討ちをかけるように、廣川さんはそんなことを言ってきたり。実際一概に冗談にもなっていないその台詞は、鋭い槍のように心臓めがけてえいっと突き刺さってくる。思わずコーヒーを吹き出してしまいそうになったくらいだ。


「で、結局のところ悠斗君はどの子が本命なのかな? あのグリーンなんちゃらっていう三人の中に、今回の小説のモデルさんがいるんでしょ?」

「…………」


 俺が答えに窮していると、スマホがブルっと震えてチャットの着信があったことを伝えてくる。俺は逃げるように文面を確認すると、『三十分後に俺の喫茶店で』とだけ書いて返信をした。


「俺も、そろそろ結末を書かないとダメですね」


 廣川さんはその言葉で納得してくれたのだろうか。にこっとした笑みだけが返ってくる。あの能天気な夏乃だって、今は前へ進もうとしている。だから俺も……。


 チャットの送信元は愛花だった。『今日これから二人で会えない?』って。

 御咲は俺と別れ、夏乃は自分の道へ戻ろうとしている。

 だから俺も迷ってないで、手元の原稿のクライマックスを書かなくては。

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