女子高生推理作家がカミングアウトをする事情

「ふふっ……」


 少女は何を思ったのか、不敵な笑みを溢した。

 その姿は、なぜだか急に大人っぽくなったような気がする。

 あたしと年齢の変わらない、ひたすらに我儘な小さな女の子だったはずなのに。

 着ている服のせい? ドラマのメインヒロインはしっかりおめかしまでして。


「何だよ。俺の方見て、にやにやと気持ち悪く笑いやがって」

「だって悠斗、やっと呼んでくれたんだもん」

「は……?」


 声まですっかり大人びている。ひとり先の時間を行くタイムトラベラーのよう。


「悠斗、わたしのこと、ようやく愛花って呼んでくれた」


 大人になった少女は、爽やかな笑顔でこんな風に胸をちくりと刺してきたんだ。


「お、お前……本当に、そんなことを……?」

「悠斗にとってはそんなことかもしれないけど、わたしにとってはそんなことじゃないんだよ。だってわたし、悠斗にようやく認められてみたいで、本当に嬉しかったから」

「別にそんな深い意味は……」

「そこなんだよ! 悠斗が無意識だったから、わたしさらに嬉しいの」

「…………」


 口調こそ元のままの愛花ちゃんだったけど、容姿は本当にテレビの中から飛び出してきたかのような主演女優そのものだった。美しいボディラインが映えるシルエット、センスの良さを感じる青色のワンピース姿、そこに愛花ちゃん自身のおっとりした声色がさらに色を加味していく。絵に描いたようなメインヒロインが目の前にいて、その魅力にあたしまで取り憑かれつつあった。

 気がつくと電気は回復していて、喫茶店の橙色の照明がスポットライトにでもなったかのように、愛花ちゃんを明るく照らしている。ただしよく見ると雨でびしょびしょだ。愛花ちゃんの体全体から溢れ落ちる雨水が、ぽたぽたと店内を濡らしていく。それがまた美しくて……。

 ……じゃなくて、とりあえずタオルで拭こう! また風邪ひいちゃうからね!!


「悠斗。タオルどこだっけ?」

「あ、ああ。バスタオルなら……あ、俺が持ってくるからちょっと待ってろ」

「ありがとう」


 そう答えたのは愛花ちゃんじゃなくてあたしの方だった。愛花ちゃんはまだ興奮に冷めやらぬのか、じっと悠斗の顔を眺めているのみで、ただ呆然としている。それを見たあたしも吸い込まれるかのように、やはり呆然と愛花ちゃんを眺めてしまう。ついさっき、愛花ちゃんの中で何かが音を立てて壊れてしまったのは、あたしの気のせいだったのかな?


 ……それにしても悠斗。本当にあたしのことなんて、どうでもいいの?


「愛花ちゃん。温かいコーヒー、飲む?」

「あ、うん。いつもの砂糖入りを戴こうかな」

「わかった。いつものブレンドコーヒー、砂糖多めね!」

「それじゃあまるでわたしが砂糖ばかり飲んでるみたいじゃん!!」

「だって実際にそうでしょうが!??」


 御咲ちゃんはブレンドコーヒーにレモンを浮かべ、愛花ちゃんはレモンの代わりに砂糖をたくさん沈める。あたしはどっちも入れない派だけど、それにしてもどうしてあんなに甘いものばかり食べる愛花ちゃんの体型がここまでキープできているのか、世の中不公平という他ない。故にあたしはいつも愛花ちゃんを殺してばかりなのかもしれない。……あ、もちろん妄想の中でのお話ですけど。


「ねぇ、夏乃ちゃん?」

「どうかした?」


 あたしがハンドミルでゴリゴリとコーヒー豆を挽いていると、愛花ちゃんは思い出したかのような声をあたしにぶつけてきた。


「……ハンドミルで豆を挽いているんだ?」

「あ、うん。ちょっとむしゃくしゃした時は、これが一番かなって」

「確かにそれ、ストレス解消にはなりそうだよね」


 悠斗の喫茶店にはもちろん電動ミルもある。あたしみたいな素人がハンドミルで豆を挽くよりも、圧倒的に速いし、楽なのも間違えない。だけどそれでもこうして自分の手で豆を挽きたい時は誰にだってあるはずだ。今日のあたしだって……。


「その夏乃ちゃんがむしゃくしゃした理由って、実はわたしだったりする?」

「愛花ちゃんはそう思うんだ……?」


 やっぱり、らしくない。いつもの馬鹿で無神経でお調子者な女の子は一体どこへ行ったのだろう?


「だって夏乃ちゃんも、悠斗のことが好きなんでしょ?」

「うん好きだよ」

「そこは即答、迷いがないんだね」


 愛花ちゃんはなぜか笑いながらそう答えていた。というのもその顔にはどこか違和感が残って、あたしの胸も愛花ちゃんと同様にドキドキしてしまう。ドリップされたコーヒーだけが薄暗い空間に甘い香りを運んできて、その匂いに首を締め付けられそうな心地になってくる。

 迷いなんて……つい数分前までは、あたしも迷ってばかりだったはずなのだけど。


「夏乃ちゃん『も』ってことは、愛花ちゃんもやっぱり悠斗のことが好きなんだ?」

「うん。やっぱしそうみたい。でもそれ言ったら御咲ちゃんにまた怒られそうだけどね」

「あ〜、そのことなら……俺、御咲と別れたぞ」

「え……?」


 するとあたしたちの背後から、野太い悠斗の声がした。振り向くと大きめのバスタオルを手にした悠斗が立っていて、それをひょいと愛花ちゃんの方へと軽く放り投げる。愛花ちゃんは慌ててタオルをキャッチすると、それで顔や髪の毛、青いワンピースを吹き始めた。


「だって御咲、悠斗のことが好きでたまらなかったんじゃあ……」

「まぁあの様子だと、御咲ちゃんは今でも悠斗のことが好きなんでしょうけどね」

「なんだ、夏乃も知ってたのか。でも振ったのは俺じゃなくて、御咲の方だから」

「なんでそんなことに……? でもそれもきっとわたしのせいなんだよね?」


 そう答える愛花ちゃんを尻目に、あたしは悠斗をじっと睨む。悠斗はあたしの視線に気づいて申し訳なさそうな顔を浮かべていたが、ただしその気持ちが言葉として出てくることは結局なかった。それだと愛花ちゃんは気づかないままだ。

 本当に悪いのは愛花ちゃんじゃない。きっとこいつのせいなんだ。それなのに……一体このやり場のない気持ちはどうしたものだろう。


「まぁあたしは、このまましばらく平行線でもいいと思ってるけどね。どこかの優柔不断な主人公くんが例の小説を書いて結論を出すまでは、とりあえず様子見ってことで」

「夏乃……?」

「例の小説って……悠斗、また何か新作を書いてるんだ?」

「そ。今度のメインヒロインは愛花ちゃんなんだってさ。な〜んか妬いちゃうよねぇ〜……」

「お、おい。その話は…………」


 あたしのカミングアウトに大慌てになる悠斗。こうやって殺人事件の序章が幕を開ける。誰かが殺されて、誰かが幸せになるんならそれいいんじゃないか。むしろそれが世の常だっていうのなら、そうあるべきだとあたしは思う。


「ま、廣川さんも今度の新作には期待してるみたいだし、今度は売れっ子作家であるあたしの名前だって使うわけだから、中身もちゃんとしたものじゃないと困るよね〜!」

「…………」


 そして、悠斗に鋭い釘で止めを刺す。……本当に最低だ。

 あたしの中にはいろんな言葉が湧き上がってきた。ヤスミに言われた不器用という言葉、千尋さんに言われたやり方が無鉄砲という言葉。だけどそんな染みったれた言葉の数々よりも、あたしにはもうひとつだけ、ピンとくる言葉があったんだ。それはつい先日、御咲ちゃんに言われたばかりの言葉で……。


『結局私は何も手に入れることのできない、ピエロだったってことね』


 御咲ちゃんが悠斗と別れた理由。そして、今のあたしの気持ち。


 もしそうだとするならば、今のあたしたちにとって最善の向かう先はどこだというのだろう? ようやく悠斗が好きと気づいたばかりの愛花ちゃんに、有利だったはずの立場を捨ててまで真っ向勝負を挑もうとする御咲ちゃん。そのくせ悠斗の方は一向に愛花ちゃんの小説で書き悩んでいる。あたしはそのサポートを廣川さんから頼まれて……。


 ……であればあたしはもう一度、天保火蝶に戻るべきではないだろうか?


「え、夏乃ちゃん……? 夏乃ちゃんが売れっ子作家ってどういう意味?」

「言ったまでの意味だよ。あたしはアイドルの夏穂であって、推理作家の天保火蝶って意味。去年千尋さんが出演したドラマの原作者。……って、前に話さなかったっけ?」

「そんな話、一度も聞いたことないよぉ〜!!!」


 そりゃそうだ。あたしだって一度も話した記憶がないのだから。


「で、天保火蝶さん? そちらの次回作は結局いつ書き上がるので?」

「そんなの……いつかに決まってるでしょ!!」


 今度は半ば呆れた顔をあたしに向けてくる悠斗。ま、けしかけたのはあたしの方だから、そうなっても仕方ない。


「いつになっても書き上がらないから廣川さんも困ってるし、千尋さんの芸能界復帰も、瑠海さんの国民的女優の復活さえも延び延びになってるんじゃないのか?」

「てかいつの間にか話が大きすぎてない? それ全部あたしの責任にされたところで困るとしか言いようがないんだけどさぁ〜!!!」

「でもそうだとするとさっき聞いたあの話って、本当の話だったんだ……」

「ん。あの話って……?」


 すると、愛花ちゃんは俯き加減でやや考え込んでしまった。そういえばふと思ったのだけど、どうしてそもそもこんな時間に愛花ちゃんは悠斗の喫茶店に現れたのか。今は夜中の二十三時過ぎ。金曜とはいえ、悠斗に用があるなら明日にすればよかったはずなのに。しかもこんな土砂降りの中……


「愛花。連絡ありがとう。なぜかちょうどいいところに夏乃も悠斗といちゃついていたみたいだし、とっとと打ち合わせを始めるわよ?」


 ……そんな土砂降りの中、突然御咲ちゃんまで現れたりして。


「って、なんの打ち合わせよ? あたし何も聞いてないし、そもそも悠斗といちゃついてたわけじゃないから!」

「え、でもわたし来た時、夏乃ちゃん悠斗に告ってたよね?」

「そこで余計なこと言わなくてもいいよね〜!!」


 御咲ちゃんの冷たい視線があたしを刺してくる。今宵はどうにも尖りすぎだ。


「一週間後に急遽決まった『BLUE WINGS』との合同ライブの打ち合わせよ。どうやら噂では、社長が千尋さんと瑠海さん絡みの話で何か企んでるらしいから、『Green eyes monsters』としてもどんな企画が出てきてもいいように対策を考えておく必要があるってこと。社長との打ち合わせが明日だからそれまでに話しておきたいって、さっき愛花に呼び出されたのよ」


 あたしの頭はまたしてもぽかんとしていた。御咲ちゃんの言葉を飲み込もうとしても、どうにもそれを無意識のうちに拒否してくる。


「それってまさか……」


 悠斗もそれに気づいたようだ。あたしは悠斗の顔と鏡の中の自分の顔を見比べてしまったが、やはりどう見てもあたしの方が冴えない顔をしている。


 冴えないヒロインはそのまま眠っていればよかったのに、どうしてみんな……。

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