男子高校生の家で女子高生推理作家が怯えてしまう事情

「あ、あのさ。ひょっとして君って、一人暮らし???」


 あたしは超今更ながら、こんなことを聞いていた。だ、だってさ……


「ああ。両親とも海外出張とかが多くて、およそ俺一人だな」

「近寄らないでよこのケダモノ! あたしから半径二メートル以内に近づいたら『悠斗に襲われた』って御咲ちゃんと愛花ちゃんに言いつけてやるんだから!!」

「その地味に怖い復讐みたいなこと言うのやめてくれるかな」


 あたしの胸はさっきからドキドキ言ってる。痛いほど高鳴りしていて、その鼓動の速さにあたし自身も驚いているくらいだ。どうしてこんなことに? 外は洪水のような大雨。終電の時間は間もなくすぎてしまい、だけど肝心のモノレールは雨で止まっている。しかも停電のせいで、光と呼べるものは薄暗く悠斗の顔がぼんやり映っているだけ。辛うじて悠斗のノートパソコンが開いているため、画面から溢れ出る光を悠斗の顔全面で受け止めている。その程度の明るさだ。

 このドキドキは、相手が悠斗だからだろうか。あたしの頭は明らかに混乱していた。いつものあたしならこんな取り乱した姿を悠斗に見られまいと、どうにか取り繕ってしまえるのに。


「お、おい。大丈夫か?」

「だから近寄らないでって言ってるでしょ!!」


 ちなみに悠斗の身体から三メートルくらいの間隔を空けた場所にあたしはポツンと座っていた。もっと遠くへ移動しようにも、そもそも悠斗のパソコンの画面以外は真っ暗で、あたしの身体は硬直したまま動けなくなってるんだ。

 そんなあたしを見て、悠斗はくすくすと笑っていた。その不気味な表情が青白い光を受けて、ますます恐怖心を増長させてくる。てか、その笑いは何だって言うの?


「な、何よ……?」

「夏乃って、案外可愛いところがあるんだな?」

「ちょっ。馬鹿にしないでよ! 悠斗がケダモノだからあたしは怖がってるだけ」

「今の夏乃にそんな風に言われても、俺の方はちっとも怖くもないな」

「だから馬鹿にしないでって言ってるでしょ!!」


 ムカつく。超ムカつく!!

 人の気持ちも知らないで。そうやってあたしを笑い飛ばすとか、悠斗のくせに生意気すぎるんだ。いつもは御咲ちゃんにいびられてしゅんとさせられてる男子のくせに、あたしの弱みを握ったくらいで調子に乗ってくれちゃってさ!!!

 ……ん?? それよか今のあたしの気持ちって一体何のことだ?


「わかったよ。夏乃が起きてる間は俺も起きててやるから」

「それって、あたしがこの場で寝たらすぐに襲ってくるってこと?」

「なわけないだろ! 夏乃が寝たら俺はすぐに自分の部屋へ戻らせてもらうよ」

「眠ったままのあたしを自分の部屋に連れていくつもりなんだ……」

「違うから!! 頼むから拡大解釈をするなよ」


 そうは言われても……。あたしは悠斗を睨みつけた。悠斗はあたしの表情が見えているのかいないのか、やはり薄ら笑いを浮かべてあたしを馬鹿にしているかのよう。全く一体、何だというのだろう?


「なぁ。せっかくだから、夏乃の話を聞かせてもらえないか?」

「あたしの話……?」

「そう。夏乃が作った登場人物がどのような経緯を経て完成されたのか、俺も知っておきたいから」

「…………」


 そんなあたしを励ますような声で、悠斗は優しくそんなこと言ってくるんだ。あたしは……今更自分の話と言われても、何だかすぐにはぴんと来なかった。だけど『怖くないよ〜』って顔をする悠斗に騙されて、徐々に緊張がほぐれていく。ずるい。本当にずるい。こうなったら今は徹底的に騙されたっていいかもしれないって、あたしはやっぱり少しずるい考えへ傾きつつあった。


「てか、あたしの何の話を聞きたいのよ?」

「ん〜、そうだなぁ〜……。じゃあさ。夏乃は好きな人とかいないのか?」

「悠斗のことが好き」

「今この状況でそんな風に怯えられてる人に告白されても、全然説得力を感じないんだけどな」

「うっさい黙れ!!」


 それ以前に、なんていう会話をしているのだろう。これじゃあまるで修学旅行で宿の部屋を共にした中学生の会話だ。まぁそれってあたしたちにしてみたら去年のことで、さほど遠い過去の話でもないんだけどさ。


「だったら……もし俺のことが本当に好きだと言うのなら、そもそも俺のどういうところが好きなんだ?」

「全部」

「それじゃあ回答になってないよ。一つだけ。俺の一番好きなところってことにしておこうか」

「…………」


 そもそもあたしをここまで困らせて、どうしたいというのだろう。あたしの混乱に乗じて、隙あらばあたしを自分の部屋へお持ち帰りしようという魂胆だろうか。


「……優しいところ?」

「そこは疑問形なんだね。俺ってそんなに優しくない?」

「違う。そんなことない! けど……」

「てことはつまり、夏乃にとって俺は優しい人って扱いになってるんだ?」

「…………」


 悠斗はくすっと小さく笑っている。ずるい。あたしの言葉を一度たりとも否定しようとしてこない。それ故に、あたしはその話術に吸い込まれるように、ぺらぺらと喋りたくないことまで話してしまっている。こんなのって……やっぱし納得はできないんだけどなぁ……。


「じゃあ俺以外で、例えば学校などで俺以外の男友達っていたりしないの?」

「……いる」

「その彼には、俺に抱いてるような恋心はあったりしないのかな?」

「それはない。彼はあたしの空気みたいな存在で、そういう気持ちは全くないかな」

「だったらさ。俺は夏乃にとって空気みたいな存在じゃないってことなんだ?」

「悠斗はあたしにとって……イジメ甲斐のある可愛い弟?」

「弟なの? それって、恋人とは違うんだね」

「違くない。笑顔を見るとほっとできる、かっこいいお兄さん?」

「今度は兄か。でもやっぱり恋人じゃないんだ?」

「…………」


 正直なところ、自分でも何言ってるのか全くわからなくなっていた。弟であって、兄であっても、それが本当に恋愛対象としての男の子を見る物差しになっているのだろうかって。だったらなんでヤスミはそういう相手だと思えないのか? ヤスミはいつも黙ってあたしの話を聞いてくれる。……そう、今日の悠斗のように。だけどそれって、それ以上でもそれ以下でもなくて、あたしにとっては空気のような存在。あたしが悠斗に求めるそれとは少し違くて、ヤスミにはあたしの感情をいつも先回りされてしまうから、あたしはヤスミにぺらぺら喋ってしまうんだ。悠斗のようにからかうことも怒ることもできない、そんな安らぎだけの存在。


 だからさ。やっぱしあたしは……間違ってないよね。


「ねぇ悠斗……」

「ど、どうしたんだ急に」


 お互いの声色が変わったことに気づいてしまったようだ。防戦一方だったあたしにターンが移動したことを確認すると、少しだけ胸を撫で下ろした。今度は悠斗の方が緊張の声へと変わる番。そのまま悠斗の顔が映る光の方までゆっくりと近づいていく。


「あたし、やっぱり悠斗が好き!!」


 そして背後に回り込むと、えいっと悠斗の身体へ飛びついた。

 その瞬間、少しだけ緊張しているように感じた。悠斗の硬い筋肉がそう感じさせているのだろうか。だけど徐々にその硬さは解れていき、やがて悠斗の体温が温かく感じるようになる。あたしは自分の柔らかい肉体をより密着させた。悠斗は少しだけ体をぴくっと震わせたが、それも瞬間的なものですぐに元通りへ戻っていった。

 もう説得力がないとか絶対に言わせないんだから!


 にしても何でこんなことになったのだろう? ついさっきまで混乱してたくせに。

 これも混乱に乗じた、いっときの迷いに過ぎないのかな?

 でもそれはやっぱし変だ。ただの迷いならあたしはこんなにドキドキしてない。

 だとすると、この感情はやっぱり……。


「愛花…………?」

「え……?」


 悠斗、何言ってるの? あたしは夏乃だよ?

 悠斗が愛花ちゃんのことを好きなのはみんな知ってる。

 あたしだけじゃなくて、御咲ちゃんも。

 だけどこんな時でもやっぱりその名前が出てくるんだ?

 それって……やっぱし、あんまりじゃないかな〜?


 だけど、悠斗の視線は既にあたしの指先には向いていなかった。全然あたしとは明後日の方角を向いていて、もはや眼中にもないようだ。あたしはもう一度ぎゅっと力強く悠斗を抱き寄せようとする。だが今度は悠斗の緊張に軽く弾き返されてしまった。


 ようやくその異変に気づいたあたしは、悠斗の視線の先を振り向いたんだ。

 喫茶店の入口には薄らと、呆然と突っ立っているだけの少女のシルエットが映る。


 なるほど。あたしと悠斗の時間を妨害してくる大変迷惑なお邪魔虫が、大雨に誘われてのこのこやってきたというわけね。

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