女子高生アイドルが女子高生推理作家に宣戦布告する事情

 あたしは御咲ちゃんと合流すると、御幸の浜へ向かって歩き始めた。

 どうせだったら喫茶店などへ入った方が話もしやすいと思ったのだけど、御咲ちゃんが『海が見たいわ』などと言い出したんだ。鎌倉にだって海くらいあるじゃんと思ったけど、悠斗の家の喫茶店や愛花ちゃんの自宅は鎌倉山の山の上、御咲ちゃんの自宅に至っては駅の北側でさらに海から離れている。海を見るという理由で、こんな真夏に歩きたくはない距離なのかなとふと思ったりもした。


「やっぱし海はいいわね」

「ま、鎌倉の海岸に比べたら小さな浜辺だけどね」


 鎌倉には東から由比ヶ浜、七里ヶ浜、江ノ島を目前とした東浜といった具合に、美しい浜辺がいくつも連なっている。それに比べたら御幸の浜なんてとても小さな海岸に思えて仕方ない。地元の人しか知らないんじゃないかと思える程度の浜辺で、荒々しい波がすぐ目の前まで攻めってくるのが特徴的という印象だ。


「だってほら、海を見ると限界なんて存在しないんだって思えてくる」

「…………」

「ずっと遠くの彼方に水平線があって、海と空の色が互いに同化しながら繋がっていくの。私、この光景を見る度に、どんな嫌なことでも小さく些細なことに思えて、すっと忘れられる気がするのよ」


 まるで詩人のような御咲ちゃんの言葉には、思わず納得してしまう説得力が存在していた。あたしも御咲ちゃんの隣で、御咲ちゃんと同じ視線の高さからその海の水平線を目で辿っていた。曖昧で、何キロと続く線の色は、その場所が限界ではないことを描き出しているかのように思えてきたんだ。


「それで御咲ちゃん。今日って……」

「今日は夏乃に宣戦布告をしにきたの」


 あたしの質問を途中で遮って、御咲ちゃんは突然こんなことを言ってきたんだ。なんだか今日って、皆さん物言いが少し物騒すぎやしませんかね?


「宣戦布告って……わざわざ小田原まで喧嘩を売りに来たの?」


 すると御咲ちゃんは小さくくすっと笑ってみせる。どうやらあたしの質問は肯定のようで、完全にあたしの反応を面白がっているかのようだった。


「私ね、昨晩天保火蝶さんの小説を読ませてもらったわ」

「……あ、そう」


 ……とは、少しだけ日本語の使い方が間違っている気がするけど。


「いつか女優復帰した春日瑠海さんと共演してみたくてね」

「そういえば愛花ちゃんも出演する案があるらしいけどね、あのドラマ」

「あら。それなら尚更私も出演を目指さないとね。いつもあの子ばかりずるいわ」


 あたしの本音としては、あの作品には愛花ちゃんも御咲ちゃんも出てほしくない。別に愛花ちゃんや御咲ちゃんが嫌いだからとか、そんなくだらない理由ではなくて、むしろ逆で、あたしにとって愛花ちゃんも御咲ちゃんも大切な友人だからだ。

 あたしにとって身近な人には、あの小説に触れられてほしくないんだ。


「ねぇ。そんな話を聞かせるためにあたしを待ち伏せしてたわけじゃあ……」

「夏乃は、悠斗とどうなりたいのかしら?」

「え……?」


 またしてもあたしの質問を遮るように、御咲ちゃんは唐突にそんなことを聞いてくる。急に妙なことを聞いてくるので、思わず御咲ちゃんが投げかけた質問をもう一度噛み砕いてしまったくらいだ。


「それってどういう……?」

「言葉通りの意味よ。夏乃は悠斗と恋人になりたいとか、そういう願望はないのかしら?」

「別にあたしは……」


 ……あたしと悠斗はただの仕事仲間であって、それ以上もそれ以下もないと思ってる。悠斗は純文学作家、そしてステージの台本作家として、それに対してあたしの方は推理小説作家、そしてステージの上に立つアイドルとして、とりあえずはお互いを必要とする存在であって、純粋にギブアンドテイクの仲を築いていると思うけどな。

 だけど御咲ちゃんの質問の意図は、あたしは悠斗にそれ以上のものを求めているかということ。それに対するあたしの答えは……。


「やっぱりあたしは、悠斗に仕事以上の関係を求めてないよ」

「ふふっ。やっぱり……ね」

「え?」


 そう何気なく答えてしまったあたしの言葉を、御咲ちゃんは一言一句隈なくチェックしていた。小さな冷笑を浮かべる御咲ちゃんにあたしは思わず『しまった』という気分になったが、だけど正直なところ、それがあたしの本心であることを自分でも確認すると、もはやそんなのどうでもいいことのように思えてしまう。


「私ね。悠斗と……」


 事実、御咲ちゃんもそれ以上の追求はしてこなかったわけだし。


「……悠斗と私、別れることにしたわ」

「…………」


 ただし御咲ちゃんの次の言葉は、あたしの身体を不意に凍りつかせた。一度言い直してまで発した御咲ちゃんの決意は、かちかちに氷ってしまった胸の内が突如姿を現したかのようで、順風満帆に船を動かしていたはずの航海士は慌てて面舵いっぱい氷山を避けようとする。だけどやはりかわしきることはできなくて、船体の底が大きく傷がつく程度には衝突してしまった。


 御咲ちゃんの言葉を静かに飲み込んだ時、思わず口元が緩んでしまったんだ。

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