推理作家とアイドルと小田原の海

女子高生推理作家が幼馴染を苦手とする事情

 今日も学校の授業が終わると、あたしはひとり、海を眺めていた。

 御幸の浜の海岸は決して広いとは思えない。高速道路の下を潜り、少しだけ浜辺を歩くと、すぐに波打ち際まで辿り着いてしまう。そのせいだろうか、こんな平日の午後は他にほとんど誰もいなくて、押し迫る荒波をぼんやりただ眺めているのにぴったりの場所だった。


 時間ももったいないし、次の推理小説のプロットでも考えようか。そういえば彼とコラボ小説を書くんだったっけ。とても魅力的で、興味深い話ではあるけど、あたしは何ひとつ実感が湧いてこなかった。大好きな彼と一緒に小説が書けるんだよ? こんなチャンスなかなか巡ってこないことじゃん! ようやく彼にも振り向いてもらえるチャンスかもしれないのに……。


 でも、書けるわけないんだ。

 だってあたしはもう、一年以上新作を書いていないのだから。


 以前はあんなに推理小説を書くのが大好きだったはずなのに……。

 あたしにはもう書く力なんてものは残されていなかった。いや、少しだけ違う。本当は書こうと思えば書ける。プロットだって思いつかないわけではない。次はこんな小説にしてやろうとか、こんなトリックだったら読者を確実に騙せるだろうとか、アイデアを出そうと思えば次々と浮かび上がってくる。さっきだって海を眺めながら、どういう方法なら愛花ちゃんを幸せに殺すことができるか、ずっとまとめ上げていたところだった。それにしてもどうしてあたしの中で殺されるのは、いつも愛花ちゃんなんだろうね。あんなに可愛くて素直な女の子なのに、さすがにお気の毒かな。


 だけど……それでもあたしは次の小説が書けないでいる。

 なんでかって、その理由さえもあたし自身ちゃんと理解できていた。


 あたしはもう、小説を書くことに興味がなくなってしまったんだ……。


「あ、やっぱりここにいた。ナツノッチ、本当に海が好きだね」

「……なんだ、ヤスミか」


 中性的で柔らかい声が、波の音に混ざって入り込んでくる。

 宇佐美うさみ泰緒やすお。略してヤスミ。もちろんそんな風に呼んでいるのはヤスミの幼馴染であるあたしくらいだ。それにしてもぴったりのあだ名だと思わない? 家が近所ということだけあって、小学生の物心がつき始めた頃からいつも一緒にいて、あたしのささやかな安らぎの居場所を与えてくれる男の子。今年高校生になってもやっぱし同じ学校で、クラスこそ違えどこんな風にあたしを追いかけてきてくれる。


 もちろん、例の彼と愛花ちゃんのような恋愛感情など一切ない。

 ……いや、ヤスミの方はどうなのか知らないけど、あたしにとってはただの幼馴染で、だからこそ傷つけたくない、それでいてちょっぴり苦手な男の子でもある。


「どうせナツノッチのことだから、部活もしないでここで暇潰してるんじゃないかと思って」

「ひっどいな〜。売れっ子推理作家で、春からは売れっ子アイドルのあたしだよ? 部活なんてする時間あるわけないじゃん」

「うん。売れっ子推理作家で、売れっ子アイドルのくせに、部活も仕事も全然まともにやらない花の女子高生だもんね。僕には到底真似できそうもないよ」

「…………」


 まぁヤスミは花の男子高生だし、女子高生の気持ちなんてわかるわけないよ。とりあえずこんな調子だからあたしはちょっぴり苦手なんだけどね。……いや、大分か。


「せっかく大好きな異性の人とコラボ企画が決まったのに、それでも推理作家の方は放り投げちゃうんだもん。そんなもったいないこと、僕にはできっこないかな」


 そう言うとヤスミは小さく笑って、あたしの隣にちょこんと腰を下ろした。言葉遣いも態度も全てが本物の女子みたいで、幼馴染のあたしがこんなだから、いつも周囲からその辺りを比較されてばかりだった。逆だったらお互い幸せになれたかもしれないのにね……って、密かにそう思ったこともある。もっともあたしがそれを口に出さなくても、きっとヤスミはあたしの考えてることなど感じ取っちゃうんだろうけどな。


 だからあたしはヤスミのことが苦手なんだ。

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