女子高生推理作家が千円札に指紋を残さない事情
あたしは少しだけ、どぎまぎしていた。
彼に次に書きたい小説の内容を問われて、そしてふと頭に思い浮かんだラブレターの在処について、それらが頭の中でごちゃごちゃに混ざり合って、ようやく導き出した質問の回答も触れた瞬間にぱんと弾け飛んでしまっていた。だけどそんな困惑した顔を、絶対に彼に読み取られてはいけない。彼をあたしのペースに巻き込んでいくんだ。主導権は既にあたしの手の中にある。弱みを見せた瞬間、御咲ちゃんの二の舞になっちゃうんだからね。
「手紙って……お前が『電話番号教えて』って寄越してきた、あの謎のファンレターのことか?」
「そ、そう。それのことだよ」
そんな風に露骨に言われると、あたしはやはり一瞬顔が崩れそうになる。だけどそれでも態勢を立て直して、あくまであたし優位で話を進めていくんだ。絶対に彼のペースに巻き込まれちゃいけない。
とはいえやっぱし酷いな。まるであたしのラブレターがその一文だけに押し止められてしまったかのような言い草だ。あのラブレター、ちゃんと君の小説の感想まで書いたはずだよね? 君の、ほとんど誰にも届かない純粋無垢の純文学。だけどあたしの心だけはしっかりと鷲掴みにしたまま、自分の巣へと丁寧に持ち帰られてしまう。……そして今はこうして君と二人だけ。
『先生の小説、好きです。だから電話番号を教えてください』
そんな一言で始まった出逢いから、今あたしは君に調理されることを待っている。
でもただ食べられれてしまうのではなく、あたしは最後まで足掻いてみせるんだ。
「あの手紙なら、確か俺の机の引き出しの中に入ってるよ」
「あ、そうなの? もうとっくに破り捨てちゃったと思ってたけど」
嘘。君ならきっと大切に残してくれてると信じてた。
「あんな気味の悪い手紙、そう易々と捨てられるかよ」
「気味の悪いとかそれはさすがに酷くない? 仮にもファンレターに対して」
「だったらお前なら、
「ああうん。間違えなく気持ち悪くなるどころか、吐き気を催すだろうね」
「お前さっきから言ってることが支離滅裂すぎるだろ!」
そうやって読者を惑わすのがあたしのお仕事だもん。そんなこと言われたところで今更仕方のないことだ。あたしは戯けた顔を悠斗に向けて、さらに惑わせてみる。あくまであたしのペースで……こうでもしていないとあたしが悠斗の魔力に負けてしまいそうだからだ。
「でもあたしだってそういう類のファンレターならもらったことあるよ」
「ほぉ……。どんなファンレターが送られてきたって?」
「『消えろ』とか『死○』とか、そんな素敵なラブレターみたいなやつ……?」
「それをラブレターだと思えるお前がすごいわ。てかそれおよそ夏乃のファンじゃなくて、愛花のファンから届いたやつだろ!」
悠斗の言う通りだ。およそGWが終わった頃、あたしの手元には大量の手紙が届いていた……らしい。あまりにも多すぎて、全てに目を通したわけではない。事務所の方からも『別に読まなくてもいいよ』と言われていたし、それならとあたしはその言葉に甘えさせてもらうことにした。
手に取った十枚のファンレターのうち、十枚がさっきあたしが話した類のファンレター。比率にして百パーセント。さすが愛花ちゃんのファンだけあって殺意に満ちており、読んでいて本当に吐きそうになったくらいだ。唯一の救いは御咲ちゃんのファンじゃなかったことなのかな。あの時あたしがぐーで殴った相手が愛花ちゃんじゃなくて御咲ちゃんだったとしたら、枚数もその数倍は届いてただろうし、本気であたしは街中で刺されていたかもしれない。『デビューから一ヶ月あまりの女子高生アイドルが、箱根温泉街の路上で刺し殺される! そして犯人は!?』……うん、間違えなく売れるなこれ。
「お前はもっと自分を大事にしろよ。俺宛に送った手紙のことも、愛花のファンから届いたファンレターの件にしても」
「ひょっとして、あたしのこと心配してくれてるの?」
「そんでもって俺にそう言われた程度で、目をきらきら輝かせるのもやめろって。どうせ今の言葉、心にも思ってないことだろ?」
「う〜ん……今のは半分以上本気なんだけどなぁ〜……」
「『半分以上』って妙に割合がリアルすぎるな!?」
あたしは確かに『半分以上』って言ったけど、実際その比率は百パーセントなんだけどな。百パーセントであろうが、半分以上であることに間違えない。この場合、どちらかというとそうでない成分が何パーセント含まれているかの方が大切だ。
でもあたしの言葉って大抵、そうじゃない成分がおよそ半分以上含まれてる。だから今更それを君に言われたところで何も驚かない。あたしはそもそも嘘の塊だ。そもそも何もかもが嘘かもしれないし、ひょっとしたら全部本当かもしれない。
それがあたし。
「とりあえず今日は君にあたしの裸を見せることできたし、コラボ小説についてはあたしの方も企画を考えとくよ」
「見てないから! 夏乃が推理作家だって知らされただけだから!! てかそんな話を御咲に聞かれたら、次の小説を書く前に俺が殺されるからやめてくれ!」
「そっか。じゃあ君を、小説の中で殺してあげればいいんだね!」
「別にそれは構わないがあまりに生々しい描写も頼むからやめてくれ」
「いっそのこと御咲ちゃんに君が殺された後、愛花ちゃんも一緒に殺されて、二人は天国で結ばれるって結末ならどうかな?」
「いやだから生々しすぎるだろそれ! てかお前はどうあっても愛花を殺したいらしいな……」
「別にそういうつもりじゃないんだけどな。ほら、あの子可愛いし」
「可愛いから殺したくなるって、どういう推理作家の本能だよ!?」
「可愛いものこそ自分の掌の中に密かに収めておく。それは自然の考えでしょ?」
「そういうものかなぁ〜???」
あたしは鞄の中から財布を取り出すと、コーヒー代を出そうとする。今日はあたしの話を聞いてもらえたから、五千円札一枚をここにぽんと出しても構わないんだけど、悠斗はお代はいらないってあたしに手で合図を送っていた。であるならこれで……と、千円札一枚をカウンターの上にぽんと乗せる。悠斗は何か言おうとしていたけど、あたしがその話の聞く耳を持っていないことに気づくと、その千円札は無言のままカウンターの上に放置されたんだ。
「あ、そうだ。あたしが推理作家ってことは、事務所の関係者には黙っておいて欲しいんだけど、いいかな?」
「……ああ。別に構わないけど、どうして隠す必要があるんだ?」
「う〜ん……特に理由とかないんだけど、あまりあたしのことを詮索されたくないって具合かな〜」
「そういうもんかな……?」
「そういうもんなの。秘密が乙女を輝かせるって、昔からよく言うでしょ?」
「他の女子をグーでパンチするようなやつのことを乙女と呼んでも、まるで説得力ないんだけどな」
「なんか言った?」
「いえ何も言ってません!」
そう言ってあたしは逃げるように喫茶店を出ようとする。
「ちょっと待てって。送らなくていいのか?」
「いいよ別に。そろそろ御咲ちゃんも愛花ちゃんも帰ってきそうな時間だし」
「だからその俺が不倫してるような言い方はやめてくれ!!」
そう、逃げるように。あたしはにこっとした笑みを悠斗に向けると、そのまま足早に喫茶店の外へと出た。もう空はすっかり薄暗くなり始めてて、今日の予定を聞いた限り、御咲ちゃんも愛花ちゃんもあと三十分程度でこの街に戻ってきてしまうだろう。その前にあたしはこの街から立ち去らなきゃいけない。何も痕跡は残さないで、さっきの千円札だってきっと指紋などどこにも残ってないはずだ。
あたしは影の推理作家、天保火蝶なのだから。
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