ケーキと紅茶の組み合わせが甘苦い事情
それから週末の金曜日。その放課後。場所は横浜駅近くのケーキ屋。
『Green eyes monsters』の名古屋遠征ツアーは二週間後と迫ってきていて、俺は夏乃に進行台本の打ち合わせをと、このおよそ女子ばかりのお店に呼び出されていたんだ。夏乃曰く、『どうせ経費で落ちるんだったら美味しい店を選ぼうよ』とか『君も喫茶店運営の参考になるような店がいいでしょ』とか、いろいろ難癖つけられていた気もするが、別にあの喫茶店をどうにかしたいなどと思ったことなど一ミリもないし、それ以上に何でこんな女子ばかりなんだと頭を抱えるほどだった。
「ねぇそっちのケーキ少し分けてよ〜」
「あ、ああ……」
「代わりにこっちのケーキ少し分けてあげるからさ」
「…………」
「……って君、なんか少し機嫌悪い???」
別に機嫌が悪いとかそういう話ではなくてだな……。
「まぁそんな硬くならないでよ〜。せっかくのデートなんだしさ!」
「デートじゃなくて仕事だよな。てか今それわかってて言ってるよな!??」
こんな調子で、どうにも非常に肩身が狭い。お店的にも状況的にもどう見たってデートと言われてしまうと否定はできないし、こんなところを御咲に見られたらまた何言われるかわかったもんじゃない。甘ったるいケーキとそれを口の中でじんわりと溶かしてくれそうな紅茶のセットは、俺の調子を狂わせるのに十分なほどの力を持っている。
「だって昨日も御咲ちゃんに電話したけど声の機嫌が妙に良さそうだったし……」
「昨日『も』……?」
「そう。御咲ちゃん今週暇そうだったから毎日電話してるんだけど、なぜだか月曜日辺りから声が女の子っぽいって言うか、張りがあっていい感じなんだよねぇ〜」
御咲が女の子でなかったら何だというのだという話はともかく、暇っていうか、今日もまだ松葉杖をついて学校へ登校していた。今頃鎌倉市内の病院で状況を確認していて、その結果次第如何で松葉杖生活から解放されると言っていたと思う。そんな状況であるが故、仕事もレッスンもできないでいる。御咲の場合、少し前ならそれだけでもストレスとなってしまい、俺にも諸々の被害が飛んできそうなものだったが、夏乃の言う通りで今のところそのような様子も見られない。
てか夏乃、俺だけじゃなくて毎日他のメンバーにも電話してたのか?
「あんな声をステージの上で出されたら、ファンの子みんな絶対悶絶しちゃうよ?」
「あ、ああ……」
「あれって御咲ちゃん、絶対今週何かいいことあったでしょ?」
「ん、んん……???」
「その辺りの話も御咲ちゃんの彼氏さんから聞けることできたら、今日のミッションクリアって感じなんだけどね!」
「ごほっごほっ……」
本気でむせ返りそうになる。俺の調子を狂わせているのは、ケーキと紅茶だけではないようだ。とはいえ今日は夏乃と二人という時点で、これくらいの覚悟はしていたわけだけど。
それにしても夏乃、黒いニットを被る以外の変装をしないまま俺と二人でこんな店に入ったりして、マスコミ関係者に見られでもしたらまた叩かれそうな気がするのは俺の考えすぎか?
「ま、残念ながら今日の話の主役は、御咲ちゃんじゃなくて愛花ちゃんの方なんだけどね」
「ああ。本当に残念だな」
「本当に残念だよねぇ〜……」
夏乃の眼差しは本気で俺を挑発しているようだった。今日はあくまで仕事の打ち合わせで、ステージ台本の作成が目的であることを忘れているかのよう。事務所の経費でこんな甘すぎるケーキを戴いているわけだから、とっととその本題とやらに入りたいものだ。
「で、御咲ちゃんの嘘の彼氏さんに改めて聞きたいんですけど……愛花ちゃんの一体どこが好きなんですか?」
「…………」
それにしてもこいつ、今日本気で仕事する気あるのか???
「てか何で俺が『嘘の』彼氏ってことになってるんだよ?」
「だって実際そうなんでしょ? 君は愛花ちゃんの恋心を自分に向かせるため、敢えてそんな無謀な選択肢を選んだ」
「…………」
「まぁそんなことしようがしまいが、ぶっちゃけ愛花ちゃんはあんな性格だし、それが無謀であったかどうかはともかく、結局何一つ影響を及ぼさなかったってのが正解のようだけどね」
完全に返す言葉が見つからない。ケーキの甘さに頭の中が占領されていく。
「でもまぁこれって、まるで君の小説を読んでいるようで、あたしはそういう状況とか判断とか、嫌いじゃないけどな〜」
「この状況を好き嫌いで判断されても本当は困るんだけどな……」
というか、俺の小説そのものがそもそもで……。
「ぶっちゃけ君に愛花ちゃんの好きな理由も聞くまでもなくて、今度ドラマ化されるラノベの中に、君の全てが詰まってたもん。愛花ちゃんが好きでたまらない理由も、御咲ちゃんに対する切ない想いも、全部何もかもみ〜んな……」
俺は紅茶のカップを口に運んだ。どれだけこの甘いケーキと相性が抜群なのだろう。甘さと苦さが絶妙に混ざり合って、その感触がぽつりと胸の中に落ちていく。
「君は、泣き虫な愛花ちゃんが大好きだったんだよね?」
……そして新しい感覚が、身体全体へ染み渡っていくのがわかった。
「ああ。結局は、そういうことだったのかもな」
「どうしようもないほど不器用で、誰よりも他人想いの彼女を自分のものにしておきたくて。……ずっと自分の宝箱の中だけにしまっておきたくて」
「…………」
俺の宝箱……か。そんな表現、俺の小説に出てきたかな?
「君は何年もずっと、愛花ちゃんを独り占めしたかったんだよね」
だけど夏乃の言葉には何一つ偽りなどなく、全部がその通りで、言い訳もできないほど腑に落ちる内容だった。そもそもあんな泣き虫、俺が守ってやらなきゃ誰が守ってやれるんだって。だって、愛花だぞ? アイドルデビューが決まってからも普通に同じ高校に通い、そして俺以外の男子からはほぼ誰からも注目されない女子だ。御咲だったら俺がほっといたって、ファンが周囲に群がっていく。だけどあいつは……。
あいつの無邪気な笑顔はずっと俺だけのものだったはずなのに。
馬鹿でお調子者で無神経で……そんなものは俺に対してだけで十分だったんだ。
「まぁあんなしょうもない女子をプロデュースするっていうんだから、あたしたちの仕事も一苦労なんだけどなぁ〜」
「ああ、本当にそうだな」
「でも御咲ちゃんも電話で言ってたけど、二人とも、あの子を本気にさせる台本にしていいってことだよね?」
「それが俺と御咲の望んだことだ。今度こそそれで間違えないさ」
「でもそれで苦しむのは、君と御咲ちゃんだとあたしは思うんだけどな?」
「……覚悟はできてるよ。俺も、御咲も」
すると夏乃は小さく笑って、無地のノートにこう大きく書き込み始めた。
「だったらあたしも容赦しないよ。あたし、責任取らないからね!!」
『愛花ちゃん超メインヒロインプロデュース大計画』って。日本語おかしくないかとか、いやそもそも日本語にもほぼほぼなってないしとか、少しだけその件を考えたが、むしろこれくらいはっきりさせた方が俺と御咲のためだって、そんな風にも思えたくらいだ。
「ああ。望むところだ」
俺と御咲があの怪物から逃れるには、もうこれしか道がないのだから。
全てを飲み込まれてしまう前に、剣を構えて戦うしかない。
その結末が、誰もが望むものでなかったとしても……。
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