アイドルが喫茶店で弱音を溢す事情
今日、喫茶店のドアのベルが鳴ったのは、俺がラノベの新刊の第一章をちょうど書き終えたタイミングだった。もちろん初稿であるためこれから赤入れもされるだろうが、このペースでいけばドラマが放映される夏までには何とか間に合うかもしれない。……いや、間に合わないかもしれないが。
「…………」
店に入ってきた彼女は無言だった。松葉杖をつく姿は、今朝学校で見かけた時の彼女とほぼ同じで、放課後病院へ行った後も医者にはまだ必要と判断されたのだろう。確か全治三週間と言っていただろうか。何とか月末の名古屋ツアーには間に合うらしいとのことだが、予断は許されない状況であることに違いはない。
「おい。まだ足が治ってないんだから、わざわざこんな店に来なくても」
「ここに来れば悠斗にこうして会えるから、私はここに来たのよ」
御咲はそれだけ答えると、いつものカウンター席ではなく、足を庇うようにテーブル席の方へと腰掛けた。それだと俺がコーヒーを淹れにくいのだがと言いかけたが、御咲は腰掛けたソファーの上を軽く二回ほど叩く。どうやらここに座れと指図しているようだ。
もちろん……と言っていいのか悩むところだが、平日の間もなく夕方を迎える時間帯は、他に客などいない。元々俺の両親が趣味で開いていた喫茶店ということもあり、客なんてほとんど来ることないし、この店は適当な時間に営業している。俺はコーヒー淹れるから待ってろと合図だけ送り、キリマンジャロコーヒーの豆を挽き始めた。やがて仄かに甘酸っぱい香りがカウンターを占拠してくる。
「馬鹿な女だとでも思ってるんでしょ」
「誰もそんなこと言ってねえって」
今日の御咲は最初から自虐モードだ。本当にこれが現役トップを狙うアイドルの姿だというのだから、少し調子が狂うくらいなのだが。
「歌もダンスも三人の中で一番下手なのに無理して……結果こうやって怪我しちゃってるんだから、本当に惨めなものよね」
「おい、やめろって」
「そして私は、やがて何もかもを奪われていくのよ」
「だからやめろって言って……」
「トップアイドルの座も、君の心さえも」
「やめろって言ってるだろ!!」
コーヒーサーバーへドリップし終わる頃には、御咲は顔をこちらへ向けることさえ諦めていた。今日御咲が座った席は、普段誰も座ることのない一番窓側のテーブル席。御咲は窓の外に顔を隠してしまい、その表情は窓ガラスに微かに映るのを確認するくらいしか術がないほどだった。今日は夕方から雨の予報。間もなく泣き出すように降り出しそうな空模様は、人々を家路に急がせるのに十分なほどだ。
「夏乃と、名古屋ツアーの台本も書き直すのよね?」
「ああ。社長がその方がいいって」
「徐々に私がフェードアウトしていく、そんな台本に書き直すのかしら?」
「誰もそんな台本は望んじゃいねえよ。愛花も夏乃も、そしてもちろん御咲も、三人全員が幸せになれる台本をクライアントはお望みのようだ」
「私が消えていく台本へ作り直すのに、それでも幸せにしようだなんて、そんなの傲慢に決まってるわ」
「お前なぁ……」
正直なところ、マイナスだらけのその解釈の方がよっぽど傲慢だって、そう言い返してやりたいくらいだ。俺は御咲の座るテーブルへコーヒーカップを持っていくと、窓のカーテンを閉めることにした。外が暗くなってきたのももちろんその理由の一つだが、こんな御咲の顔を窓の外の人に見られたら大変な騒ぎになる。店内の明るさは照明のそれだけとなり、暗くはなってしまったものの、それでも御咲がコーヒーを味わうには十分すぎるほどの明るさだ。
今にも崩れ落ちそうな御咲の隣に俺が座ると、御咲は高校の制服のジャケットを脱ぎ始めた。もうすぐ夏へと近づこうとしているのか、確かに最近暑さが少しずつ近づいていくのがわかる。俺の膝下からは、レザーソファーのひんやりとした心地が僅かに伝わってくるくらいだ。
「ねぇ悠斗、お願いがあるの……」
「何でも言えよ。俺にはそれくらいしかできないから」
俺は御咲の彼女だ。少なくとも愛花の前ではそれで行こうって、そう二人で決めたのは、桜の花がちょうど咲き始めた頃のこと。
「私を、ボロボロにして」
「…………え?」
御咲は次に、Yシャツのボタンを上から一つずつ外し始めた。内側から、御咲の胸の白い下着がその姿を現す。ふっくらとした柔らかそうな谷間が、俺の視界へと飛び込んできた。慌てて俺は、御咲の小さくなったその身体を隠すように、ぎゅっと抱き寄せたんだ。
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