二人で新しいステージを作り上げる事情

 二番出だしのAメロがカラオケ状態になってしまったのは、ほんの五秒くらいだった。愛花ははっと我に返り、思い出したかのように御咲のパートを歌い始める。ただしそれは観客にもはっきりわかるレベルの長さだったようで、観客席の空気がさらに重くなっていく。この重さは間違えなく、ステージの上の夏乃と愛花にも伝わってしまっているはずだ。


「私のせいで……」

「おい。自分を責めるのはやめろ」


 隣で頭を項垂れていたのは御咲だった。顔からは悔しさだけが見て取れる。いつも観客に笑顔を持ち帰ってもらうというミッションを自分に下している御咲にとって、この状況は如何ともし難いものなのだろう。だけどそこは御咲が自分を責めるべきところではない。


 愛花の歌声はさらに弱くなっていく。元々の自分のパートであろうと御咲の代役として歌うパートであろうと関係なく、歌声にずっしりとした重さが加わっていき、それに耐えかねて、か細く小さな声へと変わっていった。幻想的な音楽で彩られるはずの舞台の色さえも徐々に薄くなり、あともう少しで愛花の存在がステージから消えていなくなってしまうんじゃないかって、そんな気配さえ感じられる。

 こんなことって……。いつものステージとの違いは、御咲がいるかいないかだ。確かに御咲は、『Green eyes monsters』の絶対エースでもある。今日のステージに御咲が上がることはないってそう告知されていても、駆けつけたファンの多くはやはり御咲の登場を待ち侘びていたのかもしれない。だがそれは当然叶うことはできず、挙げ句の果てにこの有様だ。残りの二人が……いや、愛花が、本来のポテンシャルさえも出しきれずにいる。


 愛花の、本来のポテンシャル……?

 俺はふとひとつ、疑問に思うことがあった。


「愛花、ところでなんで昨日は普通に歌えたんだ?」


 ……いや違う。自分で言っておきながら、少し語弊があることに気づく。昨日あいつは普通に歌えていたわけではない。御咲がライブ中のアクシデントでステージを去った後、愛花はいつも以上のポテンシャルで歌っていた。まさに今日とは真逆の光景だった。


「さっきも言ったろ。あいつは空気を読むんだ」

「え、空気って……」


 有理紗先生が迷わずそう答える。何か確信したものを持っているのかもしれない。


「主に観客の空気。あいつはそんな些細なものを読んだ上で、それに応えようとする。昨日は御咲がいなくなった後、観客は残された夏乃と愛花へエールを送っていた。それだけのことだ」

「あ……」


 思わず合点してしまう。確かに昨日のステージにはそんな風潮があった。突然のアクシデントに見舞われて、それを夏乃と愛花だけでなく、観客までもが一体となって最後まで力を出し切ったという印象があった。達成感というより、なんとか乗り切った、そんな言葉が似合っているだろうか。

 だがそんなアクシデントを乗り切った後の今日の舞台だ。昨日と今日とでは観客だって違っている。日にちも違うし、場所も違う。そんな新しいステージを作り上げようとした時に、夏乃と愛花では力不足だったということだろうか。

 俺の右手がぎゅっと握られたのはその瞬間だった。御咲の小さな両手だ。御咲は椅子に座ったまま下を俯き、耳と肌だけを使ってステージの上の様子を探ろうとしている。やがて握りしめてくる力はより強くなっていった。御咲の冷たくなってしまった掌の体温は、俺の心臓の鼓動を少しだけ速くさせていた。


 やがて一曲目が終わる。……まだ一曲目が終わっただけだ。


「いや〜、疲れたねぇ〜」

「え。……あ、うん」


 ステージの上は再びMCパートへと移行した。何事もなかったかのように進めようとする夏乃に対し、愛花はまだ動揺の色を隠しきれていない。


「今日のステージはさ、ミサがいないから、ミサのパートをあたしとマナの二人で歌う特別バージョンなんだよね〜! 一曲を二人で歌うのがこんなに大変だったなんて、あたし知らなかったよ〜」

「…………」


 そうは言っても、昨日夏乃は一人で御咲のパートまで歌ってたじゃないか。だがもちろん、夏乃はそれを口に出すことはしない。


「後で今日の分、ミサにしっかり請求しておかないとね! ミサってあたしたちよりずっと稼いでるし、ケーキひとつ奢ってもらうくらいじゃ全然足りないかもだよ! ……ってマナ、あたしの話ちゃんと聞いてる?」

「え、あ、うん。もちろん聞いてるよ?」

「じゃ〜さ……」


 夏乃はやや俯き加減だった愛花になんとか前を振り向かせようとしていたぽいが、やがて愛花のいる方へ歩き出し、愛花の側までやってきた。観客席から見るとステージの右側へと二人が集まる。左半分はすっぽりと空白地帯ができており、二人だけのステージがこんなにも広かったのかと、今更になって気がついた。


 ばこっ!!


 一瞬何が起きたのかわからなかった。いや、観客席もただ呆然とした顔ばかりが並んでおり、やはり俺と同じ状況なのかもしれない。ただ唯一はっきりしているのは、その低く鈍い音をしっかりと夏乃のマイクが拾い上げていたこと。明らかに意図的に、夏乃はその音までちゃんと観客席へ届けたかったようだ。


「いった〜い!!!」


 夏乃に殴られた頭を両手で押さえ、言葉通り痛そうにもがく愛花。あの音の通りだとするなら、夏乃のやつ本気で頭をぶっ叩いたようだ。夏乃自身の手の方も相当痛かったようで、観客に見えないよう殴った右手をさっと後ろへ隠してしまっていた。


 ……て、おい夏乃。どうするつもりだよ!??

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