トップアイドルが機嫌悪い顔を見せる事情

「で、和歌山。突然どうしたんだ?」


 俺の愛花に対する初動は、もはややけくそそのものだった。


「えっとね、夏から『ガラス色のプリンセスの鈴音』ってドラマが始まるんだけど……あれ? なんか悠斗怒ってる???」


 やけくそというよりは、呆然という方が正解だろうか。言葉を失った俺は、思わず御咲の顔色を伺う。が、御咲の方はというと俺を軽蔑するかのような、きつい顔で睨み返してくるばかりだ。


「どうでもいいわそんな話。私、帰る」

「おい、待てって」


 そのまま御咲は立ち上がり帰ろうとしたが、俺は慌てて御咲の左腕を掴んでいた。正解かどうかなんてわからなかったが、このまま御咲を帰してはいけないような気がして。


「なによこの手は。いいから話してよ!」

「御咲も話の続き、まだあるんじゃないのかよ!!」

「…………」


 御咲は複雑な顔色をしていた。出てくる言葉こそ刺々しいが、今にも涙が噴き出してしまいそうな、だがそれを御咲は御咲なりに必死に堪えているようだった。……いや、やはり俺が御咲を止めたのは誤りだったかもしれない。だが御咲は再びカウンター席に座り、俺をただただじっと睨んでくる。


「ごめん。やっぱし御咲は……」

「いいわよ別に。私は君の彼女だもの。最後まで話は付き合うわ」


 そう言うと御咲はコーヒーカップを手に取り、くいっと口まで運んでいた。


「あの〜、今わたしって、ものすごくお邪魔だった???」

「いいよ。続きを話せって」


 何も知らない愛花は、俺と御咲の顔色をきょろきょろと見比べながらあたふたしている。だが御咲の反応で愛花が何を話そうとしているのかまで、わかってしまった。恐らくは愛花に何一つ罪はないし、御咲は帰してしまった方が正解だったかもしれない。

 だけど御咲は、俺の彼女という存在位置から生まれるプライドが、それを許さなくなっているんじゃないかって。本当は初めから何もかもが間違っているのかもしれない。


「えっと……えっとね、夏から『ガラス色のプリンセスの鈴音』ってドラマが始まるんだけど、その原作はラノベなんだって。悠斗はこの話、知ってる?」

「ああ。読んだことある程度には……」


 本当に愛花は何があっても愛花のままだ。夏乃も御咲も気付いているある事実を、愛花は一人気づいていないのだから。俺は呆れついでに御咲の顔を見たが、御咲の方は俺の顔を見るなり、小さく口を動かした。『うそつき』って、恐らくその四字を俺に訴えていた。


「その主役のオーディションを御咲と受けてたんだけど、わたしね、主役のオーディションに合格したの! だけどわたし本当に演じきれるか不安で……」


 やや大袈裟にも思えるトーンで話をする愛花に対し、俺と御咲は淡々とその話を聞いている。俺の方はというと思わず溜息が出てしまいそうになる程だったが、それを愛花のいる前では出すわけにはいかない。くっと力強く飲み込んだ。


「そのオーディションなら私も受かったわよ」

「は……?」


 だが想定外なことに、御咲も御咲で負けじと口を挟んできたんだ。


「もっとも私は主役ではなくて、主役の女の子のライバル役」

「そうそう、御咲もオーディションでの演技、迫力満点だったもんね。わたしあんな御咲見たことなかったから、びっくりしちゃった!」

「それで勝ち取ったのが主役のライバル役。もちろん愛花よりもずっと出番は少ないわ。馬鹿でお調子者で無神経で、そんなピエロみたいな女の子を演じるの。今の私には丁度いいわ」


 そういうことか。御咲が今日機嫌が悪かった理由も、全てわかってしまった。

 確かに御咲が役を勝ち取ったというのは、表現として正しいだろう。愛花と比較すると女優経験も浅く、これまで名前さえもない役しか演じてきていなかったはずだ。ともすると主役のライバル役というのは、ほぼ大抜擢と言って過言ではなさそうだ。

 だけど愛花が来る前、御咲は『主役のオーディションを受けた』と言ったんだ。それがどういう経緯でライバル役に決まったのか、そこまではわからない。だけど主役に決まったのは愛花の方なんだ。


「そんなことないよぉ〜。わたしあのライバルの女の子も大好きだよ? すごく純粋で、きらきら輝いてて、御咲にはピッタリの役だと思うけどな」

「あなた、それ本気で……?」

「おい、ちょっと待てって!」


 馬鹿でお調子者で無神経で……本当に御咲の言う通りだ。

 御咲が本気で壊れてしまう前に、俺は愛花と御咲を静止する。こうは言ってるけど、愛花には何一つ罪はない。だけど御咲の身体はトップアイドルが手にするべきオーラを完全に失いつつある。こうなってしまったのは全て俺のせいだ。

 俺が気まぐれ的にもあんなラノベを書いてしまったがばかりに……。


「あのラノベ、一小説家である俺が読んでも、どっちも魅力的なヒロインだった。メインヒロインもそのライバルも、同じように前を向いて、百八十度異なる悩みを抱えてる。だったらそれを最後まで演じきるのが女優の仕事ってやつじゃないのか? そんなの俺は誰が誰を演じたって構わない。だけど大切なのは役と真正面から向き合うこと。何を大切にして、何に悩んでるのか、それらを全部理解できれば自ずと良い演技ができるんじゃないかな」


 もういいんだ。御咲だって、愛花だって。

 俺は御咲にも愛花にも傷ついてほしくない。そんな理由で小説書くやつなんて、どこにいるって言うんだ? 誰かを幸せにしたいから、その小説を書くんじゃないのか。


「すご〜い。悠斗が小説家っぽいこと言ってる!!」


 本当にこいつは……もうそう考えるのも疲れるのでやめることにした。


「ふん、そうね。役者なんて誰だっていいわよね。そのラノベ書いた張本人にとっては、ドラマが成功しようが失敗しようが、入ってくる印税なんて決まってるんだろうし」

「誰もそういう話はしてないだろ……」


 御咲にとっては、今のが精一杯の強がりだったのか。俺を少しだけ睨み付けてはいたが、その表情には少しだけ笑みが含まれていた。本当のお調子者は君の方だって、御咲はそう言いたかったのかもしれない。


 仄かに渋目のコーヒーの香りが小さな店内にまだ漂い続けていた。

 何もかもがあべこべで、やりきれない春。だけど時計の針は確かに進んでいて、くるくるくると時間とともに狂い始めているようにも感じられた。

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