高校生作家が言い訳をできない事情
「やっぱし悠斗の淹れてくれるコーヒーはいつ飲んでも美味しいわね」
「現役アイドルさんにお褒めの言葉をいただき光栄です」
放課後、御咲と一緒に帰宅した俺は、当店自慢のブレンドコーヒーを淹れて御咲の前に差し出した。元々この喫茶店は俺の父が経営していた店だったけど、両親がこの家を去った今、アルバイトの人がいる間だけ、時間限定で開店しているという状況だ。なので来る客といえば、近所の住民、もしくは御咲や愛花といった俺の友人くらいだ。
このブレンドコーヒーだって父から受け継いだものではなく、愛花が『お姉ちゃんがレシピもらってきた』と言って持ち込んだ暗号書がベースだ。確かに謎のカタカナと数字ばかりがずらりと並んだ暗号書ではあったが、俺にしてみたらそこに書かれたコーヒー豆の種類はさほど珍しいものでもなかった。だが愛花に言わすと知らない言葉と数値の羅列になっていたらしく、暗号そのものだと判断したようだ。
「こんなに美味しいブレンドコーヒーの味を知ってる人が少ないだなんて、なんだか勿体無いわね。都内の喫茶店でも、なかなかこの味はお目にかかれないわよ」
「ああ。千尋さんが言うには県内にある地味な喫茶店の秘伝みたいなものだから、絶対門外不出だよって念を押されてる」
「地味な喫茶店ねぇ……。でも、強いて言うなら事務所で戴いてるコーヒーの味に近い気がするのよね」
「そうなのか? てか千尋さんも元々は事務所でアイドルしてたわけだし……」
「地味な喫茶店というより、事務所の秘伝ってことじゃないかしら?」
喫茶店のオーナーである俺が、自慢のブレンドの由来を知らないなんて少し悔しくもあった。だがそれ以上にこの味は深くて暖かみを感じる。何より疲れを癒すにはぴったしの味だった。きっと計算された程よい具合のカフェインが、脳から身体を休ませてくれているのかもしれない。御咲の言う通り、事務所秘伝のブレンドコーヒーというのは納得味がある。多忙な芸能界関係者が限られた時間の中で、幾度となくこの味を楽しみ、休憩を取っているのかもしれない。
「そんなことより今日は用事があったんじゃないのか?」
さて、本題である。クラスメイトの愛花も『今日の『Green eyes monsters』の活動はお休みだよ〜』とは言っていた。だがこの喫茶店の最寄駅から御咲の家は逆方向の場所にある。近所に住む愛花ならともかく、御咲がわざわざ俺の家に寄っていくにはやや不自然というものだった。
「あら。同じ高校に通う女子生徒がこうして男子生徒の家に現れたりしたら、もっと喜ぶべきものじゃないかしら」
「そう言ってなんだかんだと俺と二人になる時間を作ろうとしてるのは見え見えなんだけどな」
「別にいいじゃない。今私といるこの時間は、君にとってプラスでもマイナスでもないはずよ?」
御咲はそういうとくすっと笑う。いつもの冷たい笑み。もっともそれは俺が冷たくさせてるわけであって、御咲に罪はないのかもしれない。思わず観念するしかないという気持ちになる。
「ほんと君って優しいのね。そういうところが大好きよ」
「いいから本題を聞かせてくれ」
俺の顔色を確かめるように、一音一音言葉を発する御咲。計算高い。
「『ガラス色のプリンセスの鈴音』……あのラノベ、悠斗は誰をメインヒロインにしたかったのかしら?」
「え……?」
正直言うと御咲が切り出したその本題というものは、俺の予想範疇であり、だが聞かれたくない質問でもあった。昨日の廣川さんの話によると、ドラマ化される俺のラノベの主役を演じる女優が決定し、それは『Green eyes monsters』の三人の中の誰かだということ。だがそれが夏乃ではないことは今朝の電話で確認している。だとすると……嫌な冷や汗が身体中から吹き出しそうになる。
「ふふっ。アイドル声優なんてよく言ったものね」
「いやだからそれは……」
「私もオーディションを受けるために何も知らずにそのラノベを手にしたけど、読み進めていくうちに身震いがしてきたわ」
「身震い……?」
「出てくるヒロインが恐ろしく身近な人に感じられて、恐怖感を覚えたのよ」
「…………」
ひょっとして御咲は、気づいてしまった……?
「なんであの子じゃないのよ! そんなの悠斗らしくない! ずるいわ!!」
それは時間が止まってしまったかのような感覚だった。御咲の怒声に暗闇へ突き落とされてしまう。俺が名前を偽ってそのラノベを書いたのは、今日この時間のような事態が起きることを恐れていたからに他ならない。
でも言い訳をさせてもらうなら、このラノベを書き始めたのは、俺と御咲が今のような関係性になる前のことだ。まさか俺と御咲がこんな偽りの付き合いを始めるなんて、当時は予想さえしていなかった。御咲はようやく雑誌にその写真が載るようになった頃だったし、仕事で一杯一杯だったはずだ。俺のことなんて眼中にあるわけないって、ずっとそう思っていたし。
だけど今となっては言い訳そのもの。もちろん今の御咲にそんな言い訳をするわけにはいかなった。
「ご、ごめ……」
「ごめん悠斗!! ちょっと相談乗って!!! ……って御咲もいる??」
と、こんな複雑な状況下で喫茶店の扉がカランと開き、火の中に飛び込んできたのは愛花だった。俺と御咲は思わず顔を見合わせたが、互いに気まずくなりすぐに目を逸らしてしまう。
いつもなら甘く感じられるブレンドコーヒーの匂いが、今日は渋く香っていた。
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