女優がアイドルを目指す事情

「なぁ御咲。それってやっぱしないものねだりってやつじゃないのか?」


 ただそこにはどうしても理解できない一面があった。この世の全てを欲しがる御咲。その中に俺も含まれていて、それ以外にも御咲の願いが数多く存在するはずだ。

 だが、その先に何があるというのだろう。御咲の永遠に続く執念の先に、一体どんな未来があるというのだろうか。


「だって、そんなの手に入れてみなければわからないじゃない」

「え……ああ……」


 だけど想像していた以上に御咲の回答は淡白なものだった。


「まずは君の心を奪ってみせる」

「…………」


 一瞬寒気に襲われたが、それを口に出すのはやめておこう。これ以上御咲のペースに乗せられても、なんの得にもなりはしない。


「そしたら次に、日本中の人の心を私の手の中に収めるの」


 くすっと笑う御咲の言葉は、もはや冗談かどうかさえもわからなくなっていた。


「それができたら世界中の心……」

「世界征服か。随分と野心が大きいんだな」

「だって私の魅力で世界が平和になったら、これほど素晴らしいことはないわよね?」


 ただそれは冗談であったとしても、邪気に塗れたそれではなかったようだ。御咲の野心が世界を救う。そんな夢のような話、小説家の俺であっても到底真似できそうもない。


「まぁ結局のところ一番難しいのは、君の心を奪うことだと思うけどね」

「…………」


 そう笑みを零す御咲の顔に、俺は苦笑いを返すしかなかった。


「私の尊敬する女優は、『日本中の人を笑顔にしたい』って理由でアイドルを目指したの」

「ああ。その話ならあいつにも聞いたことある。春日瑠海だっけ?」


 御咲は小さくこくんと頷く。

 春日瑠海というのは、御咲と同じ事務所の先輩だ。確か年齢は今年で高校三年って言ってたから、俺らよりも二つ上のはず。小学生の頃から子役ながら連続ドラマの主役に抜擢され、それ以降圧倒的なオーラを身に纏って国民的女優の地位をひたすらに走っていた。それが去年の春までのこと。

 だがそんな春日瑠海は突然女優を休業し、アイドルとしてデビューを果たした。多くの人に惜しまれながらも、もちろん今でも女優復帰を望む声は大きい。だが春日瑠海は専業アイドルとして活動を続けている。皆を笑顔にすることだけを願った女子高生は、女優を捨ててアイドルの道を極めているんだそうだ。


「だったら、こんな噂は知ってる?」

「ん?」

「その春日瑠海がたった一人の男の子を手に入れたくて、女優を捨てたっていう噂」

「……マジかよ」


 悪戯めいた御咲の声に、ブランコの揺れる音が重なっていく。


「事務所の中じゃ有名な話よ。あの春日瑠海が失恋して、そのせいで女優やめるって言い出して、事務所が大パニックになったとか」

「…………」


 なぜだろう。俺は失恋したという春日瑠海よりも、その春日瑠海を振ったという男子の方に思わず同情してしまったわけだが。


 本当にアイドルという存在ってのは、一体なんなのだろう。

 アイドルと女優にどんな差があるというのだろう。そもそも春日瑠海ほどの国民的名声を得ている女優であるなら、女優を続けながらアイドルを目指す方向性だってあったはずなのだ。その道を選ばなかった理由というのは、一体なんだというのだろうか。

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