アイドルが午前二時に電話をかけてくる事情

 午前二時。それはまさしく部屋の照明を消し、布団に潜った瞬間だった。

 手元に置いてあったスマホがブルブルと震え始める。俺は深く溜息をつくと、既に布団の中にあった俺の右手をなんとか引っ張り出して、スマホの方まで伸ばした。

 そして、画面に表示されてるはずの発信者も確認せずに、その着信に応えたんだ。


「やっほ〜。天才高校生作家くん! 元気してる〜?」

「こんな時間に元気なのは、お前か夜行性の猫くらいじゃないか?」


 そもそもこんな時間に俺に電話をかけてくるやつなんて、日本中探しても一人しかいない。もっとも今日は御咲から深夜零時に呼び出された時点である程度予想はしていたが。


「ひっどいなぁ〜。夜行性の動物なんて猫だけじゃなくて、この世にはごまんといるんだよ? そんな言い方、猫に失礼じゃないかな〜?」

「というよりつっこむところはそこじゃないってわかってて言ってるよな?」

「だって〜、せっかくの夜だし、寝る前に君の声が聴きたくなって、だったらモーニングコールかけちゃおうって気分だったんだもん!」

「寝る前にモーニングコールをかけるとかどこの世界の住民だよ!?」


 今が午前二時だとするなら、言葉そのものは合ってるものの、残念ながら使い方が間違っているだけかもしれない。いや、午前二時にモーニングコールをかけてくるとか話として聞いたことはもちろんないが。


「でもファンレターの返信にわざわざ電話番号を書いて寄こしてくれた君だったら、こんな時間のあたしの電話にも快く出てくれると信じてるんだよね!」

「っ…………」


 きっかけは、つい数週間前のことだった。こんな売れない高校生作家の俺に、一通のファンレターが届いたんだ。

 担当編集者から手渡されたその手紙には、『先生の小説、好きです。だから電話番号を教えてください』などという謎の文面が添えられていた。もちろん俺みたいな無名な作家に送ってくるファンという点から鑑みても、よほど変わった人格の持ち主であることは容易に想像がついた。だがその手紙をもう少し読み進めていくと、さらに驚愕の事実が発覚したんだ。手紙の最後に書いてあった差出人の名前と住所に、俺は聞き覚えがあったから。


「それにどうせ君のことだから、ついさっきまで御咲ちゃんとイチャイチャしてたんでしょ?」

「イチャイチャしてたかどうかはともかく、俺のことだからというその認識は百パーセント間違ってるからな!」


 つい二時間前、深夜零時に電話で俺を呼び出してきたのは御咲の方だ。


「あたしなんかついさっき小田原に戻ってきたばかりなんだぞぉ〜。遠距離通勤者の女子高生アイドルの気持ちだって、もうちょっと労ってくれないと困るな〜」

「深夜二時にアイドルに叩き起こされる男子高校生の気持ちももう少し考慮してもらえると助かるんだが、それについてはどう思うかな?」


 ファンレターの差出人の名前は秋保あきほ夏乃なつの、住所は小田原市だった。その名前と住所に聞き覚えのあった俺は愛花を捕まえ、『今度一緒にデビューする夏穂かほの手紙みたいなもの持ってないか?』と聞いてみた。俺みたいな無名小説家に手紙を寄越してくるくらいだ。勘が正しければ、愛花にも何かしら書いて送ってるはずと。すると愛花は何の疑いもなく、俺に本当にどうでもいい内容の夏穂の手紙を見せてきた。そこで俺の手元にあった手紙と比較すると、見事なまでに筆跡が一致。こういう時でもしっかりと勘が鈍いままでいてくれる愛花に感謝しつつも、秋保夏乃に対しては『アイドルデビューおめでとう』という言葉と、俺の電話番号を添えて返信したんだ。

 もちろん夏乃からかかってきた一番最初の電話は、非通知設定だった。俺も作家とはいえ高校生という素性は隠している故、かなり緊張したことだろう。今では想像もつかないような張り詰めた声だったが、そもそも電話番号を教えろと最初に要求してきたのは夏乃の方だ。それはそれでやや理不尽な気もしたが、そんな夏乃に俺は身元を明かしたんだ。


 『Greenぐりーん eyesあいず monstersもんすたーず』リーダー、夏穂。その本名を秋保夏乃という。

 今日、御咲と愛花と一緒にアイドルデビューのステージを踏む予定だ。


「……ねぇ。あたし、やっとデビューするんだよ」

「ああ。おめでとう」


 夏乃の声は、午前二時に聴くのにようやくちょうど良い程度の声になった。落ち着きを取り戻した声は芯が一本真っ直ぐ通っていて、声優が話すような声にも感じられる程だ。そういえば御咲も三人の中では一番歌が上手いって言ってたもんな。


「でもやっぱし御咲ちゃんはずるいなぁ〜」

「何がだよ?」

「だってこんな大切な夜に、身近に君みたいな素敵な男の子がいるんだよ?」

「そんなのデビューしてこれから頑張れば、近くにいい男も現れるんじゃねーか?」

「ムリだよ〜。小田原じゃあ温泉でぬくぬく育った人たちばかりだし、君みたいな尖りまくった男子なんてそうそういるもんじゃないよ〜」

「それは小田原の人たちをディスってるのか、俺をディスってるのかどっちなんだ?」


 小田原から少し北西へ向かえばすぐに箱根温泉街がある。周りがお寺ばかりの鎌倉に比べたら華やかな場所だし、新幹線だってしっかり停車するわけだから、非常に魅力的な都市だと思うんだけどな。


「とりあえず今日のステージ、三人の中で一番にあたしのことを応援してくれたら許してあげる!」

「えっと、それは結局誰が何を許すという話なんだ?」

「もちろん、御咲ちゃんとイチャイチャしてたことについて、あたしが許すって話に決まってるじゃん!」

「そもそもそれってお前の許可なんているのか?」

「もちろんだよ! いい? 君は三人の中で、あたしを一番応援するんだよ? 君は『夏穂』って書かれた団扇を振り続ける必要があるんだからね。残りの二人を応援したら承知しないから!!」

「ああ。わかったよ」


 とりあえず今は嘘でもいいからそう答えておこう。とりあえず寝たいので。


「あ、ちなみにその二人の中には御咲ちゃんだけじゃなくて愛花ちゃんも含まれてるからね。その点忘れちゃダメだよ!」

「…………」

「じゃ、あたしもそろそろ寝るね〜。じゃあね〜!!」


 俺が何かを答える間さえも与えてもらえず、スマホからはあっという間にプープーという音が鳴り響いていた。寝ぼけているせいだろうか、しばらく俺は放心状態であったけど、最後の方に言い残した夏乃の台詞が今でもはっきりと反芻していたんだ。

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