Lesson1: 彼女たちのアイドルデビュー

Green eyes monsters

甘いコーヒーを飲んでも太らない事情

 入学式終了後、俺と愛花まなかは大船駅で御咲みさきと別れた後、俺の家でもある喫茶店へと移動していた。御咲の方はというと今日も雑誌のグラビアの撮影らしく、電車で都内のスタジオへと向かったらしい。駅で御咲を見送ったわけだけど、『行ってらっしゃ〜い』と楽しそうに手を振る愛花と、周囲を警戒しつつも冷淡な笑みを零す御咲の板挟みに遭い、俺の心臓は若干止まりそうになった。おいおい、今を時めくトップアイドルがそんな怖い顔するなって、そう俺の顔に描いて御咲に返してやったわけだが。

 モノレールから見える桜は、少しだけ散り始めていた。車窓から紛れ込んでくるその香りは、あの日とは違う生暖かい春の息吹を俺に届けてくれたんだ。


「はぁ〜。やっぱし悠斗の淹れてくれるコーヒーはいつも美味しいよ」


 愛花は喫茶店へやってきても相変わらずのどかな顔でコーヒーを飲んでいる。ここまで平和そうな顔をしていたら、その顔に明日まで消えない油性ペンで落書きしたくなるような衝動が湧いてくるくらいだ。


「お前さっきも大船の喫茶店でコーヒー飲んでただろ。そんなに飲んでると本当に太るぞ」

「いいじゃん別に。だって悠斗のコーヒー、美味しいんだし」

「とても明日デビューライブを控えたアイドル様のセリフに聞こえないのは、俺の耳がおかしいからかな」

「そんなことないって。てか悠斗、コーヒーダイエットって知らないの?」

「ああ一応これでも喫茶店のマスターだ。それくらいは知ってるさ」

「だったら今ここでコーヒーを何杯飲んだって問題ないでしょ?」

「ああ問題はないかもな。もしそのコーヒーがブラックであればの話だが」

「……え、嘘!?? ミルク入りじゃダメなの??」

「お前のコーヒーにはミルクどころか砂糖までしっかり入ってるじゃね〜か!」


 まぁ愛花が太らない程度に適量の砂糖にしてあるんだけどな。昨晩もドラマの撮影で遅かったみたいだし、入学式だというのに朝から眠そうだったことも知っている。そんな身体にも優しいコーヒーを淹れたつもりだ。美味しいと感じるのは俺の力量とかじゃなくて、単に愛花の身体がそれを欲していただけだろう。

 ちなみに今日もこの後、御咲と再合流して、明日のデビューライブに向け最後のダンスレッスンを受けに行くらしい。その時間は夜らしいので、こうして一旦帰宅して着替えだけはしっかりしていくようだ。だけど今日から高校生だと言うのにその新しい制服はまだどこか地に着かず、愛花の幼さが残る顔立ちからしても中学生と見間違われてもおかしくなさそうだ。そんな彼女が明日、アイドルグループ『Greenぐりーん eyesあいず monstersもんすたーず』の一員としてデビューすると言うのだから、やや滑稽にも思えてくるんだけどな。


 愛花の家はこの喫茶店から徒歩三分ほどの場所にある。つまりは小さなガキの頃からその顔を見てきた幼馴染と言ってよい。だから余計にアイドルデビューという言葉がしっくりと来なかった。

 ま、考えてみればそれもそのはずだよな……。その似合わない伊達眼鏡のせいで、アイドルと呼ばれる存在とはイメージが遠くかけ離れてしまっているわけだから。


 てか、今日も誰にも気づかれなかったのに、伊達眼鏡なんて本当に必要なのか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る