第8話 過去編 ~優しすぎた人形~



 ――それから約4年後。



 「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ――!」

 

 グランドブレス近郊の森林地帯にて。人里から遠く離れた下級の魔物の群生地に、魔力を全身に纏わせながら走り回る少女の姿があった。全身の至る所に浅い切り傷を作り、それでも汚れたワンピースを翻しながら疾走する彼女は、背後で微かに聞こえた唸り声を合図に裸足で土を蹴って高く跳躍する。

 

 「ガアアアア!!」

 

 次の瞬間、森から銀色の狼、『シルバーウィンド』が、大きく口を開けた体勢で飛び出してきた。一歩、早く動いていたため、その襲撃を回避することができたが、それからもシルバーウィンドが次々と森から出現し、たちまちのうちに少女は周りを囲まれてしまう。

 

 「…………」

 

 絶体絶命に追い込まれる少女。数秒後には、魔物の集団に子どもが食い殺される凄惨な光景が広がっているかもしれない。嫌でもそう予想するしかない現場を、ベンジャミンは森を一望できる高い崖の上から見守っていた。

 

 「ガアウッ!!」


 間もなく、リーダー格と思しき一回り大きな個体が吠え、それをきっかけに全てのシルバーウィンドが少女に向かって走り出す。

 

 対して、少女は両手に魔力を纏わせ、頭上でクロスするように突き上げた!



 ――ドドドドド!!!

 


 その動作に連動して、無数の黒い串刺し棒が地面より出現し、少女を護る檻となる。


 「はああああ……っっ!!」


 安置を形成すると、少女は上体をゆっくりと丸めながら、全身に纏う魔力の量をどんどん増加させていった。幼い肉体に収まりきらない魔力は、立ち上る湯気のように空中に蓄積されていき、やがて一つの形を持ち始める。

 大きくツルンとした頭部。固く閉じられた目に、小さな鼻と歯の一本も無い口。丸く膨らんだ腕に太く短い指――それはまさしく、赤ん坊と形容するに相応しい姿。


 「オギャアアアア!!!」

 

 直後、血の気の無い赤ん坊が泣き叫び、すると辺り一面に大量の串刺し棒が発生した。シルバーウィンドの群れはその波に呑まれ、次々に体を貫かれていく。

 

 「はあっ!」


 そして、少女が両手を握り締めると、自身を護る檻以外の全ての串刺し棒が一斉に起爆。周囲の木々ごと、シルバーウィンドたちを木っ端微塵に吹き飛ばした。


 「ふううぅぅ……」


 木屑と血飛沫の混じる粉塵が吹き荒れ、少女の視界を埋め尽くす。小鳥が慌ただしく飛び回る上空に爆発の残響音が木霊し、それが遠く伸びて消えていった頃、周囲に立ち込める煙もまた静かに晴れていった。


 「グルルルル……」


 そうして鮮明になる視界の中で、地面にひれ伏す一体のシルバーウィンドが唸り声を上げて少女を威嚇いかくしていた。

 しかし、それが攻撃の予備動作ではなく、脅威を遠ざけるための防御の手段であることは、左脚に負った怪我からして明らかだった。恐らく、先ほどの爆発によるものだろう。もはや狩りどころではなく、さりとて動くことができない現状では、決死の覚悟で威嚇をし、なんとか敵を退けるしか生き延びる術は残されていなかったのだ。


 「さあ、とどめを刺せ……33号……!」


 その光景を眺めながら、ベンジャミンはこいねがうように呟く。それに応えるかのように、少女は魔力を高めながら右手を前に掲げた。

 

 「キャンキャンッ!」

 

 後は魔力を解放するだけ。その瞬間にシルバーウィンドの命運は尽きる。だが、少女が実行する前に、草むらから飛び出してきた何かが彼女の前に立ちはだかった。

 それは、シルバーウィンドの幼体だった。恐らく、後ろの個体の子どもなのだろう。傷付いた親を護るために駆け付け、幼いながらも臨戦りんせん態勢を取って少女と対峙たいじしている。

 

 「…………」

 

 健気に吠えて、なんとか敵を追い払おうと頑張る子犬。その様をしばらく見つめていた少女は、何を思ったのか、全身に帯びる魔力を解いた。それと同時に周囲の檻と頭上の赤ん坊が内側から弾け飛ぶように雲散霧消うんさんむしょうし、塵となった魔力の粒がキラキラと粉雪のように辺りに降り注ぐ。

 

 「…………ガウッ」

 

 警戒心を保ち続けていたシルバーウィンドは、目の前で起こった出来事に、その鋭く尖らせた目を大きく開いた。間も無く、目付きを優しく落ち着けて、子どもに優しく吠えかける。

 少女の様子を見て、脅威は失われたと判断したのか。威嚇を止めて近づいてくる子どもの顔を舌で舐めると、シルバーウィンドは左脚を庇いながらよろよろと立ち上がる。そして、少女を一瞥いちべつした後、二匹して一緒に茂みの中へと消えていった。

 

 戦いの、終わり。

 

 「……ちっ」

 

 下級と言えど、魔物の群れを無傷で蹴散らす大立ち回りをいとも簡単にやってのけた少女を見下ろし、ベンジャミンは忌々いまいましく舌打ちを弾いた。

 


 

 

 

 「……そうか。まぁた仕留めきれなかったのか」

 

 ――数時間後。

 グランドブレス中心都市、大聖霊だいせいれい教会敷地内の児童保育施設、その二階の応接室にて。

 

 そこのソファにどっかりと座り込むエルヴィスは、ベンジャミンから本日の訓練結果の報告を受けて、にやつきながらも気落ちしたような言を漏らす。窓際に立つベンジャミンもまた、それを背中で感じて小さく溜息を零した。

 

 「もう数えるのも飽きてきた。何度言っても、どれだけ𠮟りつけても……いざという時、非情になり切れない。自身が危機に晒された際は、防衛本能が働くのか、敵の息の根を止めることに躊躇は無くなったが、相手が戦意を喪失した際……弱った相手に情けをかけてしまう。人としての同情が生まれてしまう」

 「もったいねえよなぁ。戦闘能力はピカイチ。ユニークスキルの使い方にも慣れてきて、しかも魔力により架空の生物を作り出して、それをまるで使い魔のように使役できる能力まで手に入れたってのに……ここに来て『甘さ』が生まれちまった。これじゃあお前が求めた、命令を忠実に実行する『傀儡くぐつ』には程遠いな。あはははっ」

 「笑い事ではない。くそっ……余計な知恵……いや、心など身に付けおって。やはり、この保育園に入れるべきではなかったか……!」

 

 吐き捨てながらベンジャミンは、窓から見える中庭の様子を眺める。晴れ渡る空の下に広がる鮮やかな緑に包まれた原っぱ。その端にある一本の木の根元で、リスや小鳥などの小動物と戯れる少女――33号の姿を睨みつけて。



 教会という場所は、聖職者がドーミナス神への祈りを捧げ、また民衆にドーミナス教の真理を説く場であると同時に、子どもたちの養育施設でもあった。幼少期からドーミナス教の戒律を経験することに加え、親が共働きであることが多い農村部では、農作業にも関われないほどに幼い児童を預かる役割も備える関係上、地方社会の中核として機能している。


 しかし、そうした側面を持つためか、教会には捨て子や孤児の紹介が後を絶たなかった。それでも、普通の子どもであれば村人たちと協力してなんとか育てていけるが、中には難病を抱えていたり、幼くしてスキルが発現してしまったが故の暴力性を持っている者もいる。


 そのように通常の教会では対処できない児童を引き取る場所。それが大聖霊教会の敷地内に存在する児童保育施設――『アーリア保育園』だ。

 しかし、表向きは恵まれない子どもたちのための慈善施設だが、その実態は、世界中から優秀な研究素材を集めるための市場である。スキルを発現させた子は言わずもがな、難病を持つ子は死亡判断を出しても特に怪しまれないで済むから、非人道的な人体実験に持ってこいだ。全ては、ドーミナス教団の発展と繁栄のためである。

 

 33号と呼ばれる少女もまた、その内の1人だった。今より三か月前に移植した胎児の定着工程が完了した彼女は円柱水槽から出され、この施設に一時、預けられることになった。


 どのような用途に使うとしても、一通りの一般教育は学ばせておくべきだろう。しかし、研究員の他にグレートヘヴンのギルド職員として働く自分では、そのための時間を確保することは難しい。

 一応、アンデッドを駆使すれば、時間を捻出ねんしゅつすることも可能ではある。実際、ギルド職員と研究員を両立できているのは、グレートヘヴンに自身をしたアンデッドを駐在させているからだ。だが、子どもの世話をした経験が無い自分では、確実に行き詰まることになるのは目に見えている。

 そうした諸般しょはんの理由から、ベンジャミンはアーリア保育園の保育士たちに任せた方がいいだろう、と判断したのだ。


 だが、いま思えば、それが悪かったのだろう。保母たちの愛情を受け、さらに同世代の子どもたちとさかんに交流していく中で、33号の情操じょうそうは豊かに、朗らかに育まれていった。その変化は、命令のみを忠実に実行する操り人形を目指していたベンジャミンの理想と遠く離れたものである。

 

 「あの子は、優しすぎる。せっかく胎児の定着も無事に完了し、ユニークスキルの枠組みを超えた力をも手にしたというのに……あのような腑抜ふぬけた状態ではヘンカドーレの本領を発揮することはできないだろう」

 「ヘンカドーレ……ああ、あの架空の生物の名前か。確かに、あれだけの力を持ちながら、それに自ら制限を設けちまうようじゃあ宝の持ち腐れだわな。はっは、今のオレには理解できない感情だぜ」


 そう言いながらエルヴィスはおもむろに右腕を持ち上げる。その指先がいきなり数本の触手のように枝分かれし、それぞれがウネウネと独立した運動を始めた。

 

 その様子を傍観ぼうかんし、ベンジャミンは言う。

 

 「どうやら、新たな能力にかなり順応できたみたいだな」

 「おうよ。以前は筋肉量を増加させて破壊力を強めたり、固くして防御力を高めるだけのスキルだったオレの筋肉操作ボディビルドは、スキル改造手術によって筋肉どころが体中を自在に変形することができる能力に進化している。それに加え、気の量も大幅に増加した。今なら神の構成員アンジェラスの連中にも勝てそうだぜ」

 「威勢が良いのは結構だが、思い上がりはほどほどにしておくことだ。確か我々は彼らと同じく、あの御方によって人間を超越した力を手にしたが、それでも彼らは次元が違う。間違っても喧嘩を売るような真似はするなよ?」

 「へーへー。そればっかりだな、お前は……まあ、それよりも今はあいつのことだろ?」

 

 右手を元の形に戻し、エルヴィスはその人差し指を窓に向ける。もちろん、本当に示しているのは窓ではなく、中庭にいる少女のことだ。

 

 「……ああ。このままでは使い物にならない。私の理想のため……そして、彼女の真の力を解放するには、獲得してしまった人の情、優しさや甘さなどの想い……すなわち、心を徹底的に破壊する必要があるだろう。そしてそれは、生半可な刺激では叶わない。何一つ、救いようのない地獄に叩き落としてやるしかない」

 「へっへ……ってことはつまり、やるのか? あの計画を」

 「ああ……グレートヘヴンに新たに築かれた拠点、ナナルル村。その住民には、彼女が覚醒するための生贄いけにえになってもらおう。こっちも大量の死体が手に入ることになるからちょうどいい」

 「ひゃはは! ちょうどいい、と来たか! さすがエルステインを制圧しようなんて馬鹿げたことを考えるヤツは発想が違うぜ! いいぜ、やってやろうじゃねえの! 最後まで付き合ってやるよ、オレたちの大将さんよぉ!」

 

 ソファに大きくふんぞり返って座り、下品な笑い声を響かせるエルヴィス。そんな彼から目を背け、ベンジャミンは再び33号に視線を向けた。

 

 彼女の姿は、すでに木の根元には無い。ボールを持った年下の子どもたちに誘われて、そのままベンジャミンの視界から消えていった。





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