第5話 囚われの令嬢


 

 潜入チームが決定した後、会議は終了し、参加していた人々がにわかに発着場から移動を始めた。

 

 「……はぁ。よかった……」

 

 吊り橋へと流れていく人込みの中、エリオンとアルフォードの激突をハラハラしながら見ていたロリエッテは、何事も起こらずに会議を終えたことへの安堵の息を漏らしていた。そんな時である。


 「ホント、変わったよねー。エリオンのヤツ」

 「え?」

 

 いきなり背後で声が生まれ、ロリエッテは反射的に振り返った。そうして、少しだけ険しい顔でエリオンを眺めるキャシーと対面を果たす。

 

 「あっ、キャシーさん……」

 「夜明けの鷹にいた頃は地味で根暗で弱くて使いっ走りしか能が無い雑用くんだったのに。それが、少し見ない間にアルフォードに勝つくらいに強くなって、今みたく周りの人たちを勇気づけられるくらいの口を叩ける男になっちゃってる。ホント……マジでキャシーたちと別れた約半年間で一体、何があったの?」

 

 愚痴のようにグダグダと言葉を並べつつ、エリオンに投げていたそのぼんやりとした眼差しを、キャシーは最後にロリエッテへ向けた。その瞬間、人質に取られた昨晩の恐怖が蘇るが、それを決して表情に出さず、ロリエッテは答える。

 

 「前にお話しした通りです。私たちに見放されてから……エリオン様は大変、努力されました。日々、厳しい鍛錬を繰り返し、多くのクエストをこなし、強敵と戦い続けてきた。メロリアンレースに優勝したのも、イッシンさんやアルフォードさんに勝利したのも、全てはその成果です。特別な事は何もしてません」

 「……ふ~ん。つまり、キャシーたちがあいつの才能に気付けなかった、ってことね? まあ、実際にその通りだし……アンタも昔のなんでもハイハイ聞く良い子ちゃんじゃなくなってるし……はぁ。まるで軟禁生活中に世界が丸ごと入れ替わっちゃったみたい。ヤになるなー、ホント」

 

 あからさまに嘆息したキャシーは、それからヤケクソのようにガリガリと頭を掻き毟った。

 

 「あーあぁ。こうなるんならアンタみたくエリオンについていればよかった~っ。そしたら今頃、キャシーも勝ち組でいられたのに~! 夜明けの鷹でテキトーにクエストをこなしながら多額の報酬金やスポンサーの契約金で贅沢な生活を送る予定だったのにさ~! マジで計画が狂うんですけど~!」

 

 自身の野望をあけすけに垂れ流し、盛大に後悔するキャシー。しかし、「いや、まだ間に合うか?」と顔を上げ、ロリエッテに詰め寄った。

 

 「ねえ、ロリエッテ! アンタ、言ってたよね? エリオンは恋沙汰こいざたなんかしてる暇が無いとかなんとか! つまり、エリオンに今、恋人はいないってことよね?!」

 「え? あ、はい……そう、ですね」

 「以前、たくさんの女と一緒にいたけど、あの人たちとも何でもないんだよね? 別に好きな人とかいないんだよね?」

 「ええ、まあ……私と同じようにエリオン様をお慕いする人はいますけど、肝心のエリオン様の方にその気がないようで……」

 「ふーん……だったら、キャシーにもまだチャンスはあるわけだ」


 ロリエッテの返答を聞いて、キャシーはニヤリと笑った。

 

 「チャンス? ま、まさか……キャシーさん、エリオン様のことを……」

 「ふっふ~ん……いい加減、夜明けの鷹もオワコン状態だし、アルフォードにももう期待できそうにないし……だったらここで乗り換えるのも手だよねぇ~」

 「の、乗り換えるだなんて! そんな不純な考えでエリオン様に言い寄るおつもりですか?!」

 「えー? 別に良くない? もうワイズとも別れたんだし、エリオンもキャシーもフリーなんだから。キャシーが誰にアピールしようが、ロリエッテに止める権利も口を出す権利も無くない~?」

 「うぐ……」

 

 キャシーの軽薄っぷりを非難しようとするロリエッテだったが、逆にキャシーに正論を返されて閉口する。そんな彼女を勝ち誇った顔で見下ろし、キャシーは大いに胸を張った。


 「アンタほどじゃないけど、キャシーも体には自信がある方だし? 恋愛経験なら圧倒的だからねぇ。ま、それが嫌ならロリエッテも傍にいるだけで~、とかカマトトぶってないで本気になってみたら? キャシーは別に、生活面の面倒を見てくれるなら愛人とかでもいいわけだし~ぃ?」

 「ほ、本気に、って……い、いえ、それよりも愛人って……!」

 「あれ? ってか、そっちの方がよくない? ぶっちゃけ、アルフォードたちと一緒になってこき使ってたキャシーがエリオンに選ばれるわけがないしぃ? それならアンタを立てて、キャシーがそれに便乗する……そっちの方が現実的だよねぇ? うん、そうしよ。ね、ロリエッテ! キャシーと共同戦線を張ろうよ!」

 「きょ、共同戦線ですか?」

 「そう! キャシーはロリエッテがエリオンの恋人になれるようにサポートする! その代わり、もし、それが叶ったら、キャシーを受け入れるようにエリオンに働きかけて! ね? それならどっちもウィンウィンじゃない?!」

 

 名案! とばかりに満面の笑みで訴えかけてくるキャシー。それにロリエッテがどう返そうか悩んでいると、どこからともなくワイズがふらりとやってきた。

 

 「潜入任務、気を付けろよキャシー。敵もそうだけど、アルフォードにエリオンまでいるんだからな。おれがいない間、あいつらに変な事をされないように、ちゃんと注意しておくんだぞ」

 

 そして、未だに恋人目線でキャシーに言葉を寄せてくる。昨晩の痴情ちじょうのもつれを演じておいて、なぜにそう強気でいられるのか。ワイズの無神経ぶりにロリエッテが引いていると、案の定と言うべきか、キャシーが鋭い目付きで彼を睨みつけた。

 

 「はい? 気安く話しかけてこないでくんない? もうキャシーたちは恋人でもなんでもないんだから」

 「はあ? お前、まだそんなこと言ってんのかよ。もう一日が経ってんだぞ? いい加減にお前も……」

 「それでは、潜入チームに加わった者たちは集まってくれ。今後の計画について協議する」

 「はーい」

 

 ミーティア村長の呼びかけに大きく返事をし、ワイズの文句を潰したキャシーは、最後にロリエッテの両手を掴んだ。

 

 「というわけだから、頑張ろうねロリエッテ! これまで酷いことした分、キャシーも一生懸命、頑張るから! 2人で幸せになろうね!」

 「え、えっと、その……」

 「それじゃあ!」

 

 勢いに気圧されて返答をまごついているうちに、キャシーは大きく手を振りながらミーティア村長の許へと走り去ってしまう。その背中を呼び止めることすらできず、ロリエッテは呆然と彼女がエリオンのいるグループに混ざり込む光景を見守るしかなかった。

 

 「……ちぇっ。なんなんだよ、キャシーのヤツ。せっかく人が心配してやってんのに、下らねえ意地を張りやがって……マジで別れてやろうかあのクソ女……!」


 一方、ロリエッテと同じようにキャシーの後姿を目で追っていたワイズは、それまでの不機嫌な顔を一変して、媚びへつらうような柔和にゅうわな表情でロリエッテに近寄った。


 「なあ? 酷いだろぉ? キャシーのヤツ。やっぱさ、おれにはロリエッテちゃんしかいないんだってつくづく分かったよ。調子がいい、って思うかもしれないけどさぁ。昨晩のこと、真剣に考えてくれない? 絶対に幸せにするからさ」

 「はあ、そうですか」

 「……ところでさ、さっきキャシーと何を話してたの? 随分と意気投合してたみたいだったけど、いつの間にあんなに仲良くなったの?」

 「……私にも分かりません」

 「え? ちょっと、ロリエッテちゃん? どこ行くの? おーい!」


 適当な受け答えでワイズからの誘いをいなし、ロリエッテは周りの人と同様に吊り橋の方へと向かっていく。キャシーからの提案について、半ば放心した心境で考えながら、自身の持ち場である診療所へトボトボと歩いていった。




 ◇◆◇



 

 一方、グレートヘブン近海のグレード・マリーンズ。ブロック-B、三等船室の階層。


 「…………」

 

 睡眠薬によって昏睡し、その間にグレード・マリーンズへ連れ去らわれたアリエルは、そこの一室に閉じ込められていた。

 主に一般人が利用するその船室は、簡素なベッドとユニットバスの個室が備え付けてあるだけの小さな部屋で、船の内部に位置しているため窓は無い。その上、気力と魔力の発動を抑える手錠でベッドの柱と繋げられているアリエルは、部屋の中でも自由に動き回ることができず、ベッドの上で頭から毛布をかぶり、体を小さく丸めて過ごしていた。

 

 「おはよー。朝メシだよー、お嬢様」

 

 目覚めてからずっと、一言も発さずに、虚ろな目を虚空に彷徨さまよわせている時である。ノックも無くドアがいきなり開かれて、銀製の盆を持ったヴァルハンの一員、フレイが現れた。

 

 「ひぅ」

 

 突然の来客に、震えながら身構えるアリエル。そんな彼女をニヤニヤと眺めながら、フレイは盆をベッドの上に置いた。そこに乗っているのは、質素なサンドイッチとコンソメスープ、それに丸ごとのリンゴとコップ一杯の水である。

 

 「まあ、メシっつってもこんなモンしかないけどさ。普段から贅沢三昧ざんまいのお嬢様にゃあ食えたモンじゃないかもしれないけど、せっかく用意したんだからちゃんと食べてくれよな?」

 

 怯えるアリエルに顔を近づけ、厭味ったらしい言葉を送ったフレイは、悪戯っ子のような笑みを浮かべながらきびすを返し、「バイバーイ」と手を振りながら部屋を出ていった。

 

 そして、ドアを閉めたフレイは、見張り役として廊下に立っている同僚のローウェンに話しかける。

 

 「どう? お嬢様の様子は?」

 「ああ。目覚めてからずっとあの調子だ。エルヴィス隊長が持ってきた人形みてーに静かなモンだ。実家で暮らしていた時の高飛車な態度を見てるから、てっきりもっと抵抗するかと思ってたけどよぉ…………まあ、無理もねえか。家族だと信じていたヤツに騙され、目が覚めてみりゃあ敵陣のど真ん中だったわけだし」

 「へっへ。お嬢様も所詮、フツーの女の子だった、ってわけだ。すっかり意気消沈しちゃってまぁ……おりゃっ」

 

 ガン!

 

 「ひぃっ?」

 

 会話の中で、フレイが唐突にドアを強く蹴り、その大きな音にアリエルはまたもや驚いた。そうして震えている様子を、ドアに設置させた嵌め殺しの窓から眺め、フレイは腹を抱えて大笑いする。

 

 「あはははは! ひぃ、だって! メッチャ怖がってんじゃん! ウケるわ!」

 「ガキをビビらせて何やってんだよ……止めろ。みっともねえぞ」

 「いーじゃん別に。オレ、前からあのチビのことが気に入らなかったんだよねー。娼婦って噂の女から産まれた落ちこぼれのくせに、一応、ロングベルト家の人間だからって偉そうにしやがってさー」

 「知らねーよ。ンなことより、近況を教えろ。交渉や隊長たちはどうしてる?」

 「交渉はジェイムスさんが主導してやってるよ。エルヴィス隊長はさっき起きて、ベンジャミンと一緒に、あの33号とかいう女を連れてBデッキのメインホールに向かった。これから調整を始めるんだと。何をするんだろーね?」

 「さぁな。だが、1人の人間の心を壊して人形にする、ってやり方だ。ろくでもねえことは決まってる。お前も、命が惜しけりゃあ近寄らねえ方が身のためだぞ?」

 「分かってるって。もうすぐでおれたちの目的が果たされるんだ。今さら余計な事に首は突っ込まねえさ」


 


 「ヴェラ……」


 ドアの向こうから聞こえてくる、2人の会話。それに触発されて、思わず放った自分の声は、こんなにも頼りなく弱々しいものだったか。


 「ヴェラ……どうして? あなたは……どうしてわたしを裏切ったの……?」


 掠れた声で、ここにいない彼女に問いかける。不器用で、融通が利かなくて、ドジばかりする……それでも努力家で、パーティ内最強の冒険者で、少し天然なところもあるけれど、自分に対する忠誠心はローズにも引けを取らない。


 だからこそ、ローズの次に信頼していた。あの日、たくさんの被害者遺族から罵倒される彼女を受け入れた瞬間から、家族として一緒に過ごせるように。それだけを目指して彼女と接してきた。そして、それは叶った……と、思っていた。

 

 だけど、それは自分だけだった。彼女だけではない、他の人たち、みんながそうだ。

 

 結局、わたしは誰とも心を通わせることができなかった。

 

 「パパも、ローズも、エリオンも、キャルロットも……そして、ヴェラも。わたしの近くにいる人たちは……みんなわたしを騙してた。笑顔で近づいてきて……その裏で、みんなして私の事をわらってたんだ。ひっ、く……もぉヤだぁ……何もかもがイヤだよもう……ううっ、あっ……死にたいよぉ……! 誰か助けてよぉ……!」



 寂しい嗚咽おえつは、スープの湯気が消えても尚、終わることはなかった。





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