第2話 私たちに出来ること



 ――エスティアたちがギルドから出て数十分後。

 

 ミルキーやイスズたち冒険者とイワンら『フォルミス』の構成員、特殊技能職員など、戦闘能力を持つ人間は皆、拘束され、地下留置場に囚われることになった。

 そして、ギルドの職員ら非戦闘員たちは一階会議室に閉じ込められ、上流貴族たち人質として利用できる人間はギルド本棟一階のエントランスホールに集められていた。

 

 

 

 「さて、各国の要人、もしくは世界的企業の代表者諸君。今さら言うまでも無いがキミたちは人質だ。今後は私たちの指示に従って行動してもらう。基本的にキミたちに発言権は無く、いかなる意見も要求も受け入れるつもりは無いので、大人しくしていることが自分の命を守る最大の方法であることを先に伝えておこう」

 

 クエストエリアの座席と食堂エリアのテーブルを隅に移動させ、広いスペースを確保したエントランス。その冷たい床に座らせられる上流階級の人々を高圧的に見下ろしながら、ベンジャミンは無機質な言葉を連ねた。

 

 この部屋に集められた人々の数はおよそ121人。地位や職種に関係なく一纏めに固められており、その両端にオールヴェルとアイリーンが立っている。加えてベンジャミンの3人態勢で人質の管理をするようだ。

 

 そうして怯えた様子で黙り込む上流階級の人々を見回した後、ベンジャミンは満足そうに頷いて再び口を開いた。

 

 「そうだ。そのように、キミたちが我々の言うことを素直に聞いている限り、私たちがキミたちに危害を加えることは無い。さて……それでは、ここでキミたちの中から1人、代表者を決めたいと思う」

 

 「代表者?」と、あからさまに口にはしないが、傍にいる者同士でひそひそと私語を始める人質たち。だが、ベンジャミンがダン! と強く床を踏み鳴らすことで、さざなみのようなざわめきはピタリと消え去った。

 

 「いちいち騒ぐな。意味はちゃんと説明する。代表者とは、その名の通りキミたち人質の中から選ばれた代表のことだ。一口に人質と言えど、ここにいるのは政府のトップや閣僚級の重鎮。また、大企業の代表者に貴族など、まさしく十把一絡じっぱひとからげ。今後の交渉において、キミたちに譲歩せざるを得ない時が来るかもしれない。だが、当然、主義主張、優先順位なんてものは個人で違うはずだ。その意見を纏めることなど不可能。故に、代表者を決め、その者の意見を人質の総意として扱うのだ。まあ、効率化、というものだな」

 

 長文を淡々と語り、それからベンジャミンは軽く右腕を掲げる。

 

 「そのような役目である以上、その者のある程度の発言権は認めよう。重要だ役回りだ。さあ、誰か、自分こそは、と名乗り出る者はいないか?」

 

 そして、全員に向かって問いかけた。だが、どれだけベンジャミンが視線を送っても、人々はサッと顔を逸らして一向に立候補する者は出てこない。

 

 「……まあ、そんなものだろうな。仕方ない……では、こちらから指名することにしよう。代表者として、この場にいる全員が納得する人物…………そうだな。サミュエル=ロングベルト、お前だ」

 

 嘆息しながら右腕を下ろしたベンジャミンは、改めて集団を見回した後、サミュエルを指差した。

 

 「……私か?」と、ゆっくりと立ち上がりながらサミュエルが確認する。


 「ああ。名立たる著名人や経営者が並ぶこの中で、代表を務められるのは世界的大企業、ブルーシャルネットの次期社長最有力候補であるお前しかいない。それに……」

 「……それに?」


 含みを持たせて言葉を切るベンジャミンにサミュエルがただすと、彼はくくく……と小さく笑みを噛み、答えた。

 

 「お前は私の命令に逆らうことはできない。なぜなら、お前の従妹であるアリエスタル=ロングベルトは我々が預かっているのだから」

 「なんだと?!」

 「アリエスタルが?!」

 

 サミュエルに続き、飛び跳ねるように立ち上がったのがアレックスである。彼は人々の間を縫うようにして歩き出し、ベンジャミンの許へ向かっていく。

 

 しかし、その前にオールヴェルに取り押さえられ、ベンジャミンの足元に押し倒されることになった。

 

 「うぐうっ?! お、のれぇ……!」

 「先ほどの話をもう忘れたか、アレックス=ロングベルト。私の命令以外の勝手な言動は許されない。死にたいのか?」

 「ほ、本当にアリエスタルを連れ去ったのか……! なぜだ?! なぜアリエスタルをぉ?!」

 「……聞く耳を持たんか。とっくに娘への愛情は無くなっていたのかと思っていたが……やれやれ」

 

 わずらわしそうに首を振ったベンジャミンは、アレックスを無視してサミュエルに顔を向ける。

 

 「とにかく、アリエスタルは我らの手中にある。もし、お前が私の命令に逆らったり、反抗的な態度を取れば……」

 「……分かった。お前の言う通りにしよう。私が代表者になる。だから、約束してくれ。アリエスタルには絶対、手を出さないと。無事に私たちの許に返すことを、約束してくれ」

 「……なに?」


 慌てた様子で人込みの間を歩き、ベンジャミンに懇願するサミュエル。そんな彼をアレックスは唖然となって見上げた。

 

 (どういうことだ……?)

 

 疑念の理由はもちろん、サミュエルの有りえない反応である。これまでヴァイスと共にアリエスタルをさげすんできた男が、なぜここに来て彼女の身を案ずるような言動を取るのか。

 

 それに、今のベンジャミンの発言もおかしい。どうしてサミュエルがブルーシャルネットの次期社長候補になるのか。別に自分を差し置いて、そのような評価を受けたことをねたんでるわけではない。若い頃に家を出て、ロングベルトの人間としての責務を果たさずに冒険者として気ままに振る舞っていたのだ。社長に相応しいのは自分だ、などと厚かましいことを言うつもりは微塵も無い。

 ただ、サミュエルは確かに優秀だが、所詮は海運局の一幹部に過ぎない。次期社長候補というのなら、彼の父親の海運局局長、レヴィアが最初に出てきてしかるべきなのに。

 

 「一体……この男は何を考えているのだ……?」

 

 アレックスが向けた嫌疑けんぎの眼差しに、ベンジャミンが気付くことは無かった。

 

 

 

 ◇◆◇




 P.M.-11:09。



 ギルドから脱出したエスティアとローズは、ゾンビの追跡や襲来をなんとかやり過ごしつつ、数時間の道のりをかけて無傷でアリエスタル邸前の道路まで辿り着くことができた。

 

 そして、細い路地に身を潜めるエスティアは、周囲の様子をうかがいながらゆっくりと通りに頭を出し、すぐに渋い顔をして引っ込めた。


 「……やっぱり、予想していた通りね」

 「はい」

 

 路地から顔を出しているローズもまた、渋い面持ちでそう答える。

 

 2人が目にしたもの。それは、大量のゾンビに完全に包囲されているアリエスタル邸の光景だった。まるで砂糖に群がる蟻のように押し寄せ、呻き声を上げながら壁や鉄柵を叩いている。そうした執拗しつような攻撃を耐えるためなのか、門にはたくさんの家財道具を積んで作られたバリケードが設けられていた。


 「……あの様子から見るに、中は安全そうね」

 「そうですね。問題は、どうやってあの中に入るか……ですが」


 ローズの言葉に、エスティアは「ええ」と頷いた。見たところ、アリエスタル邸はゾンビとバリケードによって完全に封鎖されている。あの状態で、どうやって中に入り込むというのか。

 

 「……やっぱり、あの手段しかないわね」

 「何か方法があるのですか?」

 

 「ええ」とローズに再び頷いたエスティアは、おもむろに手で胸元を大きく広げた。そうしてタプンとより露出することになった自身の立派な乳房を見下ろして、小さく声を掛ける。


 「出ておいで、影猫かげねこ

 「ニー」


 果たして、その呼びかけにより、エスティアの胸の谷間から黒い物体がシュッと湧き出てきた。大きな目と三日月型の口をした、黒一色の猫の頭である。

 

 「それは……魔物ですか?」

 「そう。メイリンの使役獣の影猫。ちょっとした用事であの子から借りてたんだけど、消さずに連れてきて正解だったわ。この子が私たちをアリエスタル邸に導いてくれる。それじゃあ、影猫。まずは一体、増やしてちょうだい」

 「ニー」

 

 相変わらずの耳障りな声で鳴くと、影猫はエスティアの胸からピョンと飛び出した。そうして山なりに落下していく過程で、艶の無い漆黒の体が二つに分かれ、地面に降り立った時には影猫は完全なる二匹となって存在していた。


 「増えた? この魔物には分裂能力があるのですか?」

 「ええ。でも、この子が凄いのはここからよ。じゃあ、左の影猫。あのゾンビの集団を抜けて、その先にあるバリケードから中に侵入しなさい」

 「ニー」

 

 エスティアをジッと見上げる二匹のうちの左側の影猫は返事をすると、トコトコと広い道路に向かって歩き出した。そのまま、躊躇ちゅうちょなく密集するゾンビの足元へと潜り込んでいく。

 

 「ここまで来る間で、ゾンビの目的が生存者に噛みつき、仲間を増やすことだということが分かったわ。それは人間だけで、動物は対象にしない。だから、ヤツらは影猫に興味を示さないし、影猫は実体の無い魔物だから、バリケードの隙間を抜けて楽に内部に入り込むことができるはず」

 「……それは結構ですが、どうやってあの猫が私たちを導くと?」

 「慌てなさんなって。直に分かるから」

 「ニー」

 

 影猫がゾンビの群れの中に消えてから間も無くの事である。残った一体が、何かを知らせるように少し大きな声で鳴いた。

 

 「……どうやら準備は整ったようね。じゃあ、あなたはそこの影に」

 「ニー」

 

 エスティアが路地に置かれているダストボックスを指し示すと、影猫はそれに近づき、その影に音も無く溶け込んでいった。

 

 「影の中に消えた……?」

 「そう。影猫は影に入り込むことができるの。しかもその影は自分の分裂体が入り込んだ影と繋がることになる。この影を経由すれば庭内に入ることができるわ」

 「……なるほど。さっき、一体を邸宅に向かわせたのは、その通り道を作るためだったのですね」

 「そういうことよ。さ、行きましょう。まずは私が行くから、その後にあなたも続いて」

 「分かりました」

 

 ローズの返答を確認した後、エスティアはダストボックスの影に一思いに飛び込んだ。それから、影猫の大きな目と口が延々えんえんと続く暗闇の世界を落ちていく。

 

 間も無く、黒に閉ざされた視界が途切れ、土を踏みしめる感覚と共に全身に重力が戻ってきた。

 

 「うわっ?! 急に人がっ?!」

 「え?」

 

 その途端、誰かの驚いた声がして、エスティアは慌てて周りを見回した。

 

 そこは大きな屋敷の周囲に広がる庭の木の下。その周りには多くのメイドたちがいて、誰もがエスティアに攻撃的な視線を向けていた。

 

 「だ、誰だお前は?! どっから出てきた?!」

 「急に変な猫がバリケードの間から現れて、そいつが地面に消えたと思ったら……何かの魔法? 能力?」

 「……って、ちょっと待って! この人、お嬢様のお友達のエスティア様じゃないの?!」

 「ええーっ?」

 「えっと……あの……」

 

 話を聞く前から騒ぎ出し、エスティアを放置してパニック状態におちいっているメイドたち。どうしようかと迷っていると、不意に背後に人の気配が湧き上がり、その瞬間、騒ぎはピタリと治まった。

 

 振り返れば、少しだけ緊張した面持ちのローズがそこにいて。

 

 「めっ、メイド長?!」

 「はい。ローズマリー、ただいま戻りました。皆さん、よくご無事でしたね。我が主の邸宅も見事に守り抜いたようで。メイド長として、あなたたちを大変、誇りに思います」

 「メイド長! ど、どういうことなんですかこれは?!」

 「お嬢様やヴェラミントさんたちはどこに? 一緒ではないんですか?!」

 「メイド長! 一体、街に何があったのでしょう?! 暴徒化した市民たちが急にやってきて……門はバリケードで塞ぐことができたんですけど、ギルドや警察に連絡しても全く繋がらず、助けを呼ぶことができませんでした」

 「メイド長、どうすればいいですか? どうかご指示をください!」

 

 しかし、ローズの言葉を受けて、その人が本人だと認識したメイドたちは、さらに大きく取り乱しながら彼女へと詰め寄っていった。

 それに対し、ローズは前に掲げた両手を細かく上下に振って、メイドたちを鎮めにかかる。


 「落ち着いてください。今からこの状況を説明しますので。あなたたちの気持ちも分かりますが、どうか心を落ち着けて、私の話に耳を傾けてください」


 努めて優しい口調で呼びかけ、メイドたちを冷静にさせてから、ローズはこれまでの経緯を簡潔に語っていった。 

 

 「そんな……お嬢様が連れ去らわれた……?」

 「ベンジャミンさんがそんな人だったなんて……それに、ヴェラミントさんまで……」

 「ギルドが占拠されて……通信機材も壊された。だからどこにも連絡ができなかったのか……」

 「外にいる人たちはゾンビ……っていう、ベンジャミンさんに操られている人たちなんですね? だから、手を出してはいけない、と……」

 

 先に沈静化させていた甲斐もあり、改めて聞けばデタラメな陰謀論としか思えない内容を、メイドたちはちゃんと受け入れてくれた。そうして説明を反復しつつ、彼女たちが不安げに言葉を交わしている間に、ローズがエスティアに振り返って言う。

 

 「しかし……ここが安全だったのはよかったですが……これからどうしましょう? 私としても、何としてもお嬢様をお助けしたいです。ですが、まずはこの状況をなんとか打破しなければ……」

 「……ええ、そうね。ヤツらの野望を打ち砕くにも、アリエルを助け出すにも、まずは私たちの力でこの魔法陣の中の問題……少なくとも、ギルドに囚われている人質たちを解放させるくらいのことはしないと。そして、そのための布石はもう打ってあるわ」

 「本当ですか? それは?」

 「この子よ」

 

 ローズの問いかけに、エスティアは足元にいる、木の影から出てきた影猫を指差した。

 

 「この子の分裂体がまだギルドの中庭にいる。その子を通じていつでもギルド内に戻ることができるわ」

 「なるほど……それならば、人質の皆さんをこの邸宅に避難させることは可能ですね。ならば、早速これから?」

 

 ローズが訊ねると、エスティアは無言で頭を左右に振った。

 

 「そうしたいのは山々だけど……一つ問題があるの。影猫は光が弱点で、強力な光を浴びてしまうと死滅してしまうらしいわ。だから服の中に隠していたんだけど……そういうわけで、今すぐ、というわけにはいかない」

 「……なるほど。今はまだ夜ですが、あと数時間もすれば日の出となる。つまり、太陽光がこの地に差し込むことになる」

 「ええ。まあ、影自体が無くなることはないからギルドに残した影猫が死滅することは無いでしょうが、太陽の加減によって影の位置が変わったり変化するからね。ここを避難所にするとして、人質を安全に誘導できるように影の道を複数、ギルド内に作っておきたいところだけど……その変化が計画にどういう影響を及ぼすかは未知数だわ」

 「そうですね。それに、今はまだギルド内も、上流階級の方々に加え、イワン様たち戦闘員やギルド職員などの非戦闘員の方々の対処で慌ただしくしているでしょうし。偶発ぐうはつ的な遭遇を防ぐためにも、決行はもう少し時間を置いた方が賢明でしょう」

 「そうね……諸々もろもろの事情を勘案かんあんして、計画の決行は明日の日暮れから……としましょう」

 「かしこまりました。それで、皆様の避難を完了させた、その後は?」

 

 話の流れで、ローズはさらに質問を重ねる。

 しかし、そこまで理路整然と弁を述べていたエスティアは、急に口を引き結んで緩く首を振り、挙句に肩をすくめた。

 

 「そこまでよ。人質を解放して、後は助けが来るまでこの屋敷に籠城ろうじょうする。私たちにできるのはそれが限界だわ」

 

 そして、あっさりとそう言ってのけたのである。これにはさすがのローズも、常の微笑みを忘れて唖然となった。

 

 「そこ……まで? え? お嬢様の救出は?」

 「無理でしょう、この魔法陣がある限り。そもそも、ゾンビに包囲されたこの状況だってどうにもならないんだから。でも、絶対に大丈夫よ。外にはあいつがいるんだから」

 「あいつ?」

 

 小首を傾げるローズに、「ええ」とエスティアは自信満々に首肯しゅこうする。


 「この状況を、あいつが黙って見ているはずがない。この魔法陣も、ベンジャミンたちの野望も……そして、アリエルとヴェラのことも。きっとなんとかしてくれる。私は、そう信じてる」

 「…………」

 「でも、あいつが満足に戦うためには、人質の存在が邪魔になる。だから、せめてそこだけでも私たちでフォローしましょう。この魔法陣の中に囚われているからこそ、私たちにしかできない役割があるはず。それを全うしましょう。それが、仲間ってモンじゃない?」

 

 そう言って強気に微笑むエスティア。

 その笑顔を見ているうちに、ローズも小さく吹き出してしまって。

 

 「本当に……信頼しておられるのですね。のことを」

 「ん? んん……まあ。なんだかんだで私たちの恩人だし。バカでスケベで普段は本当にどうしようもないヤツだけど……でも、私たちの大切な仲間よ」

 「あらあら。そうなんですねぇ」

 「……いや、ほら。他にもイッシンとかいるし? それに、アルフォードたちも一応、いるわけだし? あのバカ以外にも他に頼れる人はいっぱいいるわ。そういう意味での大丈夫って意味よ? 勘違いしないでね?」

 「ええ。エスティア様のお気持ちはよぉ~く分かりましたので」

 「……なんか、ぜんぜん分かってないように聞こえるんだけど。ああ、もういいわ。それよりもこれからの事よこれからの!」

 

 頬を赤くしながら生暖かい視線を向けてくるローズに手を振って、エスティアは強引に話を進めた。

 

 「それで! 確認しておくけど、この屋敷を避難所にするとして、どのくらいのキャパシティがあるの? 確か、上流階級の人たちだけでも百人以上。ギルドの関係者たちも含めれば、300人くらいになると思うけど」

 「ええ。食料に関しては問題ありません。地下倉庫に十分な備蓄がありますし、私の能力で溜め込んだ分も合わせれば、約一週間はパーティを開けるほどの量があります。問題は寝床ですね。シーツや毛布は恐らく、足りると思いますが、絶対的に部屋数が足りません。使用人用の宿舎を解放したとしても、大多数はロビーやエントランスで雑魚寝ざこねしてもらうことになります」

 「……それは仕方ないわね。部屋は貴族連中に使ってもらって、私たち冒険者はそうすることにしましょう。その割り振りはあなたに任せるわ。それと……」

 「ええ……いないとは思いますが、作業中は不審な行動を取る者がいないか目を光らせています」

 「ベンジャミンの内通者がいたらこの計画はおじゃんだからね。頼むわよ」

 

 そう言って、エスティアはきびすを返し、木の影の縁に立った。

 

 「どうされました? まさか、影の道でどこかへ……?」

 「ええ。別にギルドじゃないわよ? ただ、仮に人質の避難が成功しても、それをベンジャミンが黙って見過ごすはずがないからね。絶対にまた奪い返しに来るはず。その事態のために、緊急用の脱出口もいくつか用意しておいた方がいいと思ってね。とりあえず、この道からもう一度、さっきの路地に戻ってから、街中を巡って安全な場所に影猫を設置してくるわ。万が一、明日の日没までに私が戻ってこなかったら、私はもういないものと考えてあなたたちだけで計画を実行して。それじゃあ……」

 「お待ちください」

 

 足元にいる影猫に指示を出そうとするエスティアの腕を、ローズが急いで引き留める。

 

 「あなたも今日一日、ずっと動き回ってかなり疲弊されているはずです。その状態で街に出るのは危険です。とにかく、まずは休息を取ってください」

 「でも……」

 「決行は明日の日没。まだ十分に時間はあります。それに一晩、経てば邸宅を取り囲むゾンビの数が減っているかもしれません。今、ここで無理をする必要はありません。それよりも、あなたをここで失うことのリスクを、どうか考えてください」

 「……そうね。ごめんなさい。私も少し、気がはやってたみたい」

 

 ローズに諭されて、エスティアは顔を押さえながら溜息を吐いた。そんな彼女に優しく微笑み、ローズは手を離して頭を下げる。

 

 「突然の無礼、たいへん申し訳ありませんでした。この後、部屋と食事の用意しますので、もうしばらくお待ちください」

 

 低頭した状態でエスティアにそう告げた後、姿勢を戻したローズは、未だ私語を続けるメイドたちに振り返って呟いた。

 

 「静粛に」

 

 静かな一言。しかし、力が込められたその声に、メイドたちは表情を引き締め、整列する。そうして武装したメイドと普通のメイドでの二列横隊に定まった集団を見つめ、ローズは言った。


 「これより、我らがアリエスタル邸はギルドに囚われた人々を受け入れる避難所としての準備に取り掛かります。非戦闘員のメイドたちは食料班、ベッドメイキング班、医療班に分かれてそれぞれ作業を開始してください。戦闘員のメイドたちは敷地内の見回りを。また、あなたたちは明日の人質救出作戦のメンバーとなることを覚えておいてください」

 「「「「「はいっ!!!」」」」」

 「解散!」


 ローズの号令により、メイドたちはそそくさと自分たちの持ち場へ駆け出していく。

 惚れ惚れするほどのリーダーシップ。その後姿を感心しながら眺めていると、ローズは再び向き直り、今の凛々しさを全く感じさせないにこやかな表情を浮かべた。


 「それでは、お部屋に案内します。こちらへどうぞ」

 

 メイド長としての威厳。大人の女性としての優しさ。主人であるアリエルを揶揄からかう茶目っ気。ベンジャミンを相手にあらわにした攻撃性。そして、路地裏で見せたあの粗暴な態度。


 果たして、どれが本物の彼女なのだろうか?

 

 「……結果的に間違ってたけど、アンタを疑ってもしょうがないわよねぇ……」

 「? なにか?」

 「いいえ、なんでも」

 

 不思議そうに訊ねてくるローズに手を振り、エスティアは彼女に続いて屋敷へと歩き出した。





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