第1話 地獄と化した街



 P.M-08:26。



 「はぁ、はぁ、はっ、はぁ――」

 

 夜の世界をひた走る。悲鳴が絶え間なく木霊するゾンビに支配された街並みを、同行者の手を必死に引いて駆け抜けていく。

 

 「た、助けてくれ! 誰かっ、誰かあああ!!」

 「いやぁ! もうドアが壊れるぅ! ヤだあっ! イヤだああっ!」

 「お父さん! お父さんも来て! こっち!」

 「おれの事はいい! お母さんと行くんだ! 早く!!」

 「あはははは! もうお終いだ! おれたちはみんな死ぬんだ! 世界の終わりだあああああ!!」

 「やめてぇ! あなたやめてええっ! いだいっ! いぎぃいいいいっっ!!」


 「……っ、……っ」


 地獄だった。ゾンビの集団に追いかけられる男女。建物の窓から必死に助けを呼ぶ女性。ゾンビに襲われる父親と、それを母親に引っ張られながら呆然と見ているだけの子ども。それとは逆に、ゾンビと化した子どもに噛みつかれながら愛おしく抱き締める両親。


 逃げ場なんかどこにもない。ゾンビはそこかしこから溢れ出てくる。届いてくる声も、悲鳴ではなくおぞましいうめき声の方が大きくなっていた。

 

 「くそっ。こっちよ!」

 

 そしてまた、ゾンビの群れに行く手を阻まれて、エスティアは建物の合間に築かれた狭い路地に逃げ込んだ。入り組んだ道をジグザグに進み、さらに物陰に身を潜めて、追いかけてくるゾンビたちをやり過ごす。そうして連中が路地の向こうに消えていくのを見届けてから、無意識に止めていた息を大きく吐き出した。

 

 「はぁぁぁぁ~~~~……っとに、ギルドから逃げ出してみたはいいものの、どこもかしこもアンデッド……いえ、ゾンビだらけね。どこか安全な場所はないのかしら……?」

 

 路地に出していた顔を引っ込め、エスティアは壁にもたれながら地べたに座り込む。すると、同じく対面になって地べたに座っている、ここまでエスティアに牽引されるままだったローズが口を開いた。

 

 「……もう、いいでしょう」

 「もう……いい?」

 

 項垂うなだれたローズは、さらに深く頭を揺らして頷いた。

 

 「生き延びたって無駄です。この街は完全にアンデッドたちに支配されてしまった。今さら……あがいたところでどうにもならない。私たちは、ベンジャミンたちに負けたんです。もう、何もかもが手遅れなんです」

 「ローズ……」

 「……私の認識が甘かった。事件の黒幕はエリオン=アズロードを犯人に仕立て上げようとしている……その状況で、お嬢様に手を出すはずがない。多くの人間がいるギルド内で、別の犯人の存在を臭わせるような行動は取らない……そう思い、護衛を他の者に任せたのが間違いだった……! どんな事があろうと、私が傍についていれば……! あのチビが狙われていることは分かっていたはずなのに……っ」

 「……あ、あのチビって……というか、狙われる……?」

 

 アリエルが連れ去られた動揺のせいか、急に乱暴になるローズの口調。それにも驚いたが、なにより彼女が放った物騒な文言が気になった。

 

 しかし、皮肉染みた笑みを浮かべ、脱力するように民家の壁に背中を放り投げるローズを見ていると、それについて訊ねることができなかった。

 

 「ったく……無様だぜ。まさかあの男があいつを狙っていたなんて……しかも、ヴェラまで共犯だとよ。全然、気付かなかったぜ。ずっと一緒にいたのによぉ……そんな節穴でよくもまあ父親に代わって見ておく、とか言えたもんだな。馬鹿なんじゃねえのか、テメェはよぉ……」

 

 頭をガリガリと掻きむしり、ローズは悪態をつく。その矛先が誰であるかは明白だった。


 普段とは、あまりにかけ離れたローズベリーの姿。その態度に面を喰らうも、エスティアはすぐさま気を取り直し、険しく表情を引き締めた。

 

 「そう。アンタにとって、アリエルはその程度の存在なのね」

 「っ」

 

 そして、敢えて挑発的な言葉をぶつける。悔しげな顔を上げるローズに、さらに続けた。

 

 「私がギルドの外に出ることを選んだのは、ベンジャミンから逃げることもあるけれど、何よりギルド内にいたんじゃあ身動きが取れなくなるから。仮に降伏を認められたとしても、私たちは絶対に拘束され、自由を奪われることになるから。そうならないために、リスクを承知でこうしてゾンビが蔓延はびこる街に出てきたのよ。アンタも同じ気持ちだと思ってるから今までついていたんだと思ってたけど……違うのね」

 「……まだ、逆転できると? この状況をひっくり返すことができると思って……るんですか?」

 「じゃなきゃあの場で大人しく殺されてやったわよ。でも、まだアリエルは生きている。あいつを殺す目的なら、わざわざ誘拐なんてする必要は無いわ。確かに、ここまでベンジャミンたちのいいように振り回されてきたけど、私たちは誰も死んじゃいない。まだ何も終わっていないの。それなのに、手遅れってなによ? アリエルを救い出せる可能性まであの男の言いなりになってどうするの?!」

 「……っ」

 「私は諦めないわ。きっとまだ、逆転の手は残されているはず。どんなに絶望的な状況だって、死ぬ気で挑み続ければ絶対に勝利を掴むことができる……その事を、私は知ってるから。私たちが諦めない限り、未来はどんなに細くても繋がってるの。だから、グチグチ弱音を吐いてないで覚悟を決めなさい。アンタが本当にアリエルのことを大切に想っているならね!」

 「………………」

 

 神妙な顔をしてうつむくローズ。自分の心は、ほんの少しでも彼女に届いただろうか。これで立ち直ってくれればいいのだけれど。

 

 銀髪の後頭部に願いを託し、彼女から目を離したエスティアは、もう一度、路地に顔を出した。

 

 「とはいえ、逆転するにもこの状況をどうにかしないとね……早く安全な場所に避難しないと。ベンジャミンに操られているだけのゾンビたちを攻撃することはできないし……どこか、ギルドみたく隔離されているような場所は……」

 「……私たちの邸宅はどうでしょうか?」

 

 必死に頭を回していると、後ろから声が。振り返ると、いつの間にか屹立きつりつするローズがいた。

 

 「ローズ……えっと、あなたたちの邸宅、ってことは……アリエスタル邸のことよね?」

 「ええ。あそこは四方が高い壁に覆われていますし、中にはヴァルハンに所属するメイドたちもいます。食料や衣類、治療用の道具なども豊富にあります。籠城ろうじょうするにはうってつけかと」

 「……確かに、それもそうね。ただ……」

 「……はい。そのメイドたちが、ベンジャミンと繋がっていない、という保証はありません。ですが、仮にこの状況下で邸宅に取り残されているのだとしたら、その可能性も低いと思います」

 「そうね……ベンジャミンの仲間だったら、アリエスタル邸に留まってないで一緒にギルドを制圧するなり、本体と一緒に船で海に出ているはずだしね。うん、分かったわ。行きましょう、アリエスタル邸に」

 「畏まりました」

 

 そう言ってローズはペコリと一礼する。まだ動作に若干のぎこちなさがあるが、どうやら無事に持ち直してくれたようだ。

 

 「よかったわ。あなたがずっとその調子ならどうしようかと」

 「申し訳ありません。見苦しい姿をお見せしてしまって……どうか、先ほどのローズベリーの醜態はお忘れください」

 「いやぁ、今の態度はなかなか忘れることはできないわよ? もしかして、さっきのカンジが素なの? だったら、私としてはそっちの方が付き合いやすくていいんだけど」

 

 でなければ、彼女の事を変に疑うこともしなかっただろうに。

 

 その想いで少し揶揄からかってやると、ローズは「お、お忘れください」と、ほんのり頬を赤らめて言い、少し早足で歩き出した。

 いつも超然ちょうぜんとしていて、何を考えているか分からない。そんな彼女の人間らしい一面を見て、クスリと笑ったエスティアは、その後に続いて路地を歩き出していった。

 


 

 ◇◆◇

 


 

 ――同時刻。

 


 グレートヘヴンの沖合おきあいに停泊する豪華客船、グレード・マリーンズ。その甲板に今、キメラニューロが海上を波立たせながら降り立った。

 

 「はぁ。ただいまー」

 

 間も無く、怪鳥の背中から降りてくるのは、今回のエルステイン制圧作戦の首謀者の1人である、エルヴィス=アシュクロフトという中年の男。さらに、33号――ヴェラミントという少女も、昏睡状態のアリエスタル=ロングベルトを担いだまま飛び降りてくる。

 

 「二日間の追跡任務、ご苦労だったな。エルヴィス」

 

 そうして甲板に現れた2人を迎え入れるのは、エルヴィスと同じく、本作戦の首謀者の1人であるベンジャミン=クロシェイド。やや横柄に感じてしまう彼の労いに、エルヴィスは淡く疲労感を漂わす笑みで応えた。

 

 「おう。やっぱ、二日間とはいえ、不眠不休の労働はおじさんにはキツいなー。最後にちょっと戦ったし……少し休ませてほしいよ」

 「うむ。すでに簡単な食事と部屋は用意してある。事が来るまで休息していればいい」

 「サンキュー。んで、首尾は?」

 

 エルヴィスが訊ねると、ベンジャミンは何台も用意された通信機材の周りで作業しているヴァルハンメンバーへと振り返った。

 

 「現在、各国政府や報道機関に今回の件を伝えている。最初は悪戯だと思うだろうが、直に事の重大さが分かって世界的な騒乱に広がっていくだろう」

 「ひゃはっ。そうなりゃあ、機関の理事たちは各方面からせっつかれて大童おおわらわになるだろうな。そうして混乱すればするほど、こちらの優位に話を進めやすくなるってモンだ」

 「これが一国を対象としたものなら、テロに屈しないという心構えを見せるために強硬策に出ることもありえるが……今回の対象は世界。人質は各国の要人たちだ。宥和策に出る他あるまい。本来は決議に対して責任を取るべき人間たちが、最も責任を負いたがらないのだから。人権や命など、口当たりの良い言葉を飾りながら我々の靴を舐めるはずだ」

 「へへ……楽しみだなぁ、明日の朝が。きっと愉快なことになってるだろうぜ。さて、それじゃあオレはそろそろ中に入るかな。おい、アレを任せたぜ」

 

 エルヴィスは背後のヴェラを親指で示し、傍に立つトルステンに言う。その指示に「はい」と頷いた彼はさっそくヴェラに近づき、彼女が大切そうに抱き締めるアリエルの体を掴んだ。

 

 「おら、人形。それをこっちによこしな」

 

 そして、乱暴な手付きでアリエルをヴェラから奪い取る。その当てつけのような振る舞いは恐らく、メロリアンレースでしてやられたことに対する報復も含まれているのだろう。

 

 「彼女は大切な人質です。丁重に扱ってください」

 

 そんなトルステンを無感情の目で見上げ、ヴェラは注意を促す。

 

 「あ? 人形のくせに偉そうに指図してんじゃねえよ。オレが人質をどう扱おうがテメェにカンケーねえだろうが」

 「彼女にもしもの事があれば、人質としての意義を消失します。なので、どうか、丁重に扱ってください」

 「はっ。人質なんて生きてさえいりゃあいいんだよ! それこそ、逃げられないように手足をへし折って、面影の残らないくらいにズタボロにしても生きてさえすれば――」

 

 

 ガガガガガ!!!

 

 

 トルステンが喚いた瞬間である。床板から突如として発生した先端の鋭い五本のパニッシュが、彼の体を瞬く間に取り囲んだ。

 

 「うあっ……」

 「丁重に、扱ってください」

 「…………っ」


 さらに、そのうちの一本の先端が少しずつ伸びて、トルステンの喉に食い込んでいく。あと、数ミリ。パニッシュが成長するだけで皮膚を貫き、頸動脈を引き裂く、その間際――

 

 「そこまでだ、33号」

 「……はい」

 

 エルヴィスの制止の声が入り、ヴェラは大人しく掲げていた手を下ろした。すると、パニッシュが一瞬にして塵と消え、解放されたトルステンはたたらを踏むように数歩、後ろへと退く。

 

 「トルステン。そいつの言う通り、その子は大切な人質だ。丁重に扱ってやれ」

 「……はい」

 

 エルヴィスに素直に頷いたトルステンは、最後にヴェラをキツく睨みつけると、アリエルを優しく抱き直す。その後、ソフィアたちと一緒にばつが悪そうな顔で船内へと向かっていった。

 

 その後姿を目で追っていたエルヴィスは、ベンジャミンにそっと顔を近づける。

 

 「ベンジャミン、前に言っていたことだが……」

 「ああ。どうやらお前の言う通り、調整が必要みたいだな……まさか、あの33号が他者に対して思いやりを見せるとは……」

 「これもアリエスタルたちと一緒に暮らした影響か……いや、エリオン=アズロードとの出会いが一番、大きいか。イヤだねー、若いってのは。一丁前に青春なんかしちゃって」

 「ふん……問題ない。またすぐに元の純粋ピュアな状態に戻してやる。私の最高傑作に、不純な感情なんて必要ないのだ……!」

 


 アリエルを見守るヴェラを忌々いまいましそうに睨みつけ、ベンジャミンは冷たい笑みを張り付けた。

 




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