第9話 わたしたちは
走って。走って。走って。
道端で倒れている人を見捨てて。
老いた女性をおんぶしてる若者を横切って。
助けを求める人の声を全て無視して。
走って、走って、走り続けて。
やがて、横っ腹が痛くなってきて、俺は立ち止まり、近くの木の根元に座り込んだ。
「ここまでっ、はぁ、くれば……もう、はぁ、はぁ……大丈夫だろ」
背中を
どのくらいそうしていただろう。
不意に、近くに複数の人の気配が生まれる。その正体を分かっていながら、俺はゆっくりと顔を上げた。
キャルロット。フローダ。リズ。ララキア。
4人が、俺を見下ろしていた。
「へ、へへ……」
思わず
「無駄だったよ。全部、無駄だった。俺は何も変わらない……どれだけ鍛錬したって同じ。いつまでも役立たずのクズのままだ」
「「「「…………」」」」
「悪いな、こんなのがご主人様で。他のヤツのスキルになってたら、お前らももっと自分の力を発揮できてたのかもしれないのにな」
「「「「…………」」」」
「…………どうしたよ。なんか言えよ。いつもみたいにさぁ、面白おかしく茶化せよ。笑えよ。俺を馬鹿にしろよ。心無い言葉を並べ立てろよ」
「なあ?! キャルロット!」
「…………」
「フローダ!」
「…………」
「リズ……」
「…………」
「…………ララキア……」
「…………」
……どうして、何も言ってくれない。
弱虫。ヘタレ。臆病者。ろくでなし。クズ。薄情者。
なんでもいいから言ってほしかった。責めてほしかった。いっそのこと、死にたくなるくらいに罵詈雑言を叩きつけてほしかった。
なのに、彼女たちは何も言わない。
ただ、強く、まるで何かを待っているかのような眼差しを向けてくるだけで。
「これでいいんですか? ご主人様」
「……は?」
「あの村に戻らなくていいんですか?」
突然、キャルロットが口を開いたかと思えば、そんなトンチンカンな問いかけ。
「はあ? なに言ってんだよ……役立たずの俺が行ったどうにもならないだろ。アルフォードたちがどうにかしてくれるさ。もういいんだ。俺は、もう……」
「だったらなぜ、ご主人様は今、泣いているのですか?」
「っ?!」
泣いてる? 何を言ってんだこいつは?
「俺のどこが泣いてるって言うんだよ? 馬鹿なことを。ほら、涙なんて――」
「泣くことは、涙を流すことではありません。悲しみが心を覆い尽くす時。怒りが理性を焼く時…………己の
「…………なにを」
キャルロットの目を見ることができず、俺は顔を背ける。でも、言われっぱなしは
「俺を
「私が、勇敢……ですか?」
「ああ! ジャイアントベアに立ち向かったお前とは! そんな小さな体で俺を守ろうとしてくれた…………お前とは違うんだよ……!」
「…………だったら、ご主人様こそが勇敢なんです」
「は?」
何を意味不明なことを。
思わず顔を戻す。だけど、俺を宿す瞳は変わらず、強い光を灯したままで。
「あなたは私なんです。私が勇敢なら、あなたも勇敢なんです。思い出してください。私が初めて顕現化した、あの時のことを」
「あの時……」
言われて、俺はもう一度、あの忌まわしい記憶を呼び起こす。アルフォードたちに置き去りにされ、さらにジャイアントベアに襲われて絶体絶命に追いやられた。
「思い出してください。その時、あなたはどうしましたか?」
「俺は……」
そう。俺は、ジャイアントベアに……!
「――立ち向かおうとしたのです。自分の運命と戦おうとしたのです」
俺の言葉を代わりに受け継いだキャルロットは、一歩、前に刻んだ。
「だから、私はここにいる。あなたのひたむきな想い……強くなりたい。親友のように、愛する人と共に戦いたい……その向上心。
「キャルロット……」
次いで、前に一歩、踏み出したのは
「わたしは……他の人が羨ましかった。親友の力。幼馴染の魔法。周りの同級生たち…………彼らの優れた能力に劣等感を抱いていた。だから……
「フローダ……」
続いて、チェック柄のスカートを揺らせて、『生産』。
「お姉さんはね、愛されたかったの。誰かを愛したいし、愛されたかった。自分を見ていてほしかった。そんな願望が、きっと
「リズ……」
そして、最後に俺の前に近づいたのは、天使の微笑みを浮かべる『幸運』。
「
「ララキア……」
「でも……でも、それだけじゃない。ただの打算じゃない。それは今、ご主人様が一番、分かっているでしょう?」
「俺が?」
「ええ。あなたの心を曇らせるもの。今も心に深く突き刺さってること。それは、なんですか?」
「………………」
ここでどんな言葉を取り繕っても、きっと彼女たちを誤魔化すことなんてできないだろう。だって、彼女たちは俺なのだから。
「俺は……!」
無理だ、と自分に言い聞かせていた。もう忘れろ。どうしようもなかったんだ、とどれだけ自分を
あの時の少女の顔が。
瓦礫に下半身を呑み込まれた母親を必死に呼びかける彼女の涙が、いつまでも頭から離れないんだよ!
「あの子を、助けたかった……!」
だけど、出来なかった。思い知らされてしまったんだ。自分がいくら努力したって、決してアルフォードたちに追いつくことはできない。自分に出来ることなんて何も無いんだと、そんな現実を突きつけられてしまった。
「じゃあ、助けに行きましょう!」
でも、キャルロットは言うのだ。
初めて会った時からちっとも変わらない、希望に満ち溢れた瞳を
そんなキャルロットを見ていると、なぜか目から涙が溢れてきて。
「ははは……本当に、キャルロットは勇敢だな……」
「もちろん。なんたって、私はご主人様なんですから」
「…………そっか」
俺がなんで、この子の想いを無下にできないのか。なんとなく分かった。彼女の有様は、俺がずっと思い描いていた姿そのものだったんだ。
一つの目標に向かってひたむきに、挫けず、前向きに、一生懸命に。
そんな強い自分になりたかった。そんな自分を夢見ていたんだ。
「……だったら、やるしかないよな」
覚悟の言葉と共に、俺は立ち上がる。不思議だな。さっきまであんなにヘロヘロだったのに。半日、森の中を歩いて疲労困憊の体は今、心の奥底から湧き上がってくる力に満ち満ちていた。今すぐにでも走り出したい気分だ。
「……なに? 泣いたと思ったら急に笑い出して。キモいよ?」
「お前と言うヤツは。ここぞとばかりに……」
「まあまあ。フローダちゃんもボクの事が心配で仕方なかったのよ。ね~?」
「別に……」
「なるほど。つまり、今のはアレか。素直になれないフローダなりの応援、ってことか?」
「はいー。つまりー、大好きなご主人様が元気になってくれて嬉しい、ってことなのですよ~」
「ち、ちがうし。大好きとかそんなんじゃないしっ」
「じゃあ、元気になってくれて嬉しい、ってところは本当なんですね!」
「~~~~~~~~っっっ!!」
「はぁ~~~ん……なるほどねぇ。さすが劣等感の塊。素直じゃないね~!」
「し、しねっ! やっぱりずっと落ち込んでろ、バカっ!」
フローダが魔法の書でポカポカと叩いてくる。まあ、力は無いので全然いたくはないが。
「はいはい、そこまで。いつまでもここでお喋りしてる時間はないでしょ~?」
そして、パンパンと手を打ち鳴らしながら、俺たちのじゃれ合いをリズが止めるのはもはや様式美。
知らない間に、俺の日常は彼女たちによって彩られ、支えられているんだと。
それを痛感して、でも今は、それが何よりも心強かった。
だからこそ俺は、1人ひとりに目を向けて、伝える。
「俺は今から村に戻る。正直、俺が行ったところで何ができるか分からないけど……このまま放っておくことなんてできない。みんな、俺に力を貸してくれるか?」
「はい!」
「……ふん」
「はぁ~い」
「仕方が無いのですー」
「……ありがとうな」
若干1名、
4人に深く頭を下げた後、俺は走り出した。目指すは、未だ破壊音と悲鳴が途切れないウリムス村。
そんな俺の背中を見送る者は1人もいなかった。
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