第10話 主人公の死

「果たして、神は本当に死ぬんだろうか」

「死んだ、という神話は多いが、本当はどうなのか。そもそも神は本当に存在するのか」

 阿部の独り言っぽい呟きに、佐佐木はわざわざ答を返した。と言っても疑問文に疑問文を返すような応答だが。

 黒い背広の二人の背にした火葬場の煙突から一筋の煙が上がっている。

 それが彼らが見送ってきた嗚呼琉の葬式の最後だった。

 特に親族でもない二人がここまで立ち会ったのは、嗚呼琉の最期となった退行催眠の現場に居合わせたからだという事がある。

「結局、警察の調べはどうなっているんだ」

「退行催眠と被験者の死を結びつけられる証拠なんか出てこないよ。薬物の使用を疑ってたみたいだが、勿論、そんなのはクリアだ」

「催眠術で『死んだ』という暗示を与えられた被験者が本当に死んだ、という事例があるみたいだが」

「知ってるくせに。『ブアメードの水滴実験』は出典がはっきりしない、都市伝説の様なもんだ」

 十九世紀。オランダにてブアメードという囚人を使って一つの心理実験が行なわれたという。

 彼に「人体から血液を三分の一になるまで抜いたら死ぬ事を証明する実験をしたいので、協力してほしい」と持ちかけ、眼隠しして、足の指先を切開した様に見せかけ、切ったはずの部位にただの水を滴らせていただけなのに、五時間後に「総出血量が致死量ラインを越えた」と告げた途端にブアメードは息絶えてしまったという。

 この実験に関する情報は年代などあやふやだ。

「それに被験者、嗚呼琉君は死んだという暗示を与えられたわけではない。むしろ、彼の夢の世界で生きていくという決意を固めたんだ。心筋梗塞の発作が起こったのはその後だが」

「この世界と決別しようとしたんじゃないか」

「いや、この世界を含め全ての世界を救おうとしたんじゃないか。あの鵺姫というのが全ての宇宙に悪影響を及ぼすというのなら」

 阿部はポケットからミニ・マシュマロのビニールパックを取り出した。

 その口を破き、呆れた顔を見せる佐佐木の前で口に放り込む。

「どちらにせよ。両親以外にいい顔をしている親族はいなかったな」と煙草に火を着ける佐佐木。「警察の捜査の方は無事解決が出来たらしくていいじゃないか。まあ、俺達のが直接の証拠にはならなかったが、無事に捜査意欲向上につながり、犯人を無事に検挙出来たからめでたい事だ」一息吸い、紫煙を吐く。「四重螺旋か。筋が通ってるか、通ってないか解らないな。説明にはなってるが」

「レプティリアンまで出ると思わなかったよ。生体UFO。時間凍結装甲。銀河連盟。彼の夢はインスピレーションの山だな。退行催眠が真実を常に伝えるはずなら、全ては現実だ。……いや、嗚呼琉君の想像力か。夢というものはあまりにも突飛でありながらそれなりにリアルだが、客観的に確かめようがない」

「魔界の悪魔達と、新興宗教教祖の出陣。新興だけではないか。……彼が告げる夢の内容は最後は彼自身の主観ではなくなっていたな」

「それまで現実だと考えるか……。いや、ないな」阿部はマシュマロをまた一つ、口にする。「結局、鵺姫とは何なのだろうな」。

「嗚呼琉君の夢の内容を整理するに、あれは五次元の穴なのだろう。高さ、幅、奥行、時間。俺達の物理空間は四次元の要素で成り立っている。その閉じられた時空連続体に新たに空いた穴。それが鵺姫なのだろう」

「見る者の恐怖を投影し、怪物を生み出す。恐らくはその怪物もダークマターから構成されてるのだろう。……何故、姫なんだ。女性の性別を与えられているんだ」

「見る者の恐怖か……恐怖以外の感情を持って見たらどうなるのか」

「……卵子」阿部が唾液で溶かしたマシュマロを呑み込んだ。

 そんな一言を呟いた彼を、佐佐木は紫煙をくゆらせながら怪訝そうに見つめる。

「卵子と精子。鵺姫を卵子とするならばそれに突き進む嗚呼琉君達、銀河連盟は精子の群の様に思えてくる。もしかしたら対象に女性名が与えられているのはそのメタファーかも」

「鵺姫に誰かが辿りついた時、何かが始まる、か。だが、それは地球人独自の感覚だろう。銀河連盟には様様な異星人が参加しているんだ。生殖は一つの形だけとは限らない」

「いや、レプティリアンは言ってたじゃないか。全ての知生体は収斂進化してるのかもしれない、と。もしかしたら生殖方法は共通かもしれない。穴と銀河連盟、卵子と精子のメタファーもどの星の知生体の文化でも成り立つのかもしれない」

「それはどうだろうな。ある意味、多様性を否定する」

「かもしれない。しかし、知生体のいない並行宇宙はやがて死滅すると言ってた。……嗚呼琉君は夢の中で、それが自分の独自の夢だという事を否定された。その否定が真実かどうかは俺達には解らない。だが、こう考える事は出来る。もしかしたら彼は誰かが見ている夢の登場人物として、今もその並行宇宙の中に存在してるかもしれない。そもそも並行宇宙が無数に近く存在するなら嗚呼琉君もその人数存在するんだ。無数の平行宇宙でトリガーとしての彼が。彼の論によれば、彼の夢見ていた宇宙も実数時間世界だ。彼は実数時間世界の中で今も生きているんだ。この世界では灰となったが彼の魂は生きている」

「魂……か。精神エネルギーという言葉と同じく曖昧な概念だな」佐佐木は携帯用灰皿の中に自分の煙草の灰を落とした。

「無数の平行宇宙のそれぞれの銀河連盟が、神と魔の軍勢が、蘇った死者達が今、鵺姫に立ち向かっているのかもしれない」

「……それも俺達には感知出来ない場所、五年前の現在にな」

(なら、お前らにもその鵺姫を見せてやろう。イェイ)

 白い光が彼らを覆った。

 その時に聴こえた声は知らない相手だった。ただ、声のみが二人の意識に響いた。

 彼らは確信した。声を届けた者の名前は短い音の中に無限に近い情報量があり、彼らには正しく発音も表現も出来ないのだ。

 眩しい。だが、それは太陽光だと解る。何処からか何かの具合で反射してきた太陽光が彼らの眼に入ってきたのだ。

 数秒の白い輝きに眼を眩ませた後、彼らの視界に青空が戻った。

 巨大な積乱雲が渦を巻く形で発生していた。

 そしてその中央、遠方に立ち並ぶビルディングの遥か真上の上空に、青い空を複雑な形に切り取った様な真っ黒な『穴』が小さく浮いていた。

 自分達が見ているもの。それは積乱雲ではなく、穴の周囲に群がる鵺姫に立ち向かう無量大数を遥かに超える軍勢なのだ。

 アポカリプティック・サウンドが鳴り響く蒼穹。

 水の一分子よりはるかに細かく数の多い終末の戦士達が、竜がひそむ様な雲になった如く、黒い穴を囲んで攻防繰り広げていた。

 世界中が見上げているだろうか。

 それは二重像として青い空に重なった、無限に近い情報量を持つ投影だった。

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