第7話 不具のウーフニック

「今度の夢はずいぶんと濃密だった様だな」

「この話をどう思う。病気かね。君なら病名をどうつける」

「症例がないね」

「精神医学の限界を認めたという事か」

「精神病は世につれ、人につれ、だよ」心理学者であり、精神科医でもある佐佐木。阿部にとり『超』が付かない心理学研究者の唯一の友であり、この大学の同僚だった。「精神病は時代や社会が変わるにつれ、新しいものが発症する。いや、医者が新しく発見していく、という言い方も出来るか」

 俗っぽい言い方だが『中二病』と呼ばれるものもその一種だな、と佐佐木。彼は流行りの異世界転生物の創作作品にも何か病名がつきそうじゃないかな、とコーヒーを飲みながら言う。

「何かそれらに精神病の兆候が共通するのか」」

「いや、忘れてくれ。たわごとだ。……MIBか。どうやら君の被検体の夢はUFO系の都市伝説の影響を受けている様だな」

 五年前の夢から眼醒めた嗚呼琉は憔悴し、脇腹の凍傷をひどく気にしていた。

 凍傷ではなかったが、それに匹敵する肉体損傷痕が脇腹にあり、彼はすぐに医務室に向かった。ひどい体力の消耗もあった。

「鵺姫、とは何だ」

「解らない。鵺(ぬえ)、と言えば平安京の事件が有名だが」

 嗚呼琉と入れ替わる様に研究室に現れた佐佐木は、既に聞いていた阿部が関わっている退行催眠の話のニューバージョンを彼から聴き、コーヒー一杯と引き換えに意見を求められるままに自分の知識と感想を語った。

 『平家物語』や『摂津名所図会』などによれば平安時代末期、天皇の住む御所に、毎晩の様に黒煙と共に不気味な鳥の鳴き声が響き渡り、二条天皇がこれに恐怖していた。遂に天皇は病の身となってしまい、薬や祈祷をもってしても効果はなかった。

 源頼政はある夜、家来の猪早太を連れ、先祖の源頼光より受け継いだ弓を手にして怪物退治に出向いた。すると清涼殿を不気味な黒煙が覆い始めたので、頼政が山鳥の尾で作った矢を射ると、悲鳴と共に『鵺』が二条城の北方辺りに落下し、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを差した、という。

 これにより天皇の体調もたちまちにして回復し頼政は天皇から褒美に獅子王という刀を賜ったという。

「この怪物が『鵺』だという事にされているが、古伝でははっきりとそうは語られていないんだ。鵺というのは元元トラツグミという鳥だとされているが、この射貫かれた怪物が落ちてきて以来、その鳥に似た鳴き声が止んだので現代ではこの怪物が鵺という名の妖怪だとされている」

「鵺というと猿の頭、狸の胴、虎の四肢、蛇の尾をもち、トラツグミの声で鳴くという奴か。狸は犬の仲間だが、猿、犬、鳥、十二支の内、裏鬼門がそろっているな」

「身体を構成する獣は文献によって違っている」美味いコーヒーを飲み干す佐佐木。「ここからは俺の考えだ。御所に現れた黒雲というのは不確定な『場』を表していたのではないだろうか。恐怖に駆られた者達がそこに矢を撃つというアプローチを加えた事によって、人間の恐怖が『観測』されて十二支に対応した『怪物』という結果、後に『鵺』と呼ばれる事になる実体を生み落としたのではないか」

「まるで妖怪話を現実にあった事の様に語るな」

「俺の趣味でね。で、これに対応するものがそのアルビノの青年が観た夢での黒い『穴』だよ。これが鵺の雲と同じだとすれば、彼にメン・イン・ブラックが襲いかかってきたのもUFO都市伝説での恐怖の対象だったからという説明が出来る。羽のある黒い悪鬼も元元は宇宙人グレイの目撃譚だったという『チュパカブラ』のイメージ画が投影された怪物だと説明が出来る。『観測者』の恐怖の実体化だよ」

「五年前の夢の黒い穴が、被験者のUFO伝説のイメージを投影して敵を作り出すというのか。……鵺姫とは?」

「黒雲の中に実はまだ親玉が隠れているとしたら?」佐佐木は新しいコーヒーをカップに注ぐ。

「鵺姫というのは被験者の夢の中に現れた名前だ。夢の中の登場人物の台詞だ。怪物の事ではなく、未登場のキャラクターだというのか。……もう、被験者は退行催眠の中で暴走を始めている。どんどんと話を膨らませ、妄想と現実の境界がなくなっている、と私は思うんだ」と阿部。

「彼にとってどっちが現実か。胡蝶の夢か。愛しい恋人がいて、実際に身体に痛みとダメージを与える夢の中こそ自分にとって現実にふさわしいと思っているかもしれないな。夢は時にリアルすぎるほどリアルだ」

「私達こそが彼にとってはリアルにふさわしくないというのか。人格の分裂が起こりそうだな」

「彼は五年前の夢の中で自分の敵と戦っている。夢の中の架空人物の助言を得てな。もう、彼は夢から眼醒めたくないという気になっていてもおかしくない。彼にとって充実する人生や冒険、リアルが夢の中にあるんだ」佐佐木は熱いコーヒーのカップにあらためて口をつける。

「……四重螺旋という言葉をどう思う」

「それは俺にも解らないな。それよりも三十六人の真インフルエンサーという言葉の方が興味深い」

「何故、三十六という数字が出てくるのだろう」

「『不具のウーフニック』という言葉を知っているか」

「いや」

「ボルヘスの『幻獣辞典』に曰く、地上には、この世を正当化する使命を帯びた正しき人間が三十六人いる、また常にいた。それは不具のウーフニック達である」佐佐木は読書の知識をそらんじてみせた。「彼らは互いの事を知らず、そして大変貧しい。もし自分が不具のウーフニックである事を悟ると、その者はすぐに死んで、多分、この世の他の場所にいる別の誰かがその者に代わる。不具のウーフニック達はそれと知らず、宇宙の隠れた柱となっている。彼らがいなければ、神は人類を全滅させてしまうだろう。気づかないままに彼らは我我の救い手になっている」

「不具のウーフニック。必ず不具でなくてはならないのか」

「跛行(はこう)者の神聖性は神話伝承のテンプレだからな。被験者はアルビノの先天的な虚弱体質だろ」

「跛行者……足が不自由な者。三十六人の真インフルエンサー……宇宙の隠れた柱か」

「MIB……その鵺姫という奴があの黒い穴の正体だとしたら、彼……彼女か、が被験者を狙う理由が何だか解るか。この五年前の夢の中で一番重要そうで最も解っていないのがそこだ」

「四重螺旋だろう。何だか解らないがそれが鍵だ。量子的効果。三十六人の真インフルエンサー……」

 阿部が呟いた時、嗚呼琉を医務室まで送っていった女性研究員に戸口で呼ばれた。

 彼女は、嗚呼琉の傷は内臓までダメージを負っていたが適切な処置によってたいした事はなさそうです、と阿部と佐佐木に告げた。

 そして、彼が次回の退行催眠による研究はいつになるのかを知りたがっているとも。

 彼は出来る限り早く次の実験に参加したいと意欲を見せている。

 焦っていると。

 自分の夢の世界、リアリティあふれるその世界へ出来る限り早く帰りたいと。

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