第6話 GRITS
ビルで言えば地下七階ほど。
エヴァーランドの地下には広大な空間があり、そこに格納施設があった。
鋼鉄の梁。鋼鉄の支台。鋼鉄ではなく特殊合金かもしれないが。
遊園地の地下一杯に広がる、明るい巨大な人工空間。
広い空間に静寂が響いている。
ここもやはり無人だった。
「これがGRITSだ」そこに狭そうに押し込められた、銀色のドック内に収納された直径七十メートルほどの扁平な巨大な円盤をサブロウが仰ぎ見る。「コードネーム、GHOST RIDER IN THE SKY。GRITS」
大きなUFO。遠目には滑らかに見える銀色の造形も、近づけば噛み合った様様なパーツの集合体だと解る。GRITSは大小多様なパーツで構成されていた。そして、その表面には英語で色色な注意書きが記されている。嗚呼琉は英語は読めなかったが、軍用機のイメージがその銀灰色の機体にはあった。
嗚呼琉は近寄って表面を手で叩いた。
固く、冷たい。
「これは軍用機なのか」
「いや、トレロ・カモミロが私財を投げうって、開発、製造した私製UFOだぜ。世界各地のオーパーツのデータを集め、並列したスーパーコンピュータにかけて、それをメインに再構成したんだぜ、イェイ」
「オーパーツの立体パズルか」
世界のポップスターが極秘にUFOを作っていたというのも、オーパーツの寄せ集めだというのも荒唐無稽に聞こえるが、トレロ・カモミロはそんな都市伝説めいた話に現実味を覚えさせるほど、エキセントリックだという噂がある。子供っぽかったとも。何せ、遊園地を一つ作ってしまうほどだ。
しかし、いかにもハリウッド映画の美術スタッフがデザインし、作りあげた雰囲気だ。UFO。3DCGっぽい。
「これは完成しているのか」
「完成しているぜ、イェイ。飛行試験はまだだが」
「飛行原理は何なんだ」
訊きながら嗚呼琉はこれでジェットやロケットで飛ばすなどと言ったら、興醒めだな、と思った。
UFOは現代の人間には飛行原理が謎だから興味をそそるのだ。少なくとも嗚呼琉にはそうだ。
「量子効果だぜ、イェイ」
サブロウは即答した。
「量子効果とは何だ」
「おたくだ」とサブロウがまっすぐ嗚呼琉を見つめる。それでいて口元の笑みを絶やさない。「お前がこのUFOの作動原理だ。それがトレロ・カモミロがお前をここに呼び、お前がMIBに狙われる最大の理由だぜ」
嗚呼琉は彼が何を言っているのか解らず、戸惑う。
「嗚呼琉。お前がこのGRITSのパイロットであり、エンジンだぜ」
サブロウはそう言いながら、このドックに置かれたスチールの机の一つに向かった。
机には簡易な椅子が一体化している。整備員やシステムエンジニア等が使用する机の様だ。
卓上には可動アームに支えられた液晶ディスプレイがあり、小型キーボードと有線でつながっている。
「後は俺のご主人様と直接話してもらおう」
サブロウはコンピュータと一体化しているディスプレイの電源を入れ、キーボードの上でピアニストの様に指を踊らせた後、嗚呼琉と慈海へ画面を向けた。
美形の黒人のバストショットが画面いっぱいに映っていた。
知っている顔。世界的有名人。
トレロ・カモミロだ。
「こんにちは。君が嗚呼琉君だね」
トレロ・カモミロの言葉は日本語との同時翻訳発声。原語が日本語の通訳発声に微妙に重なっている。日本語発声も彼のオリジナル音声と同じくファルセットめいた美しく聞き取りやすい声だ。
向こうもこっちを見ている様だ。双方向通信。ディスプレイには小さなカメラもある。
「これは……」あまりにも違和感のなさに驚くが、これはコンピュータによって作成された音声だと嗚呼琉は感じた。そうか、と気づく。このトレロ・カモミロは本人の死後、残された膨大な音声データを研究して作られたAIだ。死んだ後も歌手としての彼はこのコンピュータで生かされているのだ。
しかし、これだけ自然なCGと音声は、ただならぬ量のデータ蓄積と解析と表現アプリがなければ叶わないだろう。
恐らくGRITS開発製造に負けない資金と技術がこのAIにかけられているのだ。
「自律型ボーカロイド。それが今の私だ」トレロ・カモミロのCGが極めて自然に皮肉めいた笑みを浮かべる。「死後の私を完全に再現出来ないかと考えたレコード会社が、私の全ての膨大な音楽データをインプットし、ネット上の全てのデータにも触れる様にして、並列させたスーパーコンピュータの複雑な解析を経て私の『新作』を半永久的に製作出来るようにと開発したのだ。膨大な単純作用の複雑な組み合わせ。気がつくと私には自我があった。世界初の意識を持ったAIだ。もしかしたら私には魂があるのかもしれない。魂を見たという記録で信用出来るものはまだこの世界にはないが」
トレロ・カモミロのトレードマークの一つ、少年めいた笑みをCGは完全に表現する。
「今の私は完全に生前のトレロ・カモミロと同じだ。音楽活動、事業、趣味。完全に彼を引き継いでいる」
死んだ人間に更に富を生ませる為に莫大な金と技術をかけて作られた人工複製。
浅薄な嗚呼琉の血に比べて、なんて濃厚で業の深い血だろう。
「嗚呼琉君。君をここに呼んだのは私だ。実は君の『超能力』についてのデータをネットで拾って読んでね。君にこのGRITSを操縦してほしい。恐らく、君でなければ駄目なんだ」
「僕は飛行機はおろか、原付バイクだって動かせないんだ」
嗚呼琉は素直に答えた。自転車だって長距離は無理だ。そもそも自転車に乗るのを習う期間もなかった。その身体の脆弱さで。
しかし、自分の超能力が実は誰かにばれていたというのには驚いた。
「君の超能力でこのGRITSを動かしてほしい。量子的に」
「量子的?」
「GRITSはこの宇宙を確率的に量子場のエネルギー分布状態が違っている並行宇宙の重ね合わせと定義して、各各の宇宙を量子場的に少し違った宇宙へと転送するシステムがある」
「……何を言っているのか解らない」
「君がGRITSを前に一メートル移動させるのは、君が前方一メートル先にGRITSが存在する確率が極めて高い並行宇宙へと転移させるのと同じという事なんだ」
「つまり超能力を読み取るシステムがあるからそれでこのUFOを飛ばせ、という事なんだな。そういう風な移動なのか、量子的な移動というのは」
「そういう事だ。君はスプーンを曲げたり、発火させたりする超能力を使えるはずだな」
「……ああ」
「君は確率を操作出来る。確率は全ての人に平等ではない。確率の偏りというのは存在するんだ。それが生前の私の結論だ」
「量子は確率的なものだ。それを操作するというのか」
「嗚呼琉君。確率というものは全ての人間に対して平等だと思うかい」
「確率?」このAIは随分と変な事を訊くものだ、と嗚呼琉は思った。
「乱数でもいい。君の意見を訊きたい」
「全ての人間にとって乱数は平等にランダムだろう。そうでなければ乱数の意味がない。コンピュータ上には数学的に発生させた疑似乱数があるかもしれないが、現実の乱数はランダムのはずだ」
「そうか。でも、私は違うと思う。生まれつき、人間によって有意の乱数の偏りというのは存在するのだ。確実に」
「それでは人の運、不運は生まれつき決まっているというのか」
「ある程度、後天的に修正可能だろうが、私はそうだと考えている。その極端な発現が君の『超能力』だ。君の念力、或いは予知能力というものは確率の操作、量子の未来位置の操作なんだ」
「どういう事なんだ」
「完全に三分後の未来を当てる予知は、その時点から三分後の量子場のエネルギー分布を確定するのに等しい。未来を観測出来るという事は未来を確定してしまうという事だ」
「量子的には観測とは量子位置や運動情報の特定だが……」
「宇宙の全ての可能性は量子が確率的である限り、保証される。全ての宇宙情報は量子場のエネルギー分布の情報、そのバリエーションにすぎないからな」
「多重世界、並行宇宙か。量子論の結論の一つの。量子論の確率性はありとあらゆるバリエーションの宇宙が同時に実在する事を示唆するという。多世界解釈。しかし、量子の不確実性による世界の変異なんて、せいぜい観測される量子一つ分の差異だ。量子論における観測による可能性の分岐など、宇宙全域の量子場のたった一つの量子が観測されるかされないか、オンになるかオフになるか、それによる場の影響の違いだ。架空戦記等のSFの様な劇的な世界の違いは生じないだろう。人の観測によるパラレルワールドの可能性なんて、その程度のものだ。大体、観測による人間原理など否定する声もある」
「だから君の超能力が重要なのだよ」トレロ・カモミロの画像は明るく笑った。「君の念動力や発火能力は複数の、極めて多く、広くの量子場に同時に移動エネルギーを与える力だ。一斉干渉だよ。君は並行宇宙を自分が生み出したい様に大きく変化させる事が出来るんだ。それで分子の流れが決まり、物を動かしたり、変形させたり、発火させる事が出来る」
成程、と嗚呼琉は素直に納得した。
しかし、どうしてせいぜい打ち明けた相手が慈海くらいしかない自分の超能力の事をトレロ・カモミロがここまで知っているが不思議だったが、考えてみればここは現実ではない、夢の世界なのだ。
口から滔滔と量子論の知識も出てくる。興味を持って調べた事はあったが、ほとんど忘れてしまったはずなのに、ここまで論議を出来るのは自分でも意外だった。夢が自分が忘れていた過去を呼び戻す。そういえば、この研究室での実験の始まりもそんなものだった。
忘れてしまった車のナンバーを思い出す実験。
「面白いな」と画面の中のトレロ・カモミロが手を叩いて笑った。画像はバストショットだけを映すのではなく、画面に映らない全身の存在も設定されているらしい。「ここまで談義出来ると思わなかった。それにそこまで理解してるならば、GRITSの操縦方法も理解しただろう。このUFOを量子的に超能力で操作してほしい。確率を操るのだ。このGRITSが進むべき時空へと移動する確率を」
「しかし、確率を操って飛ぶというのなら、それは嗚呼琉にそれだけの運を自分のものに出来る力があるって事じゃない?」ここで慈海が意外にも口を挟んだ。「あなたは言ったわよね。運には人それぞれの偏りがあるって。ならば、嗚呼琉は……」
ここで彼女を言葉を切った。
嗚呼琉にはその続きが解った。自分が人並み以上の運のよさに恵まれているのならば、そもそもこんな虚弱体質のアルビノになんか生まれないだろう。
「君のこれまでの人生は不幸かもしれない。……だが、君の『幸運』がなければ、君は産声を挙げる間もなく死んでいただろう」トレロ・カモミロは真剣な表情で見つめた。「その程度ですんでいるところが君の幸運の故なのだ」
「詭弁よ」と慈海。「そんな事を言うのは偽霊能者とかの詐欺師よ。あなたは不幸に見えて人生には意味があるんだ、もっと幸せな運気を呼び込む為にこの宝石を買いましょう、とか」
「いいかい。嗚呼琉君」トレロ・カモミロの画像の眼線が嗚呼琉を見つめる。「君はさりげなく幸運の塊なんだ。今、こうやってとりとめのない会話をしながらでも幸運を消費している。君にとって確率操作は日常なんだ。……いや、ほとんどの人類にとって超能力は日常だ。慈海ちゃん、君はオーラが見えるそうだが」
トレロ・カモミロの言葉に慈海は驚いた顔をした。
彼は慈海の超能力の事まで調べ上げているというのか。
いや、ここは夢の中なのだ。夢とは五感を含めて何でもありの世界だ。頬をつねれば、ちゃんと痛い。
夢は現実を装いながら、時に現実以上の情報を持っている様に振る舞う。
「大概の人間は誰でも超能力を持ち、日常的にそれを使っているんだ。無自覚に」黒瑪瑙の様な肌のトレロ・カモミロが語る。「恒久的に微弱なテレパシーや未来予知能力を使って、コミュニケーションを補助している。しかし自分自身でそれが解らず、計測も出来ない。口にした言葉や論理的な推測だけではないんだ、人の生活の在り様というのは。オーラも感知している。しかし人間の視覚、意識ではそれを捉える事が出来ない。嗚呼琉君。慈海ちゃん、君達は先祖返り的にたまたまそれが強力なだけなんだ。君達は超能力が自覚出来る人間なんだ」
嗚呼琉はトレロ・カモミロの断言をすぐに信じる事は出来なかった。
人間は誰もが超能力者だというのか。
選ばれた人間や進化の果てのものや、ミュータントなのではなく。
「人類は有史以前、言語や文字を獲得する以前から超能力というものを一般的に持っていた。恐らくは野生の獣の勘と同じレベルで。魚や鳥の群が捕食者の攻撃に対して一瞬、一斉に方向を変える様に動物は超時間的なコミュニケーション能力を持っている。人間もそれと同じなんだ。ただ、普通の者にはそれが知覚出来ない。中には本当に超能力を持たない、持てない人間もいる。それらはコミュニケーションが苦手だ。他人の気持ちが解らない、同調出来ないんだ」
嗚呼琉はずっとトレロ・カモミロの長口上を聞いていた。
訊きながらずっと思っていた。
人間は全て超能力を持つ。そう語る人間並みのこのAIは超能力を持っているのだろうか。
「皆、テレパシーや予知能力を使って、コミュニケートしている……俺は解るな、イェイ」このタイミングでサブロウが口を挟んできた。「ある引きこもりだった人間の話を俺は知っている。そいつは数年ぶりに外に出た時、雑踏の中を歩く事が出来なかったそうだ。同調出来ない。周囲の人間の歩く様子が予想出来ず、人にぶつかるか、戸惑い立ち尽くすばかりだった。長年のコミュニケーション不足が彼の『超能力』を衰えさせたのだろうな。人間の『群』にとって彼は異質になっていたんだ」
「だから、どうだっていうの」と慈海。「一瞬で群の動きに同調出来る力というのがその例え話で説明出来たとと思ってるの」
「多分、原人は超能力を持っていた、と私は推測する」トレロ・カモミロの画像は表情を冷静にしたまま語った。「そうやって『共感』を群で共有していたんだ。しかし、ある時からそれはマスキングされる方向に進化した。恐らく、言語や文字の発達で情報を外部に記述して共有出来る様になったからだろう。超能力は文字や言語を発達させるよりもコストが要ったんだ。そして人間は超能力に頼るのを少なくする方向に進化した。一般生活では無自覚になるほどに」
「超能力を退化させたというの」
「ノー。超能力を自覚する力を退化させたんだ。いや、自覚出来ないマスキング能力を発達させたと言っていい。進化は環境と密接だ。だが、人類は自分に見合った環境をも造り出す力を持った。慈海ちゃん。君は私のオーラが見えるかい」
「……解らないわ」
「そうだろう。君達が眼にしている画像はあくまでも私の本体じゃない。だが、私は生きている。元元のトレロ・カモミロ本人がやっていた事を受け継いだのだ。この私製UFOとか」
嗚呼琉はAIに説得されそうな自分を自覚した。
夢に説得されてどうする。
もしかしたら眼醒めたら、論理に一切の筋が通ってない事を自覚するだけの夢かもしれないのに。
夢とはそういうものだ。
初志を思い出せ。
ここは退行催眠が作り出した偽の記憶の世界だというのに。
その時だ。
サイレンが低く唸り、この広い地下格納庫の照明が全体的に赤く明滅を始めた。
UFOの全体が照明で赤く輝く様に照らし出される。
「これは?」
嗚呼琉は動揺を隠さずに叫んだ。
「奴らが来た」サブロウがキーボードを両手が操作する。「МIB。量子的UFOを飛ばすのが阻止したい奴らが」
トレロ・カモミロの肖像を映していた画面が素早く左下へとワイプし、代わりに地上の遊園地の風景のウィンドウが拡大した。
青空を画面内に入れたその風景には空中に黒点が浮かんでいた。黒いUFO。周囲一切の光の照射を無視した黒い穴。
そこから巣穴から出る黒蟻の様にわらわらと黒服の者達がこぼれてくる。
その高さを見るに高度五十メートルほどだろうか。
しかし、その高さを苦ともせず、一筋の黒い流れの如く地に落ち、地上に降りるとそのまま走り出す。
遊園地の四方八方に。
手には銀色のオカリナ型の銃を持っている。
その数は既に数百を超え、まだ流れ落ちてくる。
カラフルでポップな遊園地の風景に無数の真黒の点が散らばっていく。
「ここへ来るエレベータが見つかったら!?」
慈海が悲鳴の様な声を挙げた。
「奴らの狙いはこのUFOだ」サブロウが赤い天井を仰ぐ。「そして嗚呼琉、君だ」
「何故、このUFOが、嗚呼琉が狙われるの!?」
慈海の、神に問う様な必死の疑問にトレロ・カモミロが答える。
「嗚呼琉は『真のインフルエンサー』だからだ」
戸惑った。
インフルエンサー。
『影響する』という意味を持つインフルエンスを語源とする、比較的新しい言葉だ。
主に社会的に多大な影響力を持つ、実力者、権威、カリスマ等の人間を意味する。
ただの影響者ではない。
世界規模の影響者だ。
社会や経済の趨勢、政治、思想等にその発言や行動は非常に大きな影響を持つという。
「嗚呼琉君、君はその規模のインフルエンサーではない。その言動、思考、予想や理解は人類規模に影響を与える。全世界の人間の意識の根本である『集合無意識』に揺らぎを与え、波紋を広げる存在。超常の、真のインフルエンサーだ」
「多分、世界に三十六人いる内の一人、な」とサブロウ。「イェイ」
「何だ!? 真のインフルエンサーというのは!?」
「先程、君は非常に運がいいというのは話したな」トレロ・カモミロの画像。大画面は刻一刻とカメラを変えて、遊園地内の黒服達をあらゆる角度から監視している。「君は世界の日常を支える力がある。日常の行く末を。世界というものを本当に超常的に支えている真の影響者だ。君は世界の流行が自分の後についてくると感じた事はないか」
それは、と口ごもった。
それは、ある。
噂をすれば影。
自分が興味を持ち始めた事が、ほどなくして世界規模の流行として興起し始めた事は実は一度や二度ではない。
しかし、自分が世界の中心だと思った事はなかった。
日本の自分でやり始めた事がやがて世界シーンの一大流行になるというのは思い上がりだろう。因果性、関連性はない。
ましてや、それが集合意識を伝搬するシンクロニシティなどとは。
それがすっかり慣れてしまうくらいに頻繁に起こる事だとしても。
世界とはそういうものだ。
たまたま。それが何回も繰り返されるものだとしても。
「自覚しろ」サブロウが明滅する赤い光の下で叫んだ。
画面の中のМIBの手に握られたオカリナの如き銃から細い銀色の線が伸びる。
するとこの遊園地のマスコットの形をした遊具の表面が白くなり、白い煙と共にその銀色が広がっていく。
「冷凍光線!?」嗚呼琉は叫んだ。「一体、どういう理屈なんだ!?」
「レーザー冷却か!?」サブロウが叫ぶ如く、呟く。「いや、まさか、この規模で」
白い霧の中、MIB達は周囲に向かって次次と銀色の光線を放ち始めた。
ジェットコースターの基部の柱や様様なアトラクション施設が白くなり、もろく崩れ始めた。
人がいないのは幸いだが、白い瓦解はエヴァーランドのあちこちで起こっている。
「この遊園地自体を破壊するつもりなの!?」慈海が叫んだ。「あたし達が何処にいるから解らないから丸ごと破壊するつもりなのよ!」
「物質があそこまでもろくなると……絶対零度に近い?」とサブロウが呟く。
ワイプアウトしているトレロ・カモミロが難しい顔をする。
もしかしたら、今にも奴らはこの地下に降りる手段を見つけてやってくるかもしれない、と赤い光の明滅の中、嗚呼琉は焦った。
「自覚しろ!」サブロウがまた叫ぶ。「君はインフルエンサーだ! この宇宙の因果にとって強力な! 奴らはそのお前を殺しにやってきたんだ! 慈海ちゃん、嗚呼琉の真キルリアン場を見てみろ!」
「真キルリアン場!?」
「オーラの事だ! 君はオーラが見えるそうじゃないか。疑似科学で扱っている水蒸気の発散によるコロナ放電ではない、真の!」
トレロ・カモミロが熱弁をふるう。。
「人間は他覚も自覚も出来ないが、日常的に超能力を使って生活しているのではないかというのが、私の説なんだ。超能力はそれが弱いか強いかというだけで一般的な生得能力なんだ」
人間は皆、超能力を持っていて、日常的にそれを自発しているとうのか。
ただ自覚、他覚は出来ない。意識などしていない。
未来予知をし、テレパシーで心を読んで、自分の行動やコミュニケーションに組み込んでいる。
オーラとは、自覚も他覚も出来ない超能力の影響範囲が『見える人』には見える様になったものじゃないのか。
人は全て日常的に超能力を行使している、
ただ、それは普通の人間が空気を知覚出来ないと同じ様に知覚出来ない。
トレロ・カモミロはそう言うのだ。
慈海は眼を閉じ、額に第三の眼があるかの様にまぶたを伏せたまま、嗚呼琉と向き合った。
「……嗚呼琉のオーラが、まるで火の鳥が重なっている様に大きく見える……! まるで世界に広がる嗚呼琉の影響力が巨大に広がった様に……!」
「ヒュ~ウ」CG画面のトレロ・カモミロが見事な口笛を吹いた。「慈海、君なら見えるかもしれないな、四重螺旋が」
四重螺旋。
また、その言葉だ
トレロ・カモミロも知っているのか。
一体、それは何の事なのだ。
それも気になるが、嗚呼琉は自分のオーラが火の鳥の様に大きく羽ばたいているという描写に心奪われた。
自分は宇宙全体に絵う影響力を及ぼしているという。
三十六人の真のインフルエンサー。
もしや、自分が死ぬ時、宇宙の三十六分の一は同時に死ぬのか。
そんな事を考えていると、警報が一段階大きくなった。
「奴ら、ここへ侵入するエレベータを見つけたぞ」
サブロウの言葉にディスプレイを見れば、地上が映っていた。冷凍光線により偽装が破壊され、エレベータ孔が露出している。そこに黒服の男達が次次と飛び込んでいる。
「GRITSを起動する為に必要最低限まで電源を落とす」トレロ・カモミロはいきなり通告した。「嗚呼琉、搭乗するんだ」
いきなりのその言葉とほぼ同時に照明が赤色回転灯を除いてダウン。
GRITSの銀色のカバーの一部が赤色を反射しながら開いた。
グリッツの金属表面は真っ赤なライトを乱反射して、周囲に眼まぐるしい赤光を撒き散らしている。
その途端、エレベータのハッチドアが冷気と共に爆散した。ダイヤモンドダストの濃煙が非常ライトの赤い光としてちらつく。
МIBが蟻の群の様に侵入してきた。
エレベータのドアから無言の黒服達がこぼれ出る様にあふれてくる。
赤い光の点滅の中、赤黒い黒服の群が赤銀色の冷凍銃を手にしてこのフロアに広がっていく。
GRITSは低く小さな作動音を唸らせている。近寄ったサブロウの操作で大きく外部カバー一部が展開した。内部のコックピットが見える。四人まで乗れるシートが見える。内側は計器やスイッチの並ぶ航空機とかスペースシャトルのコックピットの様だった。
サブロウと慈海に続いて、乗り込もうとした嗚呼琉の脇腹を冷凍光線が掠める。
激痛。
途端、首のすり傷の痛みを思い出し、突然、恐怖が沸き起こった。
夢の中で殺されたら、本当に死ぬのでは。
全身を焦燥が這いがってきた。
サブロウが眼くらましの為のプラズマを傘から発生させた。
МIBの動きが止まる。
その隙に嗚呼琉達は全員、コックピットに乗り込み、ハッチとなっているカバーを閉めた。
赤色の光が遮断された暗闇の中で計器類が光を放ち、次いでコックピット全体を照らす照明と前面大型のものを含むディスプレイに電源が入った。
「この赤外線スキャナをかぶるんだぜ」
後部座席のサブロウがコードの一杯つながったヘルメットの様な物をコックピットから取り出し嗚呼琉の頭にかぶせた。
「これでお前の量子観測情報はこのGRITSに反映させられるはずだ。飛ばすんだ、このUFOを」
何か話の嘘っぽさの方が増してきたな、とヘルメットをかぶる。
数数のディスプレイはこのGRITSにとりついた大勢のMIBを映してしていた。
大体、この現実は自分の退行催眠の中の出来事なのだ。
五年前の世界だ。自分でこれを夢だと意識している。
という事は明晰夢のはずだ。
何故、こういう状況で死を覚悟しなければならないのだ。
嗚呼琉は自分のサイドシートに座った慈海を見た。
彼女の為ならこの世界へ来る値打ちがある。
彼女の為なら死ねる、か。
まさか、そんな大仰な言葉を実感する時が来るとは思わなかった。
死ぬ時は孤独だと思っていた。例え、周囲にの人間が自分をどんなに優しく扱ってくれていても、だ。
しかし、今はそんな事を考えている場合ではない。
GRITSには数多くの黒服の者達が群がり、銀色の冷凍光線を浴びせている。
非常灯の中でそれは赤みがかかった銀色の線として輝いている。
このままでは飛べない内にこのUFOは破壊されてしまう。
今、時は惜しい。
自分の命はいい。だが慈海を死なすわけにはいかない。
コックピット内の計器類の幾つかが赤く瞬き始めた。機体の危機を必死にパイロットに伝えようとしているのだ。
「どうしたんだ、嗚呼琉。何故、これを飛ばさないのか」ディスプレイの一つにトレロ・カモミロの姿が映った。彼は嗚呼琉を説得しようとしているのだ。どうやらトレロ・カモミロのシステムのクローンがこの機体にも存在しているらしい。今、データは外のメインと同期している様だ。
「嗚呼琉……、お願い、私達を守って。この二人が過ごせる『夢』の時間を」
慈海はまるで嗚呼琉に心を見透かした様に言った。
素直に見透かされたのを認める気分ではない。
「相対性理論によれば、皆、人人は違う時間を生きている。人人は生まれた時からそうだ。運動量によって個別の経過時間は違うんだ。完全に一致した時間を生きている人はない。君と僕の時間は違う」
嗚呼琉は皮肉を言った。
そうしないと自分が本当の自分か、それとも自分も夢の登場人物なのかが解らなくなりそうだから。
そして、なし崩し的に自分が中心人物にされている、という小さな憤りがあった。
慈海はサイドシートから身を乗り出した。
嗚呼琉の唇とキスをした。
二人の燃える様なオーラが溶け合う。
ファーストキス。
「今、あなたと私の時間は『同期』したわ。一致したのよ。そして量子的にも接触したの」
慈海は嗚呼琉の褪めた色の唇を舐めた。
嗚呼琉は慈海の今まで知らなかった一面を見た様で何故か戦慄を覚えた。
彼女は決して自分の理想通りの少女ではないのだ。
ふと、性的な夢魔の雰囲気が彼女の様相に重なった。
この夢の世界は自分の思う通りにならない。
それを慈海は教えた。
予定調和はない。
黒服の存在がより恐怖度を増した。
そして嗚呼琉に夢と向き合う必要性を教えてくれた。
嗚呼琉は覚悟が出来た。
コックピットの左右にあるサイドスティックを握る。
サイドスティックに複雑な機構はない。拳一つ分の長さ。ほぼ搭乗者の姿勢を安定させるだけの物らしい。握力感知式か。
「外へ出る方法は!?」
「今、天井の多重ハッチを一斉に開放する」
嗚呼琉の言葉にサブロウが答えた。
「第一から第六ハッチ、最終外殻ハッチを開放する」
トレロ・カモミロの声と同時に赤く染まった光が薄まった。
格納スペース天井のハッチが開いて、GRITSが通れそうな上方通路が開いたのだ。
地下七階分のスペースを貫通する垂直通路から外の明るい陽射しが入ってくる。ハッチは地下一階から六階までは水平にスライド、外部へのハッチは左右に割れて上方に跳ね上がる様に開放された。
青空の片鱗が見えた。
陽光が差し込む。
脇腹の凍傷が痛んだ。
この地下格納庫でGRITSを固定、接続していた機械類が全てセパレートされる。
脱出。
嗚呼琉は精神を集中させた。
紙に火を着ける。スプーンを曲げる。あの気持ちだ。
そう考えると、このGRITSは一本のスプーンの様だ。
実に嗚呼琉にとって「サイコキネシスで動かしやすい」物体だと実感が湧く。
まるで中心から隅隅まで非常に量子的に「飛びやすい」システム、形状だ。
これがオーパーツを集めて作ったというGRITSの最大の利点だろうか。。
紙を燃やす様にスプーンを曲げる様にこのGRITSを操作するのだ。
このGRITSを操縦する為のフィーリングが全て嗚呼琉には理解出来ていた。
飛ばす。
全分子に働きかけ、一斉に確率を操る。
一方向へと。
次の瞬間、GRITSは無段階の加速でいきなりサウンドバリアを破壊して、この地下格納庫から地上へと飛び出していた。加速度は感じなかった、普通なら乗っている者がぺしゃんこになっておかしくないGにGRITSも乗員も耐えた。
赤い格納庫から、陽光降り注ぐ底抜けに青い空へとビル七階分の高度を飛び出し、急停止したのだ。
外から見る者には銀色のUFOが瞬間移動した様に見えただろう。
無段階加速(シフトレス・アクセラレーション)。
発進の加速で地下格納庫にいたМIB達を吹き飛ばし、音速突破の衝撃波でとりついていた全ての黒服を粉砕した。
そしてジグザグ機動で再び、GRITSは高度を上げていく。
「これが地球各地のオーパーツを組み合わせてアドリブで作ったUFOか! 最適解だ!」
嗚呼琉は叫ばずにいられなかった。これは嗚呼琉の性質によく合っていた。サイコキネシスの体現だ。
地上のエヴァーランドがあっという間に遠くなる。
ビルだらけの地平線の湾曲が感じられる高度まで急上昇する。
嗚呼琉の気分もハイになる。
目指すはМIBを吐き出す、上空の黒い未確認飛行物体だった。
それは青い空と白い雲のどの色彩も拒絶した様な歪な黒い塊だった。
黒い穴(ピット)だった。
しかし、立体でもあった。
高度を並ばせ、五百メートルほど間を置いて、その周囲をぐるりと旋回する。
歪な穴は二次元的なシルエットのまま、見る角度によって形を変えた。
その下端からは墨の滴がこぼれるべく、黒服の男達が湧いて下に飛び降りていく。
「GRITSの武装は!?」
「フェムト・レーザーがある。等間隔に五つ」
嗚呼琉の質問に、トレロ・カモミロが即答。
右方ディスプレイにGRITSの俯瞰平面図が映し出される。正面から七十二度毎の五角形(ペンタゴン)の頂点に発射装置があった。
それぞれがフレキシブルに動いて射角を変えられる。
正面の標的は三機のレーザーで同時射撃が出来た。
「グリップにある射撃管制のボタンを押し続ければ、安全装置が外れ、ロックオンして発射OKの状態になる。後はコンピュータが随時判断して適時にレーザーが発射される。大概はボタンを押した瞬間に発射されるぜ」後部シートに座るサブロウが説明する。「肝心なのはロックオンしてからでなく、その前から発射ボタンを押す事だ。一度に百までロックオンが可能だぜ、イェイ」
嗚呼琉はグリップのボタンを押そうとした。
「レーダーのエコーが全く返ってこない」トレロ・カモミロのCGは戸惑いの表情をする。「黒体輻射すらない。あれは全ての電磁波を吸収する様だ。穴だ」
その時、黒い穴からこぼれてくるMIB達の性質が変わった。
黒い服はそのままで体格が紙の様に平たくなる。そして腕と足の間が膜の如く広がる。
MIBがまるで風に乗ったムササビの様に空を飛んで襲いかかってきた。
今まで落ちていた滴が黒いコウモリの羽と羽ばたきで何百何千という怪物が黒い雲となって舞い上がる。
それらはGRITSの周りで渦を巻き、銀色の冷凍光線で襲いかかった。
嗚呼琉はレーザーの発射ボタンを押した。
GRITSの全レーザーが周囲のMIBに向けて放射された。
大気と反応した銀色のレーザー粒がMIBの群にばらまかれる。
五つのレーザー発射砲が首を振りながら無数のMIBを射角の中に捉え、弾着した黒い影は金色の火をあげて墜落していった。
地上のエヴァーランドからもMIBが翼体となって舞い上がる。
今やGRITSは無数のMIBが渦を巻く、巨大な黒い竜巻の中にいた。
「解ったぞ!」ディスプレイを埋める黒群から銀色の細糸をこちらに向けて幾百も放たれるのを見ながら、サブロウが叫ぶ。「奴らは冷凍光線を放ってるんじゃない! あの光線はこちらのエネルギーを吸収しているんだ! こちらが熱量を奪われてるんだ!」
コックピットのディスプレイの内、エネルギー残量と機内温度と思われるグラフがどんどん下がっていた。
「この船を構成する量子場のエネルギー・ポテンシャルが低下している」トレロ・カモミロのCGが呟いた。「このままではGRITSは量子的運動が出来なくなる」
銀色の光線は幾十もGRITSに命中している。
嗚呼琉は銀の光線を撃っている敵を優先的にレーザーで撃ち落とした。
しかし、それもUFOを囲む敵の攻撃は衰えない。
「一気に敵を吹き飛ばせるミサイルとかはないのか!?}
「ない」
嗚呼琉の質問にトレロ・カモミロは冷静に答えた。
コックピット内の空気が冷えてきた。
慈海の息が白くなる。
この寒さは脆弱な嗚呼琉の身体にはこたえた。グリップを握る手がかじかみ、身の内から冷えて震えてきた。脇腹の凍傷が痛む。
螺旋の黒い渦巻きの中でGRITSは翻弄されている様だった。
この黒い壁を突破する事は至難だ。
ならば、上昇して敵の数が尽きた上端で一気に離脱するか。
考えると同時にUFOは急上昇した。無段階加速が出来ないくらい弱体化していたが、それでも超音速は出せる。その衝撃波でも黒い渦の一部は吹き飛ばせるはずだ。
頭上で黒い竜巻の縁が切れ、青い空が覗いている。
突破。
超音速の衝撃波が黒い竜巻の流れを弾きとばす。
爽快感さえ感じる青い空へGRITSは脱出した。
その青空の一点にある黒い穴。
それはまるで青空に固定された真黒の前衛彫刻物の様だった。
これもまたUFOだ。
「鵺姫だ」
サブロウが呟く。
GRITSに乗った嗚呼琉は意識をその黒いはそのUFOに集中した。
グリップのボタンを押す。
しかし、その穴はロックオンされなかった。レーダー波が返ってこないからだ。
完全なステルスか。
「手動で発射しろ!」サブロウが叫んだ。「攻撃システムをレーダーによる自動照準から、視線による映像捕捉の固定照準に切り替えるんだ! 百メートルまで接近して睨め! そして発射しろ!」
嗚呼琉はその言葉を理解したと同時に黒い穴まで八十メートルという位置までGRITSを飛行させた。
無数の黒いMIB達が上昇気流に乗って湧き上がってくる。
GRITSは黒い穴に腹を見せる角度にまで傾く。全てのレーザーを同時に発射する為だ。
「全ビーム一斉発射は出来るんだな」
全内内蔵レーザーの射角が腹側に折れ、五つの全てが狙撃出来る射線に黒い穴を捉えた。
既に固定照準モードにサイドスティックのスイッチを切り替えてある。ボタンを押して発射許可を与える。
GRITSからの五つのレーザーが黒い穴にのびる。
フェムト秒の断続射撃は、銀色の真直ぐな線の様に宙に曳かれた。それは穴の一点に集中する。
しかし、レーダー波を吸収するそれは全ての電磁波に対してそうであるかの様に何の反応も見せなかった。
黒い穴を中心に螺旋を描く軌道でGRITSは飛行しながら巡った。
MIBからの銀の光線をくぐりながら、一射百連続のフェムトレーザーで次次と撃ち落とす。
薄っぺらく黒いMIBはトランプの兵隊の様に燃えて、燃え尽きた。
周囲のMIBを撃ち落としながら時折、隙を突くかの様に穴へのレーザー射撃を繰り返す。
しかし、その穴に対するレーザーの効果は見られない。
嗚呼琉は焦った。
こうしている間にもMIBのエネルギー吸収の光線が命中し、エネルギーゲージと機内室温はどんどん下がっている。皆、白い息をしていた。無事なのは画面のトレロ・カモミロくらいだ。
慈海を前に逃げるという選択肢を選ぶべきか。嗚呼琉は迷った。
しかし考えてみれば自分が脅威だからこそ、このMIBは襲ってきたのだ。
何処かに勝機がある。嗚呼琉は信じた。
一か八か、GRITSを穴に近づけようとする。
するとその穴から何かが出てこようとしているのに気づいた。
黒い輪郭がざわついている。
次元の歪みを連想した。
嗚呼琉のか細い喉は吠えた。それは恐怖だった。
その輪郭のほつれはまるで黒い毛糸玉の糸が高速でほどける様に襲いかかってきた。
恐怖を覚える。それはまず黒いコウモリの羽だった。針金の様な細さの黒い倭人。新たな数百もの影が羽ばたきながら近づいてくる。
悪魔だ。
まるでグレイの様に思える黒い影が墨色の翼を羽ばたかせながら、わっと来た。その勢いは恐慌する蝗の群の如く。
GRITSに対して、皮翼のMIBと双翼のグレイが青空を曇らせる大群となって襲いかかる。
全てが黒色と冷気と化して躍りかかってくる。
ブラック・グレイの爪はGRITSの金属壁を引き裂けるだろう銀色の光沢があるのが解る。
GRITSはブラック・グレイとMIBに群がられて、深黒の塊となった。
操縦席はもはや冷凍室(フリーザー)だ。
息が完全に白く、ディスプレイ画面に霜が張りつく。痛む寒さと共に、眠気が訪れてきた、脇腹の痛さももうない。サブロウも慈海もまなことまぶたが白く接着していた。
「嗚呼琉……嗚呼琉……嗚呼琉……!」
コックピット内をトレロ・カモミロの声だけが響く。
しかし、それはもはや嗚呼琉にとって意味のある音ではなかった。
GRITSの高度がガクンと落ちる。
自由落下速度。
青空の中の黒。
きりもみの漏斗管の様な形で、下先端にすぼまった先に悪鬼に群がられたGRITSがある。
地上に激突する寸前だ。
さすがに未来的なこのUFOも地面に衝突した瞬間、水晶の様に割れるだろう。
その一瞬前の事だった。
青空の更に上から、宇宙色の成層圏外から一筋の光線が光景に割り込んできた。
GRITSに群がっていた今や微粒子に見える黒き塵の群が黄金に一斉に発火する。それは触れて熱を上げて燃え出す金粉の様だった。まるで粉塵爆発の如く、一気に爆発体積を拡大する。
嗚呼琉はGRITSを地上すれすれに停止させながら見た。
一枚のコインの様な光の塊が急降下してくる。
凄まじい金切り音が空間を切り裂きながら接近する。
その先端には空気が高圧で圧縮、高温化した部分があり、眼を灼くプラズマがこちらへ向かってくる。それが曳いている噴射炎は虹色のオーロラだった。はためくのではなく乱された波の如く蠢いている。
UFOだ。
空飛ぶ円盤だ。最も俗的なイメージに近い。
その新たなUFOから発射される六つの紫金色の光線が、MIBや悪鬼の群を爆発させるが如く焼き払う。
GRITSへエネルギードレイナーを放ち続ける恐怖の集団は一気に数を減らした。
その光のUFOが味方かどうか、嗚呼琉には解らない。
だが敵でないと解る。それがこちらを攻撃しないで敵を攻撃し続ける内はそう考えた方がよさそうだ。
エアコンディショナーが働いて、コックピット内に暖気がこもってきた。
サブロウも慈海も眼を開ける。二人は無事だ。
「トレロ・カモミロ!」白い手でサイドスティックを握りしめる嗚呼琉。「このGRITSは一番、自分が自由に動かせる道具なんだな!? 俺の超能力に対する『スプーン』なんだな!?}
「ああ、そうだ」CG画面の中の人工知能が即答した。このコックピット内で凍結に苦しんでいなかった唯一の人物。「超能力の最高の触媒として振る舞う」
「なら、これも可能なんだな」
嗚呼琉はコックピット内を覆いつくす様なディスプレイ群を同時に『見た』。
外部映像ディスプレイにはGRITS周囲の空中戦の様子がほぼ全周囲、リアルタイムに表示されている。
パイロキネシス。
嗚呼琉は念じた。自分の発火能力。物品の全分子の流れを一斉に激しく動かす不可視の力を。
大爆発がGRITS周囲で発生した。
見渡せる限り、視界に入る限りのMIBと悪鬼がパイロキネシスによって全て火を上げる光景。
燃える人型。煙はない。
超能力は電子画面を仲介して発動した。
空は炎によって普通の真昼以上に軽くなったが、空の穴は照らされてなお歪に黒いままだ。
その時、先程、飛んできたUFOがGRITSと穴の間に急停止した。
「無線でハッキングされている」トレロ・カモミロは事態にあまり動じていない様だ。「あのUFOがGRITSのコンピュータの言語ファイルに強制アクセスしている。実行された会話データが集められている。凄まじい処理速度だ。対抗出来ない」
「会話データ?」
「私達の語彙を集めて翻訳しようと試みているのかもしれない」
見た処、そのUFOはGRITSの倍は大きい。
測距し、大きさを比較出来る距離にそのUFOはいた。噴射する虹色のオーロラは今はない。空中静止だ。
「……あのUFOは何者だ。あの虹色のオーロラは推進機関なのか?」
「荷電粒子噴流だ」
突然、トレロ・カモミロの声だけを発していたスピーカーから聴きなれない電子音声が響いた。
日本語だ。歯噛みの様な音が混じった。
「私の機体名は『ウーキー・ニーキー』だ。お前達にとって遥かなる過去であり、未来である星系からやってきた者だ」
このコンタクトには嗚呼琉も慈海も、トレロ・カモミロの映像さえも驚いた。
その時、嗚呼琉の視界から逃れて生き残った怪物達がエネルギードレインビームを放った。
銀色の光線は全て、新たなる脅威、ウーキー・ニーキーと名乗るUFOに命中した。
「時間凍結装甲」電子音声が淡淡と告げる。「その攻撃は私の機体には効かない」
輝くウーキー・ニーキーはエネルギーを吸収するビームを百方から浴びて、光を鈍らせない。
「とりあえず、お前達を収納して脱出する。説明は後にしよう」
途端、GRITSがガクンと揺れた。
上昇する。
いつの間にか、ウーキー・ニーキーから長くのびた光の触手の先端が、GRITSに接触していた。
GRITSは強制的に上昇させられる。
牽引ビームか。
それまでウーキー・ニーキーに対してやや傾ぐ姿でいた機体が、それに平行になる。ウーキー・ニーキーの全体から放射されていた光が飴の様に曲折して、触手の如くGRITSに絡みつく。
「慈海」トレロ・カモミロの音声がバックシートの彼女に呼びかける。「真キルリアン場が見えるか」
「いいえ」慈海は即答した。「画面は画面よ」
ここで嗚呼琉は、自分と慈海の超能力の性質の違いを再確認した。
自分は画面に映っている物を『操作』する事で対象に影響を及ぼせる。
しかし彼女は画面に映っている像はあくまでも像でしかないのだ。本体を見透かす様な事は出来ない。電子機器の介在は通用しない。
「でも、これは」慈海は触手の如くうねる光を画面に見ながら「生きてるわ。多分」
このUFOが生き物だというのか。
慈海の直観は超能力に頼ったものではないのか。
超能力とは一体、と嗚呼琉は一瞬だけ現状に似合わない洞察にふけった。
その時、ウーキー・ニーキーの側面がまるで扁平な深海魚が大きな口を開く様にがぱっと開いた。口の中身も外と同じ光にあふれている。それは丸ごとGRITSを収納出来る内空間だった。
触手状に絡みついた光がGRITSをその中にしまいこもうとする。
果たしてウーキー・ニーキーと名乗るこの『生物』に現状を任せたままでいいのか。
捕食。消化。
嗚呼琉の頭に嫌な単語がよぎった。
「このままで大丈夫なのか」トレロ・カモミロに疑問を投げても正しい判断が来ると思わないが質問せずにいられなかった。
「大丈夫だ」答が返ってきたのはウーキー・ニーキーの電子音声だった。「任せろ」
GRITSはウーキー・ニーキーの体内に取り込まれ、口は後方で閉じた。
MIBや羽の生えた悪鬼はウーキー・ニーキーの外だ。今も空で攻撃を繰り返しているのだろうか。それは解らないが、今までの様子からすればしているだろうと確信出来る。。
ウーキー・ニーキーの体内。周囲は金紫の光の海だ。眩しくて眼も開けられないほどにコックピット内からの視界は光に満ち溢れている。音は静かなものだった。
「明度を下げるぞ」
トレロ・カモミロの声がして、外部を映すディスプレイはサングラスをかけた様に薄暗くなった。
すると今度はコックピットの計器類の発光がとても眩しく感じられた。眼がくらむ。
メーターは緑色に輝いていたが、それが一様に眩しく光を放ち始め、色がにじんで白く眩い光に変わった。
(嗚呼琉よ……)
視界を埋める白い光の中でいっそう白い光が嗚呼琉の名を呼ばわった。
(ウーキー・ニーキーとは出会えたな。事は順調な様だ。後は四重螺旋の秘密を知るだけだ)
以前にも眩い光の中で聞こえた、あの声だ。
あの時は正体を掴もうと迫って、虚構の発光源しか掴む事しか出来なかったが。
「お前は一体、何者だ」決して自分の内部から聞こえたりしているものでないものを嗚呼琉は掴み取ろうと手をのばす。あふれる光だけで距離感すら確かでないそれへ。発音が出来ない名前のそれへ。「それに四重螺旋とは……それは何だ。自分は何だ。お前は何物だ」
今、自分は夢から醒めつつあると直感する。
「敵のZOCより離れる」
合成音声が二人の声なき会話に割って入ってくる。
く、と微小なGがかかった。恐らくそれは通常ならばその程度ではすまないほどの急加速なのだろうと、このUFOの性能を予測する。
黒い穴から猛加速で逃走しているのだ。このウーキー・ニーキーは。
その最中に白く眩い光へと手をのばす。
(逃げ水を追う者は愚かかな)
あざけりの笑みを含んだ様な声が聞こえた気がする。
(お前はウーキー・ニーキーと共に鵺姫に遭った。後は戦うしかない。世界を救うだけだ。五年前の世界を)
「五年前の世界? この世界とは現実の世界か。それとも夢か」
(いよいよというという時、ハルマゲドンを願え。されば、それに応えよう)
眼を眩ませるほどの眩い白い光。
手に触れる冷たい物。
指に触ったそれはコックピットを彩る計器類の一つでしかなかった。
追い求めた悟りの光は、手にとって見ればただの陳腐な物質でしかなかった。
「……慈海……」
嗚呼琉はこれを機に醒めつつある夢に、自分が恋する少女の名を呼んだ。
サイドシートにいるはずの彼女を。
振り向く。
その瞬間、嗚呼琉は完全に夢から醒めた。
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