あーーいいですね、星空の下、本来の発音で名前を呼び合うふたり。
なんちゅーキュンキュン設定! 甘いだけじゃない、ちょっと苦いものもふくむ。
名前ってその人の根幹をなすもの。その根幹を囁きながら、キスする。
きっと心の底まで満たされたでしょうね。
作者からの返信
こころさん! 読んでくださってありがとうございます。キュンキュンの女王のこころさんがキュンを感じてくださってうれしいです〜。
編集済
面白いし、とっても素敵な物語。
まりこさんにしか書けないストーリーだよね。
ふたりが名前を呼ぶシーンとか、「しずか」が、英語的になったりとか。
ところで、英語を話しているときと、日本語を話しているときって、性格が変わらない?
私は英語を話していると、いつもより積極的になり、表情が豊かになり動作がオーバーになっているし、褒め言葉も簡単にでてくる。
日本語の時は、一歩引くというか、話し方もゆっくりに、すこし、性格が変更されてるなと思うときがあります。
作者からの返信
アメさん、目が痛いのに読みに来てくださってありがとうございます。本当にうれしいです♡ でも、無理しないでくださいね。
英語を話しているときと、日本語を話しているとき、性格も表情も動作も変わります〜! 思考回路そのものがちょっと違うと感じます。言語を変えて説明すると、新しい発見があるときもあります。例えば、母にアドバイスをもらって、それを英語で夫に説明したら「あ、こういう気持ちで言ったのかも」と改めて気づいたりとか。
つくづく、言語というものはいろんなものとつながっているんだなと感じます。おもしろいですよね。
濃厚な空気感ですね。マリファナのアクセントが効いてます。実際はどんな匂いか知りませんけど。
名前を呼ばれ続けるの確かにくすぐったくて恥ずかしいですよね。
最近呼ばれてないなぁ。
作者からの返信
レストランでアルバイトをしてたとき、同僚の子がオレガノの瓶を床に落としてしまい、むぁーっと匂いがキッチンに充満したことがあります。そのときその場にいたみんなが「あ! むっちゃワルい匂いがする。」と思いました。床にぶちまけたオレガノ(乾燥したもの)とマリファナの匂いは似ている説です。笑
万之葉 文郁の「最近呼ばれてないなぁ。」にむしろ仲良し夫婦なのがしのばれますね〜。いやん。
「名前呼んでみて♡」とお願いしたら、呼んでくれそうですね。
コメントありがとうございます。
かしこまりこ様
この雰囲気好きです♡ もう語彙力崩壊してしまっていますが、好き!
たくさんキュンキュンさせていただきました。
確かに、日本で馴染めなかったから外国で馴染めるわけでも無く、国籍のバラエティがあるところで暮らしているから自由だったり、個性を活かせたりするわけでは無いですよね。
どこに居ようとも、自分を探し続ける旅はしんどいですね。
ただ、周りの人と似ている人は、その分考えないといけないことが少なくて済むけれど、似ていない物を沢山持っている人は、常に考え無いといけなくってしんどさが増えますね。
でも、こんな風に、良いとか悪いとかでは無くて、ありのままの存在自体を笑い合える瞬間があったら、ちょっと気が楽になりますね。
発音、難しいですよね。普段使ってない舌や口の動きって、退化してしまっているのですかね(^^;
素敵な物語をありがとうございます。続きも楽しみです。
作者からの返信
こんなにうれしいコメントありがとうございます! お星さまもありがとうございます😭
「周りの人と似ている人は、その分考えないといけないことが少なくて済むけれど、似ていない物を沢山持っている人は、常に考え無いといけなくってしんどさが増えますね。」
これ、真理だなと思いました〜。
編集済
キュンキュンです……キュンキュンです!
やっぱり愛と孤独は互いを引き立てますね!(何言ってんだこいつは)
名前を強制的に変えられる人かぁ。日本でもありますよね……。
理由は違うかもしれないけど、今思い返せば、中国の留学生も中国語の先生も、積極的に日本語読みに合わせてたなあ。私の名前も「中国読みでいいよ」って言っても、普通に日本語読みだったし。
韓国は漢字にほぼ馴染みがない人が多いせいかそのまんまだったし、ベトナムの子もそうだった。
色んな文化が混じりあってるからと言って、馴染めるわけじゃないですよね。寧ろ居場所を取得するために孤立無援でも戦わないといけないよなって。戦ったことない私が言うのもアレですけど。
作者からの返信
キュンキュンなんて言ってくださってうれしいです。私は書いてて小っ恥ずかしかったですが。笑
自分の居場所を見つけるのは、どこにいても難しくて大切だと思います。
いつも思慮深いコメントありがとうございます。
お星さまもありがとうございました。本当に励みになります。
イタリア語の名前を英語名にかえるというのは、歴史的に実際にあったことなのですか?
確かに違う言語だと発音しにくい名前や意味がちょっと、という名前はあると思いますが。
うちの子供たちは生まれも育ちもアメリカですが、家の中が日本語・日本文化だったので留学生や移民者とは違いますが、文化の違いや壁を肌身に感じて育ったようです。日本大好きな我が家の子供たち。都会の大学生になった太郎は、日本人のクラブに入って多くの人たちと知り合いとても楽しんでいるようです。今年大学受験の次郎も、大学を選ぶときの基準の一つが「日本人と友達になりたい」でした……。同じように日本人の親を持ちこちらで育った子とは、何か通じるものがあり心安く過ごせるようです。
ピエトロとしずか。お互いの名前をそれぞれの発音で呼ぶ。本質に触れるような、深い思いやりの感じられるやりとりですね。こりゃ一発でノックアウトですわ。
……こんなに書き込むつもりじゃなかったんですよ。コメント多すぎてごめんなさい。
まりこさんの文は、エッセイも物語の方も、すごく読ませるんですよねぇ。
作者からの返信
かわのほとりさま、起きたらたくさんコメントとハートがついてて、朝からテンション爆上がりです〜! ありがとうございます。
イタリア語の名前を英語名に変えるというのは、歴史的に実際にあったことだそうです。第二次世界大戦直後、イタリア移民が急激に増えたのですが、その頃のイタリア人は「白人」とは認識されておらず(実際に、南イタリアの移民が大多数だったので、褐色の人が多かったのではないかと思います)、人種差別もありましたし、オーストラリア人として振る舞うことが厳しく求められていたと聞きます。ただ、実際には「名前が呼びにくいから」なんて無邪気な理由で改名させられた子もいたんじゃないかなと。「ピーター」として生まれたんだけど、大人になって「ピエトロ」に改名した、イタリア移民二世の方は、実際にいた人物です。ピエトロのモデルにしましたが、リアル・ピエトロはすでに還暦迎えております。
かわのほとりさんは、上のお子さまがもう大学生や大学受験生のお年なのですね。
お子さまが日本大好きってステキです!
ウチの子らはまだ小さいので、無邪気に「日本大好き」と言っておりますが、日本語には苦労しています。あんまり押し付けると日本語嫌いになりそうなので、ご褒美で吊ったりしながら、ボチボチやっている感じです。
高校・大学に、自らの意思で日本留学を考えたり、日本語を真剣に勉強し始めたりしてくれたらうれしいんですけどね〜。