とある真夏の白昼夢

夢空

第1話

 それは突然だった。肌を焼くような真夏の日差しが夜中のように真っ暗になると、海の底が抜けたかのように凄まじい大雨が降ってきたのだ。


「う……ひゃあああああぁぁぁぁ!」


 その中を一人の少女が走り抜ける。少女は明かりを目の端に捉えると、そこへ目指して転がるように駆け込んだ。何とか少女は突然の豪雨から屋根のある場所まで逃げる事ができた。


「なーにが、『本日は雲一つない快晴になるでしょう』よ。ああもう、ちょっと雨に降られただけなのにもうぐしょぐしょ……」


 少女は大げさにため息をついて履いていたスカートの端を軽く絞る。ぴしゃぴしゃと軽く水滴が滴り落ちた。


「っとそうだ、麻美に連絡連絡っと……あれ、何これ?」


 少女はポーチからスマホを取り出すと、待ち合わせていた友人の麻美に連絡を取ろうとした。しかしスマホの電波は圏外を示していた。こんな町中のはずなのに。

 不思議に思いながらも少女は仕方なくスマホをしまい直すと、雨が降っている通りを眺める。こんなに真っ暗なのにどこにも明かりが灯っていない。人はおろか車さえ通らない。熱せられたアスファルトが急激に冷やされた真夏の雨の独特のほこりっぽい匂いが少女の鼻腔びこうをくすぐる。

 その時、ふいに少女は視線のようなものを感じて振り返った。しかしそこには誰もいなく、黒猫が台座の上に座っているだけだった。否、よく見ればそれは生きている猫ではなく木彫りのようだ。二つの吸い込まれそうな蒼い瞳で少女を見ていた。

 少女が逃げ込んだ先は何かの店のようだ。OPENという看板がドアにかかっている。少女は猫の置物に近づき、


「ごめん、ちょっと雨宿りさせてもらうね」


 猫の頭を撫でると、ドアを開けて中に入った。カランカランとベルが小気味よい音を立てる。


「すみませーん」


 中に入った少女はいるであろう店員に対して声をかける。しかし返事はなかった。


「あれ、誰もいないのかな? まあいいか。ちょっと時間を潰させてもらうだけだし」


 少女はそう独りごちると、店の中をゆっくりと見て回る事にした。そこはどうやら古い雑貨屋のようだった。ボタンを押すと手からもう片方の手にボールが投げられてキャッチするピエロの人形、星の王子様をモチーフにしたスノードームならぬスタードーム、複雑な模様を回すたびに落とす影が色々な動物に変わっていく置物など、どれも趣味が良く少女を飽きさせない。少女は時間を忘れて没頭した。

 せっかくだしとお気に入りのものを何点か選んでレジに持っていこうと思ったが、店員が店を留守にしているのを思い出した。もしかしたら店の奥で寝ているのかもしれない。少女はレジのカウンターから乗り出してその奥にある空間に向かって今度はありったけの大きな声で呼んだ。


「すみませーーーーーーーーん!」


 奥にいれば確実に少女の声は届いたはずだ。しかし、やはり誰も出てくる様子はなかった。どうやら本当にこの店には少女一人しかいないようだ。


「……あれ?」


 少女は目の端に何かが通った気がしてそちらの方を向いた。少女は影の見えた方に行ってみる。

 そこは店の角に開いた小さなスペースだった。真っ暗で光が当たらないその奥から、二つの蒼い光が見える。少女はゆっくりと手を伸ばして掴むと、光の主を引っ張り出した。


「わあ、かわいい。隠れてるなんて恥ずかしがり屋さんだね」

「んなぁ」


 短く鳴いたそれは黒猫だった。シルクを思わせるつややかな毛並み、ぴんっと立った耳に凛々しさが見える顔つき。可愛らしさというよりも風格を感じるたたずまいを感じる。実際、引きずり出されたそれは少女の腕の中で身じろぎ一つせずに静かに収まっている。


「ねえ、一緒にお留守番してよっか」


 そう言って、少女は猫を抱きかかえたまま店の窓際にある飴色をした木製のベンチに座った。少女は猫を撫でながら窓の外を眺める。


「雨、止まないね」


 雨は轟々ごうごうと降る。まるでこのまま世界が雨の水で水没してしまうかのような勢いだ。昼間なのに真っ暗な世界。まるで自分と猫だけが世界に取り残されてしまったような錯覚を抱いた。だがそれは、妙に心が安らぐ感覚だった。

 その時、少女の目に光が映った。ぽうっとホタルのように光ったそれは一つまた一つと増えていく。そしてそれはふわりふわりと道の往来をただよい始める。

 少女はその光に魅入られていた。なんだろうというそんな当たり前の考えさえ欠片も思わず、光から一切目を離せずに少女は誘われるようにベンチから立つと、ふらふらと歩き店の外に出ようと出口のドアノブに手をかけた。その時だった。


「んなぁ」


 猫の一声に少女ははっと我に返り声の方を向く。そこには猫がじっと強い眼差しで少女を見つめていた。まるで行くな、と警告をしているように。

 猫の蒼い双眸そうぼう。少女はそれに吸い込まれるような気持ちで見ていた。途端に世界がぐにゃりと曲がる。頭の芯が痺れるような感覚。足元はおぼつかなくなり、少女は不思議な浮遊感に襲われる。そして心地よい微睡まどろみの中に落ちていった……。



「……し……しもし……」


 声が聞こえる。耳から染み入るような爽やかな声。ぼんやりとしていた意識がゆっくりと現実に引き戻されていく。そしてついに少女ははっとなり、がばっと身を起こした。そして慌てて周りを見回すと、少女の前に一人の男性が立っていた。

 燕尾服えんびふくを着た線の細い体つき。縁無し眼鏡をしたその顔は整っていてまるで女性のようだった。長く伸ばした髪を縛って背中に流している。


「あれ、私何してたんだっけ? そうだ、突然大雨が降ってきてここに飛び込ませてもらってそれから……あれ、あれ?」


 思い出そうとしても途中から記憶が不鮮明になる。少女は額に手を当てて何とか思い出そうとするが、どうしても思い出せない。

 その時、男性が少女に声をかける。


「ああ、良かった。その様子だと大丈夫そうですね。帰ってきたら知らない子が寝ていたのでびっくりしました」


 安堵あんどする男性とは裏腹に、少女は慌てて頭を下げた。


「すみません! 勝手に雨宿りさせてもらってました!」

「ああ、気にしなくて良いんですよ。かくいう私もちょっと買い物に出かけたらあの大雨で戻れなくなってしまったクチでして」


 そう言って男性はくすくす品良く笑う。男性の気さくな態度に少女の緊張が幾分かほぐれた。


「あの、店長さんですよね?」

「いやいや、私はただのしがない雇われですよ。それより大丈夫ですか? 何か震えてるような音がしてますが?」

「え?」


 そう言われて、少女はポーチから振動の原因のスマホを取り出した。そこには麻美から何度も連絡の通知が来ている事を示していた。


「やっば! ごめんなさい、私もう行かなくちゃ! 雨宿りさせてもらってありがとうございました! それでは!」

「あ、ちょっと待ってください。これを……」


 そう言って、男性は少女に小さなものを握らせた。それはまるで真夏の青空のような蒼い玉だった。


「え? あのこれ……」

「うちの店長からのプレゼントです。どうぞ持っていってください。その代わり、今後ともうちをご贔屓ひいきに」


 返そうかとも考えたが、押し問答をしている時間はない。少女はそれをポーチにしまうと、勢いよく頭を下げて駆け出した。


「ありがとうございます! それでは!」

「はい。どうぞお気をつけて」


 雨は止み、突き抜けるような真夏の青空が広がっている。そこから刺すような陽射を浴びて少女は道を元気に駆けていく。その様子を、片目をつむった猫の置物が見守っていた。

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