決刀!!もろとも左右衛門

フジシュウジ

第1話(完結)


     1


 これは、ボーイ・ミーツ・ガールから三〇分で終わる物語。


 ぼくはだいたいいつもと同じ感じで逃げまどっていた。少し違うとすれば、いつもよりしぶとく逃げたせいで、見も知らぬ路地裏に迷い込んでしまったことくらいだ。

 追いかけてくるのは同じ学校の男子三人組。目的はぼくからお小遣いを巻き上げることで、それも同じ。違うのはぼくの所持金がいつもの一〇倍もあって、それが母親から頼まれた学習塾の振込用のお金だということだ。

 そんなものを取られたらシャレにならない。たとえ向こうが遊び感覚だったとしても。

「あッ!」

 なにかにけつまずいてぼくは転んだ。派手な倒れ方ではなかったけれど、叩きつけられた膝がそこそこに痛い。

 倒れたまま振り返ると、散らかった路地の片隅に無造作に段ボールが積み上げられていて、そこからスニーカーと黒タイツをはいた脚が伸びていた。

 ――死体?

 そう直感した直後に、ぼくを追いかけてきた三人が目の前に現れた。

「なんだ、もう終わりかよ。だっせー」

 そう言いながら彼らも息を切らしている。ぼくがもう一度目を凝らすと、不思議とあの脚は消えていた。

「めんどくせーから金取ってかえろーぜー」

「早く出せよー」

「はーやくはやくっ、はーやくはやくっ」

 ふざけ半分とはいえ暴力を振るう連中なので怖くもあるけど、それ以上に腹が立つ。どうしてこんなに不条理に追いつめられないといけないのか。よくよく考えると、それは相手に対してというより、なにもできない自分に対しての憤りだった。

でも、ぼくには彼らを追い返す力なんかないから、結局はスッカラカンになるまでの時間を先延ばしにしているだけなのだ。本当に情けないけど、ぼくには泣いて帰る未来しか見えなかった。

『男(お)の子ともあろうものが集団で追い剥ぎとは……。立派な街らしからぬ、姑息な所業じゃ』

 そんな声が急に聞こえた。

 ぼくの正面に立っている、大柄なヤツの背後に、ひっそりと小さな影が佇んでいた。ぼくは思わず視線を落とした。その勘は的中。小さな影が足にはいているのはさっき見たスニーカーだった。

 死体じゃなかった。

『ひとつ成敗されたくなければ、早々に去ぬがよいぞ』

 小さな影がそう言った。それにしても声が変だった。妙に甲高くて裏声っぽいし、口ごもったような響きがする。まるで子供向けアニメのキャラクターみたいだ。

「はぁ?」

 正面のヤツが振り向くと、小さな影はスッと動いてとなりのヤツの陰に隠れてしまった。

「なんだこいつ、バカじゃねーの?」

 哀れなくらい貧しい語彙で不良少年たちが突っかかる。大柄なヤツが仲間の肩越しに相手を小突いた瞬間、影がびゅうっと動いてぼくの前髪が揺れた。

 冗談抜きで、残像しか見えなかった。

 大柄な少年が、次に右にいた少年が、最後に残ったひとりが、布きれのように宙を舞って左右の壁に叩きつけられた。

 ぼくは見てしまった。

 少年を投げていたのは小さな人形だ。

 三〇センチくらいの、腕にはめるパペット人形。そのパペット人形の小さな手が、栄養満点な少年たちを次々に掴んでは投げていたのだ。

 それはデフォルメされたお侍さんの人形だった。ボールみたいな頭に隈取りがあって、伝統的なものではなくコミカライズされた愛嬌がある。もちろん人形がひとりでに動くはずもない。その人形を操作していたのは小柄な人物だった。

 少年?――いや、少女。それも髪を紫色に染めたギャル。ギャルといっても化粧はしていなくて年齢もわかりづらいけど、高校一年のぼくより上には思えない。

さらにはスカジャンとホットパンツ姿で手にパペット人形という出で立ち。さっきぼくがつまずいたのは、太ももからむき出しになった、カモシカのように引き締まった脚だった。

『聞こえるか、小わっぱめが』

 人形の手がいちばん大柄なヤツの襟首を掴み、引きずりあげる。普通に手でやっても片手では無理だろうに、パペット越しにひょいとやってのけているのはどう考えても異常だった。

『十数えるうちに立ち去らねば耳のひとつもちょん切るぞ』

 人形が喋るたびに布でできた口がぱくぱくと動いていた。その間少女は無言だった。いや、不自然なくらいに彼女の口は横一文字だった。

 ――ふ、腹話術……だ。

「ひいぃ、ばかやろー、しねー!」

 哀れなくらい粗末な語彙で負け惜しみを叫びながら、不良たちが逃げ去っていく。

 しかしぼくは助かった気がしない。

 ぼくの前には、不良たちを瞬く間にやっつけた謎の少女がまだ立っているのだ。

「殿、大事の前にお戯れなど……」

 今度喋ったのは少女の方だ。ちゃんと本人の口が動いているし、声のトーンも普通だった。

『しかしあの少年が追いつめられたのも〝我ら〟につまずいてのことじゃ。縁まるで無しとは言い切れぬ』

 人形がぱくぱくする。すると少女の方は黙る。よく見ると人形の言葉に合わせて少女のノドが巧みに動いていた。なかなかうまい腹話術だ。

 劇団員とか、ストリートパフォーマーの人が野宿でもしていたのだろうか。

 ぼくにはそのとき、そんな稚拙な想像しかできなかった。それから間もなくぼくが知ることになる、特異な事実に反して――。

「それでは、そろそろまいりましょう。刻限が迫っております」

 少女が路地の向こう側にきびすを返した。

 ぼくはギクリとした。彼女の背には短めの日本刀(?)が袈裟懸けになっていた。

『待つがよい、不知火(しらぬい)。この者、立会人としてどうじゃ』

 再び少女が振り返り、ぼくの方を向いた。そして観客の前でそうするように、パペット人形を掲げながら腹話術のキャッチボールをはじめた。

「正気でございますか!?」

『よく見ればこの方、澄んだ目をしている。それに今思えば、危機を前に悟りきったような居住まいであった。若くして心平らかでよいではないか』

 話の内容は読めないけど、たぶん諦めきったぼくの顔が気に入ったのだろう。……イヤミかな。

『その方、名はなんと申す?』

「え、あの……立花です」

「タチバナ、か。私は不知火。このお方は我が殿、もろとも左右衛門様だ」

 ――も、もろとも?

 なんか教育番組のゆかいなアシスタントキャラそのままな名前だった。

『不知火はわしの小姓をしておるのだ。田舎者ゆえ不躾ではあるが容赦されよ』

「はぁ……」

 いつまでこの劇団の練習に付き合わされるのだろう、と思ったけど、助けてくれた手前なかなか「やめて」とは言えない。

「殿がそこまで言うのであれば……。タチバナよ、改めて〝決刀立ち会い〟の役を任せる。粗相のないようにな」

「えっ、ぼくなんか頼まれてます?」

『ふうむ、今日は朝から幸先がよい。阿弥陀如来の加護かもしれぬ。〝死合〟にも胸が躍るというものじゃ。わーっはっはっはー』

 ――決闘? 試合?

 さっぱり話の読めないぼくを差し置いて、布でできたお侍人形の〝もろとも左右衛門〟は器用に高笑いをしていた。





     2


 シラヌイさんが行きたい場所があるというのでぼくが案内することになった。

 なにやら決闘の立ち会いをしなければならないらしいけど、話半分に聞くことにして、ぼくたちは一〇分ほど歩いた先にあるビルに向かって移動していた。

 道中、シラヌイさんの劇団のこととか人形をどうやって動かしているのかとか、当たり障りのない雑談を振ってみたけど、彼女はきょとんとするばかりでまったく話に乗ってこない。しまいには、

「先ほどから殿のことを人形、人形、と。貴様どういうつもりだ?」

『まぁよいではないか不知火よ。わしの風貌が愛らしきゆえじゃ』

 そんな腹話術で叱られてしまった。

「あの、着いたけど……」

 そこは駅の裏手にある高層ビルで、一棟まるごと新進のIT企業が入っていた。なんだか最近スマホのCMでよく見るようになった『バイアスエッジ』という会社だ。

 この大企業と野宿していたギャルの組み合わせを考えるに、想像できることは少ない。

 親族がここに勤めているか……出し物をやるために雇われたんだろうな、とぼくは推察した。IT企業って特殊なものだから、腹話術にだって新商品のヒントを見出すかもしれない。もしかしたらCM撮影なのかも。

 ぼくはビル入り口の数メートル手前でお辞儀をした。

「それじゃ、先ほどはありがとうございました」

「……」

 なんだか妙な間が空いた。シラヌイさんももろとも左右衛門も、そろってぼくの方を凝視している。

 ――ちょっと待ってよ。一緒に入れってこと?

 布人形に手を差し込んだまま、少女が眼力でぼくを圧してくる。そんな強烈なプレッシャーに勝てるわけもなく、ぼくが受付まで連れて行くことに。

 しかし大企業の受付なんて未知の世界だ。ぼくみたいな子供が行って相手にしてもらえるのだろうか。

 エントランスの自動ドアが開くと、いきなりシラヌイさんが後ずさった。

「え?」

「先に入れ、早くッ!」

 ものすごい形相で牽制してくる。

 仕方なく先に進むとその後に続き、まるで怯えた犬のような足取りで、シラヌイさんは開きっぱなしのドアをくぐった。

「面妖なる引き戸め!」

『ううむ、いつ見ても原理のわからぬからくりじゃ』

 自動ドアに怯えるふたり。なんというか、もうお芝居がはじまっているのだろうか。

『相変わらずここも人が多いのう。いったい誰に断りを入れればよいのじゃ』

「タチバナめが調べてまいります」

 シラヌイさんが勝手に決めた。

 ――し、調べてまいりますじゃないよ~。完全に使いっ走りじゃん!

 しかし数秒後には、ぼくは受付のお姉さんの前に立たされていた。

「あ、あ、あの、あちらの女の人が、この会社に用事があるらしいのですが」

 緊張具合は職員室の比じゃない。そしてまた受付のお姉さんのやたらにきれいなことが、ぼくの戸惑いをさらに煽るのだった。

「どちらかにアポイントメントをお取りでしょうか?」

 英語が怖い。アポイントメント――「約束」だと直訳してシラヌイさんの元に戻る。シラヌイさんは耳に囁くように人名らしい言葉を告げる。ぼくはまた受付へ向かった。

「え、えっと、キリュウトウザイとかいう人だと、もも、申しておりますが!」

 すると受付の女性の顔が急に険しくなった。

「社長の桐生でございますか?」

 ――しゃ、社長!?

「あちらの方のお名前を窺ってもよろしいでしょうか」

 ぼくの後方で怯える猫のように歯を食いしばっているシラヌイさんを、受付の人は気にしていた。

「あ、えっと、シラヌイさんというそうです……」

 しばらくパソコンを叩く音が聞こえた。

 受付のお姉さんは途端に満面の笑みとなった。

「承っております。不知火様ですね、社長室までどうぞ。最上階となっております。階に着きましたら、エレベーター正面で秘書がお待ちしております」

 なんと予約があった。いったいあの娘は何者なんだろう。もしかすると、社長の目の前で腹話術を披露できるほどの凄腕芸人なのだろうか。

「あの、エレベーターで最上階へ……」

 ぼくが彼女にそれを告げると、すぐさまもろとも左右衛門が反応した。

『ふむ、なんと申した? 喜べ不知火。不慣れな我らをタチバナどのが案内してくれるそうじゃ!』

 そしてそれにも逆らえる状況ではなくなっていたのだった。ビルに入ってから目につくものすべてに警戒するシラヌイさんの挙動が、あまりにも異様だったから。





     3


 エレベーターは軽快に進んでノンストップで最上階に着いた。

 気になったのは、シラヌイさんがやたらと中で跳躍運動をしていたことだ。あの独特の縦Gが気色悪かったみたいだ。

 ドアが開くと、目の前にいた上品な女性秘書が社長室まで案内してくれた。秘書の人は扉の前までついてきただけで、すぐにその場を去っていった。

 シラヌイさんがノックもなく社長室のドアを開けた。そこはワンフロアまるごとぶち抜いたような広大な部屋だった。柱は多いけど、ちょっとした体育館くらいの広さがある。

 その真ん中に社長と思われる人物が立っていた。

 ……右手にパペット人形をはめて。

『桐生東西! ここで会ったが百年目ぞ!! そしてその剣客〝あげは居士〟よ! 今日こそその首もらい受ける!』

 甲高い声ながら迫力満点にもろとも左右衛門が叫んだ。

 たぶん社長さんが持っている人形が〝あげは居士〟という名前なんだろうとぼくは察した。社長さんは後ろになでつけた髪が肩まで伸びた独特のヘアスタイルだけど、それ以外は気品ある紳士という風体だった。いかにもIT企業のトップという感じでまだ若く、格好いいダークブラウンのスーツがちょっと浮いている。

 社長さんの人形の方は長い袴をはいたお侍風だけど、頭はやはり長髪で顔にちょうちょのお面をつけていた。いわゆるパピヨンマスクというやつだ。

『懲りぬ輩め……。貴様こそ刀のサビと変えてくれよう』

 社長の腹話術も相当うまい。口を真一文字に結んだまま、かなり滑舌よく人形が喋っているように見える。

『不知火、〝らんぎり丸〟を!』

「はっ、殿!」

 シラヌイさんは背中に背負った日本刀を抜いて、もろとも左右衛門に持たせた。小さな指もない布の手で、きっちりと刀をホールドしている。そしていつの間にかあげは居士の方も刀を手にしていた。どちらも銀紙を巻いて光らせたような、お世辞にもリアルとは言えないオモチャの剣だ。

「そちらの少年は客人かな?」

 社長が渋い声で訊ねた。

「かの者は決刀立会人のタチバナ殿だ」

「よかろう、了承した」

『では死合おうぞかつての愛弟子よ……』

『黙れ、貴様を師と呼ぶ者はもうおらぬ!』

「決刀……」

「開始だ!」

 そしてもろとも左右衛門と共に、シラヌイさんが社長の方に駆けていった。

 ガキィン!

 とてもオモチャの剣がぶつかったとは思えない音がして、人形同士のチャンバラがはじまった。

 ぼくはそれをお芝居の練習なのだろうと思って見ていたのだけど、その感覚は間もなく露と消えることになる。

 ぼくの頬に生ぬるい液体の雫がかかった。

 それを何気なく指にとって見つめる。

 それは、シラヌイさんが斬られた際に飛んできた、彼女の血液だった。





     4


 剣と剣がぶつかる音が、独特のリズムとなって部屋中にこだました。

 人形がその手に持つ刀を振って攻撃しているんだけど、ぼくの目にはその動きをしっかりととらえることができなかった。まるで一流の殺陣(たて)のように、いやそれ以上に疾いのだ。

 剣は明らかに人形を狙っているものの、剣先が時に互いの衣服に当たるとそこがすっぱりと切れてしまった。

 そして皮膚に当たった場合は、さも当然のように傷がつき、ときどき鮮血が床を汚した。

 ぼくの目の前で行われていたのは、真剣勝負という名の殺し合いだった。

 ふたりのあまりにもプロっぽい動き、そして相手を憎み呪わなければ作れないであろう表情に、ぼくは完全に飲み込まれていた。

 いま目の前で戦っているふたりは、ぼくがこれまでの人生で出会ったことがない世界の住人なのだ。

『くうっ、さすがは当代一の剣豪、だが負けぬ!』

『ふふふふふ、わが魔剣の技はこれだけではないぞ』

 凄まじく激しい動きの中でも、腹話術の瞬間は、ふたりとも口を閉じてまったく芸に手を抜かない。それよりも、指にはめた人形の動きでどうして複雑なチャンバラができるのかまったく想像ができなかった。

 ふたりはまるで打楽器の演奏のように剣を鳴らしながら、部屋を横滑りに移動していく。

 その行く手には大きな柱があった。白く真四角なビルの柱だ。

 ふたりは一瞬だけ距離をとり、お互いに柱を挟み込むような形になる。

 柱をよけた――ように見えたのだけど、ふたりは躊躇なく柱に向かって刀を打ち込んだ。

 ゴバアァッ

 聞いたことがない音を立てて、柱が粉砕した。真っ白な煙が立ち、小さなコンクリート片がぼくのところまで飛んでくる。

 ふたりはあっという間に別のところに向かっていて、あちこちで柱や壁を粉砕していく。

 攻撃を受けた建材は、鉄骨までもが砕け散っていた。

 ――な、なんなのこれ……。

 それはもう、建物の取り壊し工事のような有様だった。

 だけどふたりが使っているのは重機ではなく、銀紙を巻いた刀なのだ。もはや魔法使いだと言っても疑いようがない。

 思えばシラヌイさんの行動は最初からおかしかった。

 人形の腕を使って不良たちを投げ飛ばしたときに気づくべきだった。そして異様に文明に疎いあの態度。その割には服装はまともに見えるけど、今風のファッションとはほど遠いと思う。

 そしてぼくにはもうひとつ疑念があった。

 シラヌイさんが殿と慕うもろとも左右衛門。あれは腹話術の人形に見えて、実はまったく違うものなんじゃないんだろうか……?

 いままでにテレビや映画館で見た、あらゆるB級ホラー映画の設定が頭をぐるぐる駆けめぐる。その中でひときわ鮮明に覚えていたのは、死刑囚の魂が宿った人殺し人形がゲラゲラと笑う姿だった。

 そんな想像に気を取られている間に、剣を交えるふたりが徐々にこちらに向かっていた。

「タチバナ殿、そこは危ない!」

『隙あり!』

 シラヌイさんが注意を促した一瞬の隙をついて、あげは居士の剣がひらめいた。

 するともろとも左右衛門が素早く反応し、その切っ先を刀の鍔で弾く。と同時にシラヌイさんの体が大きく横に動いた。

「がっ!」

 シラヌイさんが桐生社長の膝裏に蹴りを入れて、体勢を崩す。

 すぐさまもろとも左右衛門が剣を薙いだ。社長の肩口からぱっと血が飛んだ。

『浅いわ!』

『なんの!』

 人形同士の鍔迫り合い。それがぼくの間近で行われている。

 よく見れば、人形の方はさほど傷がないものの、シラヌイさんは身体の至る所に出血があり、ボロボロだった。桐生社長は先ほどの肩の傷が唯一の負傷だけれど、けっこうそれは深そうだった。

 しかもそれはあげは居士を操っている(?)方の腕なのだ。

『ここまでだな、お師匠どの』

『貴様、わしを師と呼ばぬはずでは……?』

『最後ぐらい、あのころを思い出して死ぬがよい!』

 人形同士の会話の時は、意地でも口を結んで腹話術を通すふたり。激しい運動をしながらのそれは、さぞ集中力を使うのだろう。

 シラヌイさんは、社長のある行動に気づいていなかった。

 ぼくはたまたまそれを見ていたのだ。

 社長はズボンのポケットに左手を突っ込んで、なにかを取り出した。

 それは、レバーのようなものがついた、黒い缶詰にも見える物体だった。ぼくの足元に、金属のピンがカラリと落ちた。

 その瞬間、時が止まった。





     5


 天井から落ちる破片を頭に受けて、再びぼくの時間が動きはじめた。

 それでも耳がじんじんして、まったく音が聞こえなかった。頭にまとわりつく空気が異常に熱い。

 社長が取り出した爆弾(手榴弾?)の爆発によって、フロアの床は黒く焼け焦げ、窓という窓がすべて吹き飛んでいた。

 それでもぼくが生きていたのは、奇蹟でもなんでもなかった。ぼくの身体の上には、シラヌイさんの身体が横たわっていたのだ。ぼくをかばって爆風から護ってくれたに違いない。

 その悲惨な姿を見て、身体の痛みも忘れてしまった。ぼくの顔から血の気がどんどん引いていく。

「ひ、きょうだぞ……。立会人を……まきこむ……と……」

「わたしの勝ちだ」

 社長の方もボロボロだったが、どうやって爆風から身を護ったのか。よく見るとスーツの破れたところから、スチールウールみたいな金属っぽい糸がたくさん出ていた。最初から爆弾を使うつもりで、服を防弾チョッキみたいに加工していたのかもしれない。

 社長はシラヌイさんを足蹴にして、ぼくから彼女を引き剥がした。

 そして焼けたスカジャンの襟元を左手で掴み、彼女を傍らに放り投げた。小さな身体がごろごろと転がり、仰向けになる。

 彼女はまったく動かなくなった。ぼくは怖くなって後ずさることしかできない。

 そんな中でもゆっくりと頭をもたげたものが――それは、爆発によって全身にススがついたもろとも左右衛門だった。

『な、なんという所業を……貴様剣の掟すら忘れたか……っ』

『勝てばよいのよ、これぞ我が流儀』

 もろとも左右衛門は剣を失っていた。小刻みに震え、うなだれている。

 社長は気を失ったシラヌイさんの腰をまたいで仁王立ちになり、あげは居士をもろとも左右衛門に近づけた。そして自分も剣を捨てて、居士の腕でもろとも左右衛門の首もとをキュッと掴んだ。

『ぐ、ぐぐぐぐ!』

『わしを倒すため、諸国をめぐり剣の腕を磨いたのであろう? それがどうした。よもや相手が、刀で決着をつけるつもりがなかったと知った気分はどうじゃ? 決刀じゃと? 相も変わらず埃をかぶった伝統なぞを重んじるゆえに敗れるのじゃ。快刀らんぎり丸が聞いて呆れるのう!』

 あげは居士は容赦なく人形の首を締め上げる。もろとも左右衛門はもう言葉を発することもできずに、口をあんぐり開いたまま苦しそうに首を回している。

 ぼくは涙を流しながら叫んでいた。

「も、もういいじゃないですか! 決着はついたんだから、もう許してあげて! ぼ、ぼくは立会人なんでしょ? ぼくがあなたの勝ちを認めますから!」

 すると社長がゆっくりと振り返ってにんまりと笑った。

 ぼくはその邪悪な微笑みに、自分自身の命の危機を感じた。

 あの人は、シラヌイさんやもろとも左右衛門だけでなく、ぼくをも殺すつもりなんだ。

 絶望の中でますます血の気が引いていった。


 ん?


 待てよ。


 シラヌイさん、死んでるの?


 ぼくの脳の中で、なにかとてつもない化学変化が起きた。いや、言い換えると正気に返った。爆発を含めたあまりに非常識な展開に、常識というやつも吹っ飛んでいた。

 もろとも左右衛門が動いてるんだから、それを操ってるシラヌイさんに意識があるのは当たり前だ。あれがそういう生き物だって思いこむほどの見事な芝居にぼく自身が騙されていた。

 そしてこの場に、思いっきり騙されている人がもうひとり。誰であろう、人形の首を人形で絞めて勝利を確信しているあいつだった。

「ふはははは! これで終わりだもろとも左右衛門!!」

 いや、それただの人形だから。人形の首を絞めても本人は苦しくないから。

 そしてその瞬間が訪れた。

 シラヌイさんの眼がカッと見開き、上半身をいきなり起こした。虚をつかれた社長が体勢を崩した。

 彼女は左手で社長の左手を掴んだ。両腕をクロスさせたような形だ。そしてもろとも左右衛門もまた、あげは居士の小さな手を掴み返していた。

「カァァァーッ!」

 シラヌイさんが腕を引き戻す。すると合気道の演舞のように、社長の身体が回転した。いやもしかするとそれは、本当に合気道だったのかもしれない。

 ぼくを不良たちから救ったあの投げ技――まさかあれが、彼女の切り札だったとは。

 空中でひっくり返った社長は頭を下にして落下した。

 鈍い音がして、社長の身体が動かなくなった。しかしわずかに胸は動いている。

「傀儡(くぐつ)空蝉(うつせみ)、か……見事ッ」

「我らが刀に頼ると思いこんだ貴様の負けだ、桐生東西」

 ガクッと社長の頭が落ちる。シラヌイさんはそれを足で小突いて失神を確かめてから、ぼくの方に近づいてきた。

 彼女のきれいなスカジャンはボロボロだったけれど、足取りがしっかりしているのでぼくも安心した。

 そして自慢の人形を掲げて、ぼくに向かって口をぱくぱくさせる。

「きみも、もろとも左右衛門が生きてるように見えただろう?」

 ぼくはこくりと頷いた。

「やつもそう思った。やつ自身がわたしにそう教えたように……」

 複雑な表情を浮かべるシラヌイさん。ふたりの間になにがあったのかはわからないし、ぼくがそれを知ることもないのだろうと思った。

 でも事件はこれで終わりじゃなかったんだ。

 いきなり社長室の扉が開いて、たくさんの人間が入ってきた。

「来たか」

 その人たちの身なりを見て、またまたぼくの顔から血の気が引いていった。





     6


 足音を響かせて、たくさんの人たちがこのフロアに押しかけてきた。

 その風体からして、どの業界の人たちかは一目瞭然だった。全員が迷彩服でヘルメット着用、手には銃器を持っている。一瞬警察かとも思ったけど、冷静に考えればそんなはずはなかった。大がかりなお芝居でないのだとしたら。

 軍服姿の人たち――たぶん自衛隊かなにか――が、素早くぼくたちの周囲を取り囲んで、あちこちに短い号令を出していた。キビキビとした大声に、ぼくは萎縮するばかりだった。

 ひとりだけ動きの違う、年配の男性は司令官かなにかだろうか。部屋の中央に横たわる社長のことを誰かが報告すると、その司令官風の人はシラヌイさんの方に歩いてきた。

 そして、まるでロボットみたいに正確な仕草で敬礼したんだ。

 シラヌイさんは無言で頷いてから、

「目を醒ます前に拘束してくれ。あとのことは頼む」

「はっ!」

 ぼくも目を疑ってしまったけど、「はっ!」と返事をしたのは司令官の方だった。

「そこの少年は誰でしょうか」

「民間人だ。決刀の立会人を務めてもらった」

「かしこまりました。こちらで丁重に保護いたします」

 わけのわからないまま、まるで被災者のように毛布をかけられるぼく。隊員の人にペットボトルの水を持たされたが、まるでそんなものを飲む気になれなかった。

「あの……シラヌイさん」

 彼女は小さく首を振った。

「わたしのことは聞かないでくれ。でも、そうだな……きみにこれをあげるよ」

 そういってシラヌイさんが手渡したのは、あのパペット人形だった。初めて人形を外した彼女の右手は、真っ白できれいだった。

「え、でもこれ、〝もろとも左右衛門〟じゃないですか! お殿様なんでしょ? 大切な……」

 するとシラヌイさんは、その時初めて女の子らしく笑った。

「ただの人形じゃないか」

 眼を細めたその笑顔が、脳裏に焼き付いた。ぼくの手には、なんの仕掛けもない布の人形だけが取り残された。

 気絶した社長を連れて、瞬く間に軍服集団とシラヌイさんがその場を去っていった。去り際に、非常口を確保したからそこを通れと誰かが言った。

 とりあえずぼくは塾のお金を銀行に振り込みに行こうと思った。


 キツネにつままれたような話だけどひとついいこともあった。試しにもろとも左右衛門を学校に持って行ってみたら、それを見た例の不良軍団は、もうぼくを二度と苛めなくなったのだった。





《完》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

決刀!!もろとも左右衛門 フジシュウジ @fuji_syuzi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ