お嬢様とお買い物

 ベッドに飛び込んでからすぐに、俺は深い深い眠りについた。天の雲の上にいるようなその心地よさは、世の中の辛いことや悲しいことを何一つとして知らなかった幼い頃によく似ている。その上には飴玉が載っているのだろうか?それともバラバラになった積み木が無造作に置かれているのだろうか?それらに触れる歳ではないものの、そこには幼い頃に亡くした可愛らしい妹がいる。彼女は病弱でこそあったが、心優しくいつも笑顔を忘れることのない少女だった。そんな彼女に近づき、触れようとするとにこやかに笑みを浮かべた後、彼女は光の花びらとなって消えてしまった。

 そこで目を覚ますと傍にはアマリリスがいた。彼女は眠たげな目をこちらに向けながら、

「……おはよう」と甘ったるい声で挨拶をすると、また元の通りに眠ってしまった。毛布にくるまるその様は、ふくら雀あるいは素っ気ないミノで冬を凌ごうとするミノムシのように見える。毛布を勢いよく剥ぎ取ると、彼女は金切り声をあげた。見ると、アマリリスは裸……とまでは行かなかったものの下着姿だったのだ。とはいっても、当然現代のものとは違い十九世紀頃には普通に着用されていたもので、概ね今と形こそ変わらないが実用性には欠けている。こんなにフリルがたっぷりのスリップはお子様には似合わない。まるで年若い令嬢が着るようなドレスじみた下着は、彼女が時の流れに逆らいながら『生きて』いるという確かな証拠といえる。下に穿いているドロワーズは、ショーツの原型といえるものだが丈が短く、今現在着用されているショーツとほぼ変わらない。無論、お嬢様らしくしっかり周囲がフリルで縁取られている。美しくも愛らしい、まるで神話に登場するニンフのようだと見惚れていると、彼女は突然怒り出した。

「ねえ、何見てるの⁈」

「……ああ、ごめんよ」

いくら大人しい彼女といえど、下着姿を見られるのは流石に恥ずかしいのだろう。アマリリスはすぐさま着替え、白いフリルの靴下と黒いストラップシューズを履くと、そっぽを向き冷蔵庫へと向かった。しかし、背が低い彼女には届かない位置にあったようで、結局自分が取りに行く羽目になる。ついでに二人分のカップも戸棚から出し、爽やかな朝が始まろうとしていた。カップにミルクを注ぎ、片方を彼女に手渡すと、

「ありがと………。ディル……」

俯きながらも感謝の言葉が返ってきた。

「……面と向かって言いなよ」

「だってだって‼︎恥ずかしいんだもん‼︎」

「脚見てたから。ボク、やらしいところ見られちゃったんだなって……」

「あんまり綺麗だったから……」

それを聞くなり、アマリリスはむせてしまった。まるで想定外だ、とでもいうかのように。

「ディルってヘンタイなんだ‼︎女の子の脚見てえっちな気持ちになるやらしい人なんだ‼︎もうボクお姉さんのとこ帰るよ‼︎」

「待てよ‼︎確かに脚ばっかり見てたのは悪かったけどさ‼︎」

嘘だ。本当は脚に目が行った訳ではなく、上品で可愛らしい下着があまりにも似合いすぎていたから。尚も頬を赤らめ、涙目になりながら怒る彼女を宥めようとするも、

「可愛い服沢山買ってやるから!」

「やだ‼︎」

「好きなモン沢山買ってやるから‼︎」

「……………本当?」

暫しの沈黙を挟み、彼女は目を輝かせた。朝食のパンを食べながら、俺は、

「マジだよ。だってこのままここにいたってつまんねーだろ?テレビや新聞はあっても、それだけじゃ無理があるからな」

 こうして俺とアマリリスは外へ出た。眩い陽の光と共に、小鳥たちの囀りが聞こえてくる。朝市があるからか、外へ出ている人は比較的多いものの俺のような若い男はあまり見かけない。道ゆく人は専ら中年の男女や年寄りばかりである。今日は土曜日で学校は休みだが、朝早くから子どもが外に出るということはあまりない。平日は学校へ通っているし、休日であっても海の向こうの『ニホン』という国からテレビアニメだのマンガだのが沢山輸入されたのも理由の一つだろう。俺もニホンのアニメやマンガで育ったクチで、ロボット同士で殺し合うアニメや、可愛らしいモンスターを戦わせつつ冒険をするアニメを見たことがある。子ども心に響くとても面白いアニメで、放送された次の日はクラス中その話題で持ち切りだった程。その一方で、当時幼稚園児だった妹はつまらなそうに見ていた。やはり、女の子は人形やら洋服やら可愛いものが好きなのだろう。お気に入りの人形をせっせと着せ替え、『世話』をしていく。まるで母親か姉のように、彼女は友達である人形と遊んでいた。もう随分と昔のことだが、今でも鮮明に思い出せる幼い妹との思い出は灰色の味気ない人生の中では輝きを帯びた宝物である。それだけに、妹が死んだ時には泣きじゃくったし、このままずっと一緒にいたいとも思った。

 少し歩いていくと、仕立て屋が見えてきた。今はファストファッションの時代だが、きちんとした服やお洒落着が欲しい人たちにとってはこの店は需要があるようで、ちょっとした高級ブティックのように扱われている。この仕立て屋は、妹の服を作る為に数回行ったのみで、彼女が亡くなってからはここへ行く用は無くなった。ショーウィンドウは昔とは少し趣が違うものの、雰囲気は変わらない。エレガントだがシンプルな婦人服や、子供服がマネキンに着せられている。フリル控えめの真っ白なブラウスやスラックスに、昔の映画の中で金持ちの夫人が着るようなシックな色合いのドレス。小さなマネキンには、細いリボンタイが付いた飾り気のない白のブラウスと、紺色のハイウエストのスカート。下には黒のタイツと、ミルクチョコレートにも似た焦茶色の編み上げブーツ。シンプルながらも整ったそのコーディネートは、良家のお嬢様といった趣でその辺を歩いていても違和感のない格好である。その隣にはレトロな子ども用ワンピース。サンドレスのように白くてノースリーブというものではなく、カジュアルな装いでありながらどことなく大人っぽさを感じられるものだ。よそ行きの服なのだろうか。商品ラインナップは大体掴めた。これなら大丈夫だろうと思い、俺とアマリリスは店の中に入った。

 中は静かで温かみがあった。少し狭いが、アクセサリーや靴のコーナーもある。どれも単純に可愛らしいというよりは、品があり美しい。ピアノの曲がこの上なくマッチしていそうだ。令嬢の普段着や、儚く消えてしまいそうな小さな恋人を想起させるロマンチックな装いが多いものの、実用的なものも僅かながらあった。革靴や紐靴にしても、シンプルで飾り気がない反面大体の服に合い、何よりそこには確かな美しさがある。それは子供靴であっても同じで、幼子という枠を超えたスタイルのものもあった。俺は子供服のコーナーに行き、

「これなんかどうだ?」と一着のブラウスをアマリリスに差し出した。白く、襟と袖口の部分にフリルが付いているそれは、ちょっと背伸びをしたい年頃にはピッタリだろう。これに合わせて、お揃いのものではないがシックな色合いのスカートも持ってきた。二つとも渡し、彼女を試着室に押し込むとカーテンが閉まり、中から布の音やボタンの音が聞こえるだけになった。着替える時間はそれなりにかかっているようだが、元々は何も知らない人形だったこともあるし仕方ない。俺は、彼女の為にと追加で似合いそうな服や靴、ヘアアクセも選び籠に入れて試着室の前まで運び込む。

「おーい、着替え終わったかー?」

「うん、終わったよ」

カーテンが開かれると、目の前には若い令嬢のような彼女がいた。

「おお、似合ってるぜ‼︎髪留めとか追加の服もあるんだ」

「髪留め?髪、結んでくれるの?」

「ああ!それに、髪に何かないと物足りないと思ってさ。どうかな……」

少々荒い手櫛で彼女の髪を梳かし、髪の束を二つに分ける。それらをリボンで結び、鏡の中の彼女は抱きしめたくなるくらい可愛らしくなった。

「ありがとう、ディル。邪魔な髪がスッキリしたよー」

「………」

そう、見た目だけなのだ。彼女は儚げで美しい外見とは裏腹に、どこかズレているのだ。

「ねえ、ディル。ボク、かっこいいお靴が欲しいな。それとね……」

彼女は大喜びで俺に欲しいものをオーダーしてくるが、その殆どはぬいぐるみやら本やら洋服とは関係ないものばかりだった。

 その後も彼女にとって必要な服や靴、ヘアアクセなどを購入し、気づけば両腕に紙袋を四つも抱える羽目になっていた。アマリリスは一つの紙袋だけを抱えているが、前が見えずにふらついている。

「大丈夫か?」

「う、うん……」

「もうちょいでぬいぐるみが見られるからな。頑張れよ」

陽の光が俺たちと通行人を照らす。お昼になる手前、俺たち二人は雑貨屋に入ったのだった。

 店は繁盛しているとはいいがたいものの、小さな店特有のレトロな趣があった。都市の大量消費とは縁が無さそうな、アットホームな雰囲気は来た者の心を癒やしてくれる。彼女は目ぼしいものの為に、早々と俺の側を離れて行ってしまった。遠目からだが、棚に並べられた商品を物珍しそうに見ている。が、見ていたのはグラスやビン、ソープディッシュやタンブラーなどの透明なものばかり。そのうち飽きてしまったのか、オルゴールや懐中時計のコーナーへ走り去っていってしまった。オルゴールも懐中時計も全てという訳ではないが、蓋には華やかな彫金が施されている。しかし、彼女には良さが分からないのかそれには目もくれず、オルゴールのネジを巻いて音楽を聴いていた。美しくも物悲しく、ノスタルジックなその曲は聴く者達の心を清め、美しい思い出へと誘ってくれる。時計の音と共に、静かな店内をセピア色に彩るが、暫くするとその音はぴたっと止まってしまった。このコーナーにアマリリスはもういない。彼女はどこへ行ってしまったのだろうか。

 店そのものはそれ程広くないのもあり、すぐに見つかったのだが彼女はぬいぐるみのコーナーにいた。棚にはクマやウサギなど普通の動物以外にも、ペンギンやイルカなどのメジャーな海洋生物や、ステゴサウルスやティラノサウルスなどといった恐竜があった。中には野菜や果物、肉などの食べ物といった変わり種もあるが、アマリリスは海洋生物のぬいぐるみをじっと見つめている。そのうち一つを手に取ると、

「ん?これがいいのか?」

「ボクのお友達になるんだもの」

それはイルカのぬいぐるみで、体色は淡いピンクだった。それ以外にも、レモン色のクラゲやスカイブルーのペンギンなどのぬいぐるみを差し出してきた。

「……変わってるなあ。まあ、いいけど」

「海のお魚さんはボクをいじめないからね」

「そんな可愛い顔してんのにいじめられたのか?信じらんねーな」

「昔、ね………」

 アマリリスの紙袋はぬいぐるみで一杯になった。相変わらず前が見づらそうだが、本人は幸せそうだ。友達が出来たからだろうか。

「帰ったらみんなで一緒に遊ぼうね」

「それより飯が先だろ?」

そんなある日の昼下がり。俺たち二人は飯屋を求めて歩いて行く。

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追憶のアルマ 縁田 華 @meraph

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