食堂にて

 ガラスのコップを見つめながら、ぼんやりと物思いに耽る。ついさっきまでは暗く、憂鬱な街道を歩いていた筈なのに、今は白熱電球の柔らかな明かりに包まれた食堂にいるのだ。向かいに座っているのは人間でいうところの十歳前後の少女だが、彼女自身は『生きた』人形である。何をするでもなく、彼女は俺のことをじっと見つめているのだが、その瞳はどこか無機質でマネキン人形のような不気味さがあった。そのうち彼女はあくびを一つして、眠そうな声を出すようになった。

「ねえ、おにいちゃん……。早く何か食べたいよ」

「待ってなよ、もう少しでメシが来る」

少女は不満そうな顔をしている。彼女のグラスは空っぽで、溶けかけの氷のブロックが二つ三つ残っているのみだった。小さな足をぶらぶらさせながら、「ね〜む〜い〜」とのたまう。まだまだ幼い精神には退屈というものが耐えられないのだろうか。ぬいぐるみの一つでもあれば少しは退屈を凌げるだろうが、生憎彼女は身一つでやってきたので、私物らしきものは何もない。退屈さが頂点に達したのか、そのうち彼女は頭をふせて眠り始めてしまった。

「こらー‼︎起きろー‼︎」

注文した料理が来るまでまだそれなりに時間があるとはいえ、子供じみたフリーダムっぷりは見る者を呆れさせる。いや、もし俺が厳格な人物だったなら様々な理由をつけて、呆れを通り越して怒りすら覚えるだろう。注文したのは大衆食堂らしい定番メニューであり、作り手側には大して手間を要求しない、寧ろマニュアル通りに作ればそれなりのものが出来上がるものである筈なのだが。垣間見える寝顔は安らか、というよりも子供特有の無邪気さを感じる。あの凶悪な鋏を握りしめていた手も、こんなに小さくて可愛らしいのだと今ならちゃんとわかる。

「何だ、可愛いとこあるじゃないの」

呟きながら、彼女の髪を撫でる。絹のように手触りが良く、温かな光が反射しているからか夕暮れ時の水面を見ているかのようだった。

 彼女はこんなにも美しいが、遊び相手がいないという理由は何となく想像がつく。元々飾り物だからというのもあるだろうし、彼女の外見は理想化されたものでこそあるがそれゆえに見る者を女郎蜘蛛のように捕らえて離さない魔力があった。遊び相手を求めている理由も、もしかしたら自分の望みが一つとして叶ったことがないのが原因なのかもしれない。どうもあの女の言葉、『しっかり可愛がってくれへんか』というのが引っかかるのだ。彼女はこの人形のことをどこまで知っているのだろうか。それとも実は知ったかぶりをしているのだろうか。そんな可能性が交互に頭の中を過っていった。

 ウェイトレスが俺たち二人の席に料理を運んできた。トレイに載せられたそれらから、美味しそうな匂いは少なくとも感じられない。籠に入った白パンからは香ばしい香りはするが、それ以外は特にしないか分からないかの二択で、皿の中にはクルトンが入ったレタスのサラダが綺麗に盛られている。二人分出されたものの、向かいにいる少女は未だに起きようとはしない。

「おい、メシ来たぜ。起きな」

「……やっと?遅いじゃない」

「お前の分も来たぜ。とっとと食いな」

少女は眠い目をこすりながら、白パンを一つ手に取り小さな手で千切る。バターはあるのだが、気づいていないのか何も付けずにそれを小さな口にぽいっと放り込み、もぐもぐと咀嚼を始めた。

「美味いか?」

「そうだねえ、あんまり変わんないなあ。バターもジャムもないとあの時と一緒。味気ないんだよ。小さい頃に食べたのとおんなじ」

彼女は何を言っているのだろう。人形のお前には過去も未来もないだろうに。そもそも満腹中枢や味覚があるかも怪しいのに。妄想癖でもあるのだろうか?にもかかわらず、彼女の目つきは遠い昔にこのパンを食べたことをはっきりと主張している。だとすれば、あの女が言っていたことは完全な夢物語という訳でもないのかもしれない。

 味気ない白パンを見事に平らげた少女はサラダのレタスをフォークで丸め、それを羊や山羊のようにもしゃもしゃと食べている。ドレッシングらしいものがかかっていた形跡はあるものの、ぱっと見では分からない。透明で澄んだ液体は一見してみると、ただサラダに油をかけただけに見えるかもしれない。しかし、口に入れた本人が多少の酸っぱさを感じているところからして、少なくともビネガーが入っていることは明白だ。大衆食堂にありがちな無造作に野菜を盛りつけただけの、何ともさっぱりした味わいのサラダだが、無理矢理癖のある味のドレッシングをかけて食べるよりは遥かにマシだろう。寧ろこのシンプルさは雑味が口に残らず、素材の味も楽しめて一石二鳥だ。俺も彼女も残すことはなかったが。二人で次のソーセージにも手を出していく。

 このソーセージ、本来は酒の肴として食べるようなもので、量としてはそこまでではないのだが、彼女の胃が小さいだろうことを考慮して、俺はソーセージを六割がた摘んだのだった。案の定、彼女は口をケチャップまみれにしながら、

「もういい……。これ以上はいらないよ」と言い、フォークを皿の上にコトリと置いた。口のまわりについたケチャップを紙ナプキンで拭いた後、グラスの水をちびちびと飲んでいく。その様子が俺の目には微笑ましく映る。

「何見てるのさ。ボクの顔に何かついてる?」

「何かお前の仕草って可愛いなって……。そういや、お前の名前決めてなかったよな。俺はディルク。皆からはディルって呼ばれてる」

「……ふーん。ディルっていうんだぁ。ボクは長いこと名前を呼ばれてないんだ。もう自分の名前が何なのかも忘れちゃった」

「……そうだな。お前の名前、どこかで決められたらいいんだけどな。お前の髪と目の色、昔どこかで見た花の色そっくりなんだよな。髪の色は百合に、目はアマリリスに。だから、パッと思いついただけだけど『リーリエ』か『アマリリス』のどっちがいいかな?」

少女は少し考え込んだ後、

「ボクは、アマリリスがいい」

と小さな声で答えた。

 会計を済ませて店から出た時、辺りには人の姿が殆ど見えなくなっていた。かろうじて少女らしき人影が見えたのだが、遠目からでも彼女が只者ではないことは一目で分かった。桜色の真っ直ぐな髪を足首まで伸ばし、一部を黒いリボンで結んでいる。左頭部にはリボンやヴェールが付いたシックなミニハットを斜めに被り、両手には古ぼけてこそいるがレトロで趣のある装飾が付いたトランクを提げている。黒く華やかなドレスの上には肩を覆うケープを身につけ、真ん中には飾りなのか紺色のリボンが付いていた。スカート部分には白い洋菊のコサージュが付いていて、それがまた黒くフリルたっぷりのドレスに華を添えている。暗くて見えにくいが、下には優しいグレーのタイツを履いているようだ。靴はシンプルなエナメルのパンプスで、街灯の光を反射しているのか艶やかに輝いている。目立つところには、これまた紺色で四弁花のコサージュが付いているのだが、リボンやストラップなどはないようだ。さながら、暗黒世界の貴婦人あるいは寡婦といったところだろうか。それにしては若すぎるが。辺りをキョロキョロと見回しているようだが、そのうちこちらと目が合ったようで、にこにこと小さな野花のような笑みをこちらにくれると同時に、手を振ってくれた。キューピッドのように無邪気な笑顔だが、その中には底知れない闇が潜んでいる。無視して通り過ぎるも、彼女の不気味な笑顔は暫くの間頭の中から離れなくなっていた。

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